れんだいじさんの空前の力作が連日投稿されています。私は過去にも投稿していますので、私のだいたいの考え方はおわかりいただけると思います。「スパイ査問事件」については、ロッキード事件が発覚する直前に、国会で春日一幸氏(旧民社党委員長)が取り上げたことによって世間の注目を集めることとなりました。さらに、立花氏の著作が発表され、「犬はほえても歴史は進む」という「赤旗」紙上の反論があったことは覚えています。
その後、何度か断続的に反論が続きました。私の記憶では、野坂氏の『風雪の歩み』(「前衛」)に続いて、袴田氏も回顧録風の連載を同誌上にしたことがあり、それを読んで、詳細は忘れましたが「あれれ、袴田氏がこんなこと(宮本氏にとって具合の悪いこと)を書いていいのかな」と思うような下りがあったことも覚えています。
その当時の私の対応はどのようなものであったかということを書きます。立花氏の著作等はまったく読みもしないで、基本的には「赤旗」紙上に掲載される記事を読んで納得しました。
某巨大宗教団体のカリスマが、わいせつ行為をしたということが週刊誌に報じられたり、その団体の反社会的な行為を暴露する報道があったときに、私は、その信者(私にとっては親しい人でしたが)に対してこれらをどう思うか? と聞いてみました。それは「ためにする批判だ」という一言でした。
いま思えば、私もその信者も似たようなものでした。その私が、今、苦痛を覚えながらもれんだいじさんの投稿を読み続けるのはなぜでしょうか。この間に30年ほどの歳月が過ぎ、日本共産党も大きく変わってきました。今日、私は日本共産党中央の路線に大きな疑問を抱いていますが、その疑問は一夜にして生まれたものではありません。最初は、「大衆闘争をやらない」、「拡大と選挙だけ」という程度のことでした。この程度のことは一般党員なら平気で言うことができます。しかし支部担当の党の専従に何回言っても事態は改善されませんでした。さらに羅列すれば、原水禁運動、たとえば古在さんとの軋轢(古在さん死亡記事さえ「赤旗」には載らなかった)、統一労組懇の結成、「新日和見主義」への対応、「人民的」議会主義路線、ソマリアへの米軍の派兵に賛成する宮本議長の発言…、そして近年では、不破政権論、日の丸・君が代…などの問題が、マルクス主義の古典から学んだことや私自身の実践活動から学んだことに照らしてどうしても「おかしい」と思わざるを得なくなり、疑問として胸の中に沈殿していきました。
そういう疑問は、一面では理論的上の課題として考えなければならなかったし、他面では日本共産党の固有の体質のようなものに向けられていきました。良きにつけ悪しきにつけ、日本共産党の今日の基礎を築いた宮本氏に目がいくのは当然のことでした。党員であれば、日本共産党の「はてな?」の部分について誰でも多少は考えており、少なくとも年輩の党員の中では「宮本無謬論」は、れんだいじさんがいうほど堅牢なものではありません。
私自身の「党中央の路線への疑問」の変遷は、具体的なもの、個別のことがらから、より抽象化されたものへ、より一般化したものへ発展していったように思います。このことは認識論的にいってもだいたいそうであろうと思います。現状では、結集している多くの党員が日本共産党の現在の路線を支持しており、また、特別に宮本氏への批判的な評価をしているとも思えません。
今日の日本共産党の路線の抱える「諸問題」を「50年問題」にまでさかのぼり、かつ、宮本氏の強烈な個性をキーワードとして解明するという発想はユニークですが、あまり唯物論的な方法だとは私は思いません。私の考えでは、もし、党内で宮本氏に対するほぼ正確な評価が定まることがあるとすれば、それは現在の政治路線が全体として検討された後になるでしょう。
れんだいじさんがいうように、「現下の経済不況に伴う大衆の呻吟」という政治情勢の特徴から考えても宮本氏に対する評価を定めることは急を要するものだとは思われません。
党外から日本共産党を批判されることは自由でしょうし、「さざ波」編集部も設立の趣旨からいって、よほどのことがない限りその投稿を掲載するでしょう。誤解のないようにいっておきますが、私は日本共産党の現指導部に対して批判的な立場の党員です。そして、その批判的立場の核心は「綱領路線の擁護」です。また、個人的には宮本氏に対してもそれほど肯定的な評価をしているわけではありません。
現在、少なくない一般の日本共産党員は職場におけるさまざまな差別や偏見と闘いながら日々苦労して活動をしています。彼らの献身的な努力は是とされなければなりません。これらの人々こそ日本共産党の主人公です。これらの人々は、かつての私がそうであったように、おそらくれんだいじさんの投稿の内容を肯定的には受けつけないでしょう。これらの人々の中には、このサイトの存在さえ「反党的」と考える人が少なくありません。しかし、彼らとて日々の実践の中でさまざまな疑問にぶつかるわけであり、具体的な政治上の問題について疑問を持つでしょう。そういったときにこのサイトをのぞき、投稿していく党員がしばしばあります。
れんだいじさんは引き続き投稿を続けられればいいでしょうし、それを止めてほしいなどという気は更々ありません。ただし、れんだいじさんが党指導部の現在の路線を懸念されるならば、そういう一般党員の存在を念頭に置いて執筆されることを希望します。おそらく、私の考えは「さざ波」にときどき投稿する党員の受け止め方とそれほどかけはなれてはいないと思います。
さて本論ですが、れんだいじさんの「敗北の文学」に対する評価はたまたま私が考えていたことと通じるものがありました。たとえば、「将軍」という小説があります。あれなどはあの時代に書かれた小説としては高く評価してもいいと思います。
「スパイ査問事件」に関する投稿を毎日読ませていただいていますが、私は別な面つまり、歴史的な背景を考えています。暗黒の天皇制支配の中で「天皇制打倒」、「侵略戦争反対」を掲げて闘った日本共産党の歴史はあまりにも重く、日本共産党の一員としてこれを否定的に評価することはできませんが、検討する価値がありそうな点を紹介しておきます。
れんだいじさんの投稿にも詳しく書かれていますが、戦前から戦中にかけての日本共産党はその存在さえも許されないほど弾圧を受けました。有名無名の党員が逮捕、拷問、虐殺されました。また、党内には無数のスパイが放たれ、疑心暗鬼の状態が蔓延しました。まずもって、残虐で卑劣な天皇制権力、特高警察が断罪されるべきです。
当時の日本共産党にはほとんど大衆的基盤がありませんでした。この意味で、当時の日本共産党の現実的な影響力は皆無に近かったといえるでしょう。これは第一義的には天皇制権力の弾圧によるというべきでしょうが、一方で、党の綱領上の問題はなかったか、という疑問があります。
エンゲルスが、「1891年の社会民主党綱領草案への批判」(「エルフルト綱領批判」)の中で、興味深いことを述べています。社会主義者取締法が廃止になって間もない時期のことですが、これが復活するのを恐れたのか、この綱領の中には(君主制の廃止を意味する)「共和制の要求」が入っていませんでした。これに対して、エンゲルスは「共和制のことはやむをえなければ避けてとおりすぎることもできる。…ぜひともいれなければならないし、また、いれることができると思われるのは、全政治権力を人民代表機関の手に集中せよという要求である。そして、もしこれ以上にすすむことができないならさしあたってはこれだけでもよい」としています。当時のドイツ社会民主党は党員数、得票率、議席とも戦前の日本共産党とは比較にならないほどの大きな政党でした。
加藤哲郎氏のHPに「1922年9月の日本共産党綱領(上)」という氏の労作があります。党の創立年月日についても異説を紹介してありますが、これによれば当時の綱領には「天皇制問題が不在」であったとのことです。通説とは著しく異なることになります。私にはこれをどう判断してよいのかわかりませんが、「君主制廃止要求」があるいはコミンテルンからの「強力な指導」によるものであった可能性もあります。
当時のきわめて強力な天皇制によるイデオロギー的支配を考えれば、「君主制廃止要求」が当時の日本共産党の存立基盤を著しく狭めることとなったことも考えられます。エンゲルスの柔軟な思考を参考にすれば、当時の日本共産党のあり方をもう一度考えてみることも必要かもしれません。
繰り返しますが、私は当時の日本共産党の存在を全体として崇高なものであったと評価しています。あの状況の中ではたがいにスパイではないかとして査問しあうような事態は避けられなかったという感じがしてなりません。
当時の法制をよく知りませんが、おそらく官憲による死に至らしめるような拷問が許されていたわけではなかったでしょう。にもかかわらず、ほとんど白色テロルに近い形で党員の命が奪われるという状況で、つまり武力弾圧に等しい状況があって、もしスパイあるいはその容疑が極めて濃厚であることが判明したら、(査問が宮本氏の述べる様子とは異なる、れんだいじさんの描く状況であったとしても)、「任意の調査」程度のものですますことができたでしょうか。結果として宮本氏も袴田氏も生きて戦後をむかえることができたのですが、それはあくまでも結果です。天皇制権力と日本共産党との闘いは文字通り生死をかけた闘いであったことは、当時の日本共産党の路線についての評価は別にして、事実として認めなければなりません。
誤解を恐れつついいますが、ここに大衆的基盤が薄弱な左翼の闘いの収斂する姿を見いだすのは私だけでしょうか。私には不幸な時代の不幸な出来事としか表現のしようがありません。
そして、小畑氏がスパイでなかったとしたら(れんだいじさんの投稿によれば、そのことに関する傍証には説得力がありますが)、それは何としても歴史に銘記されなければならないでしょう。特に彼の母親の話は印象的でした。