れんだいじ氏の最新の投稿を読みました。これまでのれんだいじ氏の投稿については、多々異論はありつつも、それなりに論理的な展開と、れんだいじ氏らしいユニークな観点とがミックスされて、非常に勉強にもなり、楽しみながら読んでいましたが、10月25日付投稿は、ちょっとあまりにもひどいと感じました。まさに、宮本憎しで目も思考もすっかり混濁してしまっていると思います。
宮本顕治が過酷な拷問に耐えられたのは、その強靭な肉体のおかげでもあるのは、客観的事実です(それと同時に、宮本がそれほど重要な幹部ではなかったということも一因としてあるでしょう)。しかし、どうしてこのことの指摘が、拷問で死んだ同志たちに対する非難というふうに解釈されるのでしょう。どうして「殴打するうちに供述するであろう弱さが見えたから殴打し続けられ、その結果虐殺に至らしめされたとでも言うのか」などという議論になるのでしょう。無茶苦茶ですよ。そんなこと誰も言っていないでしょう。たとえば、私は体も弱いし、根性もないので、拷問されたら簡単に死ぬだろうし、屈服するかもしれません。しかし、だからといって、私が死んだのは体力がなかったからだと言って非難する人がいるでしょうか? どこまでも責任は拷問した側、つまり当時にあっては特高警察と天皇制政府にあるのは自明ではないですか。そんなことは言わずもがなですよ。れんだいじ氏のような解釈は、とんでもない言いがかり以外のなにものでもなく、むしろ、私はれんだいじ氏のような理屈に、スターリニスト的なものを感じます。まさに罪のでっち上げです。
さらに、れんだいじ氏は次のように言っています。
「『母親が私の顔を見て「お前も変わったのう」とつぶやいた』その理由が顔の腫れ具合にあったというのもオカシイ。こういう場合、母親は涙を流し可哀想にとは思っても、自分のせいでない原因で膨らんだほおを見て「変わった」とは普通言わない。皆さんはそうは思われないですか。私には宮本氏も又拷問を受けたという状況を言い繕わんが為の下手な証拠挙げとしか思えない。実際、この母親証言の裏はとれているのだろうか、疑問に思う。他の党員の場合後遺症も含めて房仲間の裏づけが取れる場合が多いのに比して、宮本氏に対する拷問状況または拷問後の被害状況についての供述とその裏取りが妙に少ない」。
引用するだけでも怒りをおぼえるような文章です。当時の面会は、警察の監視下で行なわれたんです。そういう状況においては、「可哀想」とか、「ひどい目に会ったな」というような、警察を非難していると解釈される可能性のあることは言えないわけです。どうしてそんなことがわからないんです。このとき母親が「お前も変わったのう」と言ったのは、まさにそういう形でしか息子の状態について触れることができなかったからです。そして、このような言い方がなされたということは、当時の具体的な状況でしか出てこない言葉であり、この証言の信憑性を物語っています。
れんだいじ氏は、あろうことか、この母親の言葉を宮本の下手なでっち上げとみなして、宮本はそもそも拷問されなかったのではないかとさえ示唆しています。他の党員については裏づけがあるのに宮本にはないという言い分には驚かされます。れんだいじさん、いったい何人の党員が拷問されたと思っているんです。その全員についてあなたは裏づけを持っているとでも言うんですか? 宮本だけ、自分の証言しかないとでも言うんですか? 宮本は独房に入れられていたのだから、房仲間の証言がないのは当たり前。そして当時にあっては、共産党員が特高警察によって拷問されるのは当たり前。拷問されたとみなすのが普通であり、それをあえて否定するのだとしたら、むしろその積極的な証拠を出すべきです。密室で行なわれた拷問を、本人以外の証言がないなどといって、拷問がなかったかのように匂わせるのは、まさに特高警察を免罪する許しがたい議論です。
あなたの議論を聞いていると、自由主義史観を標榜する連中の論法を思い出します。強制連行され、強制的に兵士のセックスの相手をさせられた従軍慰安婦たちに対し、彼らは、本人の証言しかないのだから、嘘を言っているに違いない、従軍慰安婦は慰安所で楽しく過ごしていたのだ、と言っています。あなたの議論はこれと本質的に同じです。
れんだいじ氏のひどい議論はその後も延々と続いているし、その一つ一つについて反論可能ですが、あまりにも馬鹿げているので、やめておきます。れんだいじ氏は一つ前の投稿で、芥川に対する青年宮本の厳しすぎる批判に難癖をつけながら、宮本顕治自身を評価する段になると、ここまでひどい言いがかりをつけてまで貶めるとは、本当に驚きです。
れんだいじ氏が、このような、犯罪者を免罪し被害者を貶めるような議論を今後とも続けるのなら、私は今後、れんだいじさんをまともな議論相手とは認めません。本当に残念です。