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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

浩二さんへ

1999/11/14 れんだいじ、40代、会社経営

 浩二さん、はじめまして。ウオッチでの奮闘ぶり拝見させて頂いております。大変でしょうが、引き続き座持ちのほどよろしく。こちらからエールをお送りいたします。それと貴重な資料の開示も引き続きしていただれば助かります。すでに使わせていただきましたが、浩二さんなら無断拝借とは失礼なとは言わないであろうと勝手に思いこみ利用させていただきました。当然のことですが、私の投稿で使える部分がありましたらどうぞご利用下さい。事件の真実の解明に手分けしてやって参りましょう。それと、これを機会に浩二さん風の物言いも使わせて下さい。例えば、「ボソッ」とか云う表現、気に入っていますので。
 さて、「それとも、れんだいじさんの想像ですか? まさか……(以下、あまりにもこわいので略)」についてですが、結論から言えば、「想像」の類です。しかし、この「想像」には根拠がありすぎるというのが私の認識です。その根拠については、「査問事件」一つ取ってみてもこれからもおいおい明らかにしていくつもりです。したがいましてせめて「推測」ということにして下さい。なぜこのような「推測」に辿り着いたかというと、遠因としては私の学生時代の運動経験から始まっていると言えます。以来30年来のブツブツを経て、このたび「さざ波通信」との出会いがきっかけとなり、投稿上の責任を感じたところから党の戦後史からの見直しを始めたことを通じて今や「確信」に近いものになっておりますす。長年のもやもやが晴れたような思いをしております。要は、婉曲的に言って「宮本無謬論」は、単に何も知らされていないことが原因になっているということです。だから、今もっと知ろうとしているわけです。もっとも、この「確信」については、せんだって吉野さんから強くお叱りを受けました。しかし、私がためにする批判をしようとしているのではない点については、吉野さんも編集部の方にもきっと手応えで感じていただけているものと勝手ながら思わさせていただいております。
 なぜ「確信」にまで辿り着いているかというと、一つには現況の党のあり方に対しての強い不満があります。先だっても党首会談が行なわれましたが、不破氏は原子力の問題についてあれこれ重箱をつついた様ですが、普通は党の代表が真っ先にせねばならないことは現下の経済不況に伴う大衆の呻吟を伝えることでしょう。あるいはまた経済活性化への道筋の提言などもされても良いでしょう。が、そのような発言はなかったように思っております。こうした不自然さの根は深く、はるか「50年問題」まで遡らねば解けないというのが私の考えです。この時徳田執行部から宮本執行部への「宮廷革命」がなされ、党中央を簒奪した宮本執行部的なあり方の帰結が今日の党の非共産党的状況を生み出しているとみなしています。ところが、そうした「宮廷革命」の「正義」的事実さえ党内的に正確には認識されていないという変りくりんが幅をきかせているように思っています。もっとも私も知らなかったわけですから誰を責めるというものでもありませんが。したがって、情報の閉鎖に対する戦いが今求められているということになります。ひょっとして「しんぶん赤旗」の愚にもつかない長論文は、そこでへとへとにさせてしまう政略かも知れないとさえ思ったりしています(もう、やめとこ、ボソッ)。
 問題をそのように嗅ぎつければ、勢い次の問題は宮本氏その人がどういう人なのかという解析になります。つまり、宮本氏の人物的観察から始めねば宮本執行部をトータルで把握できないのではないかという認識が生まれるわけです。そういう観点から自伝的なものを捜しましたがめっきり少ないということでした。そこで、彼の登竜 門をなした「敗北の文学」の解析から論を起こすことにしました。そして今「査問事件」の解析へと踏み込んでいます。今気づきつつあることは、戦後の「宮廷革命」時の原型がこの「査問事件」の前後の経過にほぼ出尽くしているように思えることです。戦後徳田執行部の連中がまんまとやられてしまったのもむべなるかなという思いがしています。話がどんどん長くなってしまいますので、ひとまずこれで失礼させて下さい。