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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

その4、小畑死亡に関する宮本氏の弁明について

1999/11/14 れんだいじ、40代、会社経営

 小畑死亡時の様子に関するこうした袴田・逸見・木島・秋笹陳述に対して宮本はどのように主張したのか見てみよう。ところで、ここの部分に関して宮本がまじめに言っているのなら私もまじめに考察するが、とうていそのようには思えないので適当にチャチャを入れながら追跡していくことになることをご容赦願いたい。その前に整理しておきたいこととして、宮本は、小畑死亡時のみならず、それ以前の「査問事件」の発生過程と経過についてもすでに大きく異論を唱えていることを確認しておこうと思う。次のような特徴がある(「宮本第8回公判調書」を参考にさせていただいた)。単に小畑の死亡時の状況判断をめぐっての相違というレベルではないことが判る。
 その一。宮本が「査問事件」をリードしたというのは嘘であり、今回の「査問事件」の責任者は逸見であった、と言う。その例証は次の宮本の発言が裏付ける。曰く「彼(逸見)自身白テロ調査委員会の委員長であり、その位置はスパイ挑発に対する最重要部署にいた人間であり」。(ボソボソ)「白テロ」とはどういう意味だろう。よく判らない。私から見れば確かに「白テロ」ではあるのだが、宮本氏から見て「白テロ」とはどういう感じなんだろう。解せないがまぁいいや。曰く「組織的には問題提起機関の責任者であり、のみならず、予審の彼の陳述でもわかるごとく、総会においては彼が査問の開催を提議している」。(ボソボソ)「総会」とか「開催を提議」とか何で彼はいつもこういう物言いしか出来ないのだろう。宮本-袴田-木島ラインに秋笹と逸見を取り込んだだけのことでしょうが。曰く「むしろ実状の経過は、逸見ら組織部会に参加した人たちが小畑の不審行動を目撃して、それを一契機として初めは宮本に隠していたが、けっきょく逸見をはじめ白テロ調査委員会の人々から中央部に正式に提起されてきたものである」等々。(ボソボソ)ナルホド逸見が巻き込まれたのではなく、宮本さんが巻き込まれのか。これは初耳だよ。
 その二。今回の「査問事件」は平穏静溢に行なわれた、と言う。その例証は次の宮本の発言が裏付ける。曰く「我々としては査問にあたっては、これが順調にいくよう、混乱せぬよう、外部にもれぬよう十分注意した次第で、大泉のいうような状態であれば、大騒ぎとなり近所の者に気付かれないはずはないのである」。(ボソボソ)充分言い聞かせた上で猿ぐつわまでかましていたのではなかったのかなぁ。窓には黒幕で目張りしていたと言うし。曰く「私は特に周囲への顧慮を念頭においており、かかる混乱を導く行動は取らなかった」等々。(ボソボソ)それはソウダと思う。あなたならそういう目配りに抜かりはなかろう。
 その三。今回の「査問事件」は合議的に行われたと云う。その例証は次の宮本の発言が裏付ける。曰く「 査問においては合議対等性の立場がとられた」、と言う。(ボソボソ)なっなんとぉ、こうなると足縄・手縄・猿ぐつわの真偽をせねばならないことになるなぁ。それにしても「合議対等性」とはよくいうなぁ。また繰り返すけど食事・用便の方はどう配慮したんだっけ。それと「白テロ」と公然と認識しているんではなかったっけ。
 その四。宮本が指導者格で訊問していったというのは嘘である、と言う。その例証は次の宮本の発言が裏付ける。曰く「宮本が査問委員長格であったというのも、秋笹も指摘しているごとく、逸見の歪曲策法のひとつである」、「宮本が議長格であったといっているが、これも秋笹が指摘しているごとく不実である」等々。(ボソボソ)では、誰が音頭取りしたんだろう。烏合の衆で尋問していったのかなぁ。ついでにここでもう一つ確認しておくと、曰く「まず大泉から予定表に従い訊問を開始した」(宮本4回公判調書)と陳述しているようであるが、これは「小畑・大泉を順次束縛した後、宮本顕治が査問委員長の格で、これを逸見や私が補助し、秋笹が査問の書記局を勤めることにして先ず小畑から査問を開始することになりました」(袴田11回調書)と大きく違うけど、やっぱり非転向タフガイの宮本の言っている方が正しいのだろうか。宮本は木島の陳述批判として「大体、一定の場所に一定の時、ある人間がそこにいたかいないかという事は、事件を判断するにつき根本問題である。それがはっきり判らないようでは、他の陳述も信用する事は出来ない。木島の陳述はその点が曖昧である以上、他の陳述も曖昧であると言わざるを得ない」として一掃するが、宮本の「まず大泉から予定表に従い訊問を開始した」の不実陳述が明白となれば、「事件を判断するにつき根本問題である。それがはっきり判らないようでは、他の陳述も信用する事は出来ない」と同じように言わせていただいてよろしいでしょうか。
 その五。査問の過程が暴力的に行なわれたというのも嘘である、と言う。その例証は次の宮本の発言が裏付ける。曰く「宮本らがさんざん殴ったり蹴ったりしたというのも、自己を穏健であったと強調せんとする同一策法である」、逸見による宮本暴行証言の数々は「逸見は、事件を率直に見ていないから、さようなことを陳述」した等々。(ボソボソ)「素直に見る」見ないも何も本人は見た通りを陳述しているように思うけど。
 その六。今回の「査問事件」は党内のスパイ摘発闘争の一環として行なわれたものであり、党内対立が誘引したものではないと言う。その例証は次の宮本の発言が裏付ける。曰く「これは当時新聞などにさかんに書きたてられたことである。個人的争いについては逸見ものべているが、大泉の陳述はその典型的なものである。大泉は私怨により大泉、小畑を排除せんとしたが、大泉自身スパイたる正体をあばかされないために自己勢力の扶植に努力したとかのべ、かつ我々の悪口を種々いっているが、彼らスパイである立場からみればそのような結論になるのであって、その陳述をとりあげる価値は全然ない」。(ボソボソ)「とりあげる価値は全然ない」って言ったって本当のことだったら自然と口の葉にのぼってくるでしょうが。曰く「袴田は労働者出身であり、大泉は農民出身、小畑は半インテリ出身だから、事実上からみても労働者対インテリの問題ではない」。(ボソボソ)労働者対インテリの対立の構図ではなくて、小畑派と宮本派の抗争という図式ならどうなの? 曰く「また彼(木島 )は、文化団体と全協の対立であったともいっているが、これも警察で吹き込まれた筋書きをもちだしたものであることは明瞭である」。(ボソボソ)「文化団体と全協の対立」ねぇ、そうも言えるわなぁ。「警察が吹き込んだ」ねぇ、警察も何か理由付けするわなぁ。でも、「労働者小畑派とスパイ宮本派との抗争による小畑派頭目への白テロ」とは口が裂けても言わないよ。曰く「また、中央部内の感情の対立であるとも言っているが、さような事実のなかったことは、今までにたびたび述べたとおりである」等々。(ボソボソ)そうだったら、党中央委員の先輩格二名を査問するのに何で、曰く「我々としては査問にあたっては、これが順調にいくよう、混乱せぬよう、外部にもれぬよう十分注意した次第」の必要があったのかなぁ。動かぬ証拠を突きつけて自己批判を迫るとかもう少し他のやり方がありそうなものだけど。
 その七。大泉のスパイ性については微にいりさいにいり熟知した解説をしているが、小畑のそれについては思わせぶりに述べるに留まる。その例証はありすぎて割愛する。(ボソボソ)大泉のスパイ性論議はどうだってよいの。本人も認めてることだし。問題は小畑の方なの。小畑の明白なスパイ性を指摘するのでないとおかしいと思うけど。死んだのは小畑の方なんだよぉ。なお、宮本の情報熟知ぶりは、次の様な発言が裏付けている。曰く「(大泉は)警察に留置中優遇を受けたので、同房者にスパイたる正体をかくすため、ハンストまでやりスパイたることを努めてかくしていたが、予審でスパイの身分を出しはじめたのである」というようなことまで知っているようである。(ボソボソ)こうなると地獄耳ということになるなぁ。
 その八。木島について、党所属上は宮本管轄の東京市委員会委員であり、今回の「査問事件」に特攻隊員的役割をさせたのにも関わらず、飼い犬に手をかまれた怒りかぼろくそに言いなしている。その言いようについては既述したので繰り返さない。不自然なことは、曰く「彼は小畑、大泉の査問にあたっては委員ではなく、単なる見張りであった」と前半で言っているにも関わらず、後半になると曰く「小畑死亡後、私らは階下におり、木島は2階にいたのであるから、階下で私らが党の方針につき協議した内容は木島が知るはずはない」と木島が二階の査問現場にいたことを認めている。(ボソボソ)見張り以上のことをさせたということでしょうが。何でそんなに木島を上手に使い分けるのよぉ。饒舌過ぎると尻尾を出してしまうという見本でもあるか。

 以上ここまでの経過でさえこれほど食い違いを見せる宮本氏の言いであるから、小畑死亡の経過に関して認識が異なるのもむべなるかなと言える。宮本は「宮本4回公判調書」で次のように述べている。概要「予審終結決定では、大変誇張して表現しているが、左様な事実はさらにない」、「ただ小畑が逃げようとして暴れた時、ちょっと騒いだぐらいである」。(ボソボソ)「ちょっと騒いだぐらい」とはひどいのではないかなぁ。曰く「従って、決定書に書いてあるようなことは出来る訳がない。この点に関する逸見の供述は相違している。逸見、木島の陳述は迎合的である。硫酸をかけたり、炭団を押しつけたりしたことはない。自分は静かに訊問しただけである」。(ボソボソ)「静かに訊問しただけ」というのもひどいなぁ。曰く「私が一眠りした時、物音で目をさますと、小畑は手足が自由になっていて起きあがろうとしていた。それに袴田が飛びかかって行き、逸見もそこへ来て袴田は足のほう、逸見は頭の方にいた。私も駆け寄って小畑の右手を小畑の横に座って両腕で抱きかかえる形で止めており、木島も来て向こう側で暴れる小畑の手を止めようとしていた」。(ボソボソ)「小畑の手を止めようと」してどうしたんだろう。そこの具体的な行為をちゃんと伝えてよ。曰く「小畑は手足を動かし、声を立てようとするので逸見は声をたてさせまいと口の辺りをおさえた。その時小畑は、風呂敷か外套を頭から被せられていたが、そのまま暴れたので皆で小畑を押さえ付けた。その裡に小畑は声を立てなくなり静かになった」。(ボソボソ)これでは、逸見の「口の辺りをおさえた」のが死因になってしまうではないの。曰く「結局我々としては、彼が騒ぎ出そうとしたので取り鎮めようとしただけに過ぎないのである。我々には殺意は全然なく、みなは蘇生することを希望していたのである。とくに蘇生に尽力したのは自分と秋笹の二人だけである。この点に関する逸見、木島の供述は相違している云々」。(ボソボソ)ソウカ「取り鎮めようとしただけに過ぎ」ず、蘇生に努力したのは「自分と秋笹の二人だけだった」のか。ソウカ救命尽力者として見てくれということか。地下に眠る小畑氏に聞いてみたいところだ。
 宮本氏は、「宮本5回公判調書」でさらに死因を自ら分析して次のように述べている。曰く「小畑が逃げかけたので、これを止めようとした当時の状況においては誰も斧なんか手にしていない」。(ボソボソ)それはそうだ。事件は突発したンだし。曰く「自分が目を覚ました時に、小畑は仰向けになって逸見に頭を押さえられ、袴田に足を押さえられていたが、両手を振り回していたので私と木島で左右の手を一本宛押さえていたのである。そのとき両手があいていたのは逸見だけであったが、同人は声を出させないようにかぶせた布がはずれるのを止めていたから、両手の空いていた者は結局一人もなかった」。(ボソボソ)またまた思わせぶりに逸見の行為に因果を持たせようとしているなぁ。曰く「私らは彼の手をねじったことはなく、また頭へ手を回した事実もない。胸、腹部を強圧した事実ももちろんない。左様な必要も余裕もなかったのである」。(ボソボソ)「私らは彼の手をねじったことはなく」というのが違うんではないかなぁ。しかし、この断定調がいかにも宮本らしいわなぁ。曰く「したがって脳震盪による急死は考えられない。また絞扼死もありえぬ。しかもこれは数分間の出来事であって、鑑定書などに格闘したとあるが左様なことはない。昭和九年二月一二日付検証調書中にも顕著な傷は発見しないという記載があり、我々も小畑の死体に傷を認めなかったのである」。(ボソボソ)「格闘」にもならぬまま押さえ込んだんではないの。死因については別稿で分析しようとは思っているけど。
 なお、宮本氏は戦後になって「月刊読売」(昭和21年3月号)誌上で次のように明らかにしている(今度はチャチャ入れないことにする)。「事態の重大性を直感し、私もとびおきて木島とともに小畑の傍らへよった。小畑は、大声をあげ、猛然たる勢いでわれわれの手をふりきって、暴れようとする。私たちはそれを阻止しようとして、小畑の手足を制約しようとする。逸見は小畑の大声が外へもれることをふせごうとしてか、小畑が仰向けになっている頭上から、風呂敷のようなものを小畑の顔にかぶせかけていた。私と木島は、小畑の手をそれぞれ両腕でかかえ袴田は足をかかえて、みな小畑の暴れるのをとめようとしていた。すると、そのうち小畑が騒がなくなったので、逃亡と暴行を断念したのだと思って、私たちは小畑から離れ、事態が混乱に陥らなかったことをほっと一安心した状態であった。そこへ、秋笹が階下からあがってきて、だまって小畑のおおいをとった。すると、顔色がかわり、生気を失っている。これはまったく予期しない事態であるので、ただちに秋笹が脈を取り、人工呼吸をはじめ、さらに私がつづいて、柔道の活をこころみ、それを反復したが、小畑の意識はついに恢復しなかった」。
 これらの陳述がその通りなら良いのだけれど、こうした宮本証言によると、引き倒された小畑に対しての取り押さえ側の位置は、袴田が小畑の足のほう、逸見は頭の方にいた。木島は宮本の反対側で暴れる小畑の手を止めようとし、宮本は小畑の右手を小畑の横に座って両腕で抱きかかえる形で止めていたということになる。暴れようとする小畑をどうやって「止める」のか想像出来るが言葉は至って柔らかい。「ちょっと騒いだぐらい」の出来事だと言いなしてもいる。袴田証言、逸見証言、木島証言との食い違いとして、「(小畑が)声を立てようとするので逸見は声をたてさせまいと口の辺りをおさえた」と逸見の行為による窒息死の可能性を積極的に示唆している点と、「私らは彼の手をねじったことはなく、また頭へ手を回した事実もない。胸、腹部を強圧した事実ももちろんない」と当人の行為の無関係を強く主張していることと、小畑の救命活動に尽力したのは自分と秋笹だけだったという評価点の主張が注目される。
 「査問事件」の全体的経過に対して、当時の情況を理解するという観点から今日でも非は非として認めた上で宮本氏の党史的評価をしようとする者も少なくない。しかし、そういう人たちも、当人がこのような主張をし続けていることを知った上で宮本評価をする必要があるであろう。もし、この語りが全体的に大嘘であったとしたら、逆にこれらの弁明だけで宮本氏は除名されるに値するのではなかろうか。人は時として過ちを犯すことはある。問題はその際の責任の取り方が大事であり、「知らぬ存ぜぬ私は関係ない」、検挙以来宮本盲信癖をすっかり醒ました「部下の木島は理論が低い」と言い張る態度はもっとも愚劣とみなすべきではなかろうか。この後でみるが、査問直後木島は宮本の口から党中央委員候補に大抜擢されていることを思えば、木島を「ノータリン」扱いすればするほど宮本氏自身の責任に及ぶというのが尋常の感性だと思うが。「査問事件」で見せる宮本氏の態度はそのようなものであり、宮本氏のそういう性癖を知れば、氏が戦後の党活動で果たしてきた語り、行ないについても右同様再精査されねばならないのではなかろうか。そういう人物が長年党の最高指導部で実権を握り続けていたことになるこの党は一体何なんだということになるのではなかろうか。野坂問題も本当はこういうセンテンスで総括されねばおかしいように思うけど。
 ところで、宮本は、自身の弁明内容と大きく相違する陳述を行なっている逸見に対してどのように対応したのであろうか。これを逐一見ておくことも意味があるがごく簡単に記すことにする。宮本は、「宮本第八回公判調書」、「宮本第九回公判調書」等で、逸見・木島・秋笹証言に対してそれぞれ論評を加えている。それによると、逸見は、薬物依存性患者であり、従って「逸見の陳述は客観性に乏しいものと言わなければならぬ」。木島は、没主体的な言いなりになる男で、査問当時は意のままになったが今は特高の云うままにリードされている。「(前掲文に続いて)それがはっきり判らないようでは、他の陳述も信用する事は出来ない。木島の陳述はその点が曖昧である以上、他の陳述も曖昧であると言わざるを得ない」。木島の云うような「左様な事はさらに無い」、「断じてない」、「対話等、全部相違している」。秋笹は、現在思想的動揺と情緒不安定期にあり(これも地獄耳だなぁ)、良いことも言うが間違ったことも言う。良いことの方は、今回の査問の正義性を確信していることと、宮本の暴力性をさほど指摘しないことと、小畑の死因を逸見の頸締め窒息死ではないかと想像していることにある。間違った認識は、袴田・木島もまたスパイであった可能性があると言ってみたり、赤旗号外でのプロレタリアートの鉄拳云々を党内スパイに対する鉄拳制裁を加えることだというような意味に解釈していることに認められる。「これは彼の誤解であり、プロレタリアートの強固な意思という意味に解すべきである」(何だか今日的な、プロレタリアート独裁を執権と読みかえるべきだという発想に通じる気がするが)と言う。(おしまいのボソボソ)ちょっと漫画調に乗りすぎて小畑氏に申し訳無かったかなぁ。