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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

その5.両鑑定書に対する袴田と宮本の対応ぶりについて

1999/11/20 れんだいじ、40代、会社経営

 この新鑑定結果に対して、袴田がどういう態度を取ったかを最初に見ることにする。簡略にまとめるとかく述べているようである。曰く概要「 古畑鑑定書はぜんぶがそうだというわけではないが、基本的にはわたしの結論と同じものでした」と言う。つまり、「古畑鑑定書」に対してこの前半部分では「基本的にはわたしの結論と同じ」とこれを評価していることが判る。これが本来の袴田の了解の仕方であったものと思われる。ところが、この後から論調が急にカーブし始める。曰く概要「なぐって『脳しんとう』を起こさせたとすれば、それだけの傷痕が残っていなければならない。ところが小畑達夫の頭をしさいに解剖した調書を見ても、そういうものはない。だからこれは『脳しんとう』を起こして死んだのではない」と言う。かなり歪曲話法ではあるががまんして聞くことにする。曰く「心臓その他の臓器を調べてみると、心臓は肥大し、膵臓その他も厚い脂肪の層でとりかこまれているおり、心臓の内部にまで脂肪がはいりこんでいて、その結果、心臓肥大ということになっている。心臓や内臓に脂肪がはいりこんでいる、こういう状態は、酒を大量に飲む人のなかに見られる。また、病的に心臓肥大した結果としてそういうこともある。そういうことが再鑑定には書いてある。たしかにスパイの小畑というのは、大の酒くらいで太っていた。こういう心臓をもった人は、突然人からどなられたり、なにかで驚いたりすると、『ショック死』することもある。だから脂肪の原因は『ショック死』である、とそう書いてあるんです」とある。「脂肪の原因は『ショック死』である、とそう書いてあるんです」というこの表現は文章になっていない。これから訳の分からないことを言い繕うぞという兆しであろう。曰く「ですから、私たちが殺人とか傷害を加えて死亡にいたらしめたということは、まったく事実無根であることが証明されたわけです。こうして控訴の公判では殺人という罪名は消えた。殺人未遂というのも消えました。しかし、また傷害致死という不当な罪名をきせられ、一審より二年けずられたが、懲役13年という判決を受けました」とある。あららっ、「事実無根」で「傷害致死という不当な罪名」をきせられとでも受け取れるような調法の言い方で煙に巻かれてしまった。この論旨展開はどこかで聞いたことがある。ソウカ宮本さんのの検閲を受けたていたということだな。一目瞭然だよ。ただし、宮本は同じセンテンスで「梅毒」を持ち出したが、袴田はそれは余りにもと思ったのだろう「酒飲み特有の脂肪肥満」を要因とする「内因性ショック死」を暗示させるという違いを見せてはいる。
 さて、それではこれらの両鑑定書に対して宮本はどう公判陳述をしたのかを見ていくことにする。その前に、この陳述には内容以前の不思議なことがあることを最初に指摘しておく。つまり、宮本の陳述を聞けば、既述したところではあるが、自らの予審尋問調書一切を取らせなかったのに関わらず、逸見・袴田・秋笹ら皆の調書一切に目を通しており、そればかりか袴田調書批判の中で「査問状況に関しては不正確な陳述がある。上告審までの間にかなり訂正のあとはみえるが、なお根本的に是正されていない」とあるように逐一調書内容の訂正の動きまで把握していたようである。更にはこの稿で関係する両鑑定書のみならず関連した医学書にまで精通していることが自ずと知れることになる。一般に、被告人にもそういう機会が与えられることを私は肯定するが、当時の裁判制度上にあっては珍奇な現象なのではなかったのではなかろうか、と思う。他の被告人とのやり取りにおいても、自分の手の内を明かさず、相手の手の内を読みとれるとしたらいかほどか優位に弁論することが出来よう。他の被告も同じ様な機会に恵まれていたのかという疑問と、一堂に会させて訊問すれば余程真実を明らかにしえたであろうになぜそうした合同式の法廷にならなかったのだろう(真実解明のためかどうか新鑑定人まで用意した裁判長がなぜそのように指揮しなかったんだろう)、と疑惑を最初に述べておきたい。以下、宮本が喋りすぎて思わずボロを出している様をうかがうことにする。もっとも蓋然性の高い「外傷性ショック死」について縷々述べれば良いと思うが、ひとしきり「脳しんとう死」の否定講釈を聞かされ、最後の方でやっと僅かに「外傷性ショック死」の否定論拠を聞かされるという流れになっている。
 宮本の「第五回公判調書」陳述を解析する。まず「宮永、村上鑑定書」に対して次のように言う。曰く概要「特に宮永鑑定人は、『脳しんとう』による死亡と断定し、斧かなんかで殴ったのであると斧を推定し、『脳しんとう』以外の死因については考える必要がない」と述べたと言いなす。実際に宮永鑑定人が法廷でそのようにいっているのかどうか私の調べは出来ていない。「『脳しんとう』以外の死因については考える必要がない」とまで本当に言い切っているのであろうか。「宮永、村上鑑定書」中にはそのような記述は無い。お得意の詐術ではないかと私は思っている。こうして、宮本は、この「脳しんとう死」所見に対して、当時の情況を自己流に説明しながら曰く「宮永鑑定人は、その当時の状況を全然しらないのでだいたい想像に基づいて鑑定したものであると考える」、「全体的に宮永、村上両鑑定人の鑑定は頭から『脳しんとう』の予断をもって鑑定し、小畑の体質につき詳細な検討をしていない」、「宮永鑑定人の断定は疎漏である」と反論する。このような結論を出す経過の文章は、どちらが医師かわからぬ程の専門用語を駆使しながら知識を弄ぶ。別にそれを悪いというのではないが、一体独房にあって宮本氏はどうしてこのような博識な知識をえたんだろうかとその方にこそ関心が向いてしまう。背後の知恵者の存在を窺うのは穿ちすぎであろうか。実際の言い様を紹介したいが煩雑になるので略す。ご不審があれば各自でお調べいただきたいと思う。
 次に古畑鑑定人の鑑定について、宮本は次のように云う。曰く概要「『古畑鑑定書』は『宮永鑑定書』にくらべると是正され真実にちかく、結論として『ショック死』を断定している」と、新鑑定が「脳しんとう死」その他殺人罪が問われることになりかねない死因を退けて傷害致死罪に繋がる「ショック死」を考慮したことが偉いと言う。既述したところであるが、「古畑鑑定書は、文中で確かに「ショック死」の学問的吟味をしている。その後でこの度の小畑の死因としては「外傷性ショック死」を鑑定しているというのが実際である。それをわざわざ単に「ショック死」との記述部分だけを取り出してお得意の歪曲すり替え話法へと誘おうとする。こうした下地を準備した後に、曰く「政治犯人に何等の好意を持たない鑑定医さえ、『脳しんとう』を起こすような損傷も打撃もないと証明して『ショック死』と推定した」のだと言い切る。事実はこうだ。古畑鑑定人は、「良心」に従い殺人罪につながる「脳しんとう死」を否定した。同時に同じ「良心」に従い傷害致死罪につながる「外傷性ショック死」を鑑定した。ここまでが被告人達の意向に歩み寄れる氏の「学者的良心」の精一杯のところであった、と私は推定する。
 結局のところ、「古畑鑑定書」もこれ以上の意味役割を果たさなかったから、こうなってしまっては宮本は自力で冤罪説の構築に向かわなければならないことになった。曰く「一応前者の鑑定の曖昧な点が是正されているが、後者の鑑定についても考察すべき問題がある」として、傷害致死罪をもたらすような鑑定もまだ本人の意に添わないという。「その鑑定書を読んでみると小畑は『ショック死』を起こしやすい体質であるということがよくわかる。すなわち、実質性臓器に脂肪沈着あり胸腺残存しおり、『ショック死』をおこしやすい体質であることが同鑑定書の16,17,19,24の記載で明らかである。また小畑の心臓に粟粒大の肥厚斑数個あるとの記載があるが、これは梅毒性体質の特徴で『脳しんとう』類似の症状によって急死することがあると法医学者も説いている。しかるにその点をよく考察せず、当時新聞で騒ぎ立て事件を誇大に報道した雰囲気に押され学者的冷静と忠実を失ってしまったと思う」と言う。宮本氏の手に掛かってはとうとう古畑鑑定人も「学者的冷静と忠実を失ってしまった」御用人物にされてしまった。宮本のような御仁に気に入ってもらうためには宮本の言いなりにならない限りいかようにもたたかれることが判る。
 曰く「『傷害致死』という罪名について見るに……とくに重大な損傷のなかったことは鑑定書さえ証明したのであるから、この罪名も結局、変節者の陳述によって推定的に加えられたものに過ぎない」、曰く概要「『ショック死』とは、死にいたるような特別の病変なくして突然心臓の停止にいたるもので、軽微な原因でも容易に死にいたることも考えられ、特異の体質の者が『ショック死』をおこすことは大いにありえるのである」と言う。小南又一郎著『実用法医学』、三田定則著『法医学』の当該箇所を参照してもこの点明白であると言う。「古畑鑑定人は神経過敏の者とか、不安定の者は『ショック死』をおこしやすいといっている」ではないかと言う。宮本は、こうして、学者に対しては学者の権威をぶつけながら「内因性ショック死」の可能性を頻りに説いて聞かせる。とはいえ、古畑鑑定人の鑑定の都合の良いところの「ショック死」という言葉だけを上手に引き出しただけであることが容易に見て取れるしろものでしかない。
 以上ひとしきり煙幕を張ってから、何を言おうとしているのかと見ていくと、曰く概要「古畑鑑定の説明にはまだ充分でないところがあり、具体的にとくに小畑の体質について検討をおこたっている点は、宮永鑑定人と同様であり、ただ一般の場合として左様な体質を有する者は先天的に『虚脱死』をおこしやすい素因をもっているというにとどまり、その結果説明の主点を疲労や精神的苦痛においている」と言う。つまり、「古畑鑑定書」が「ショック死」を推測したのは良いが、その要因として「疲労」や「苦痛」という具体的要因を挙げているのがけしからんというわけである。結局ここに戻らざるをえないと言うことでもあろう。しかし宮本氏もさすがの人である。「疲労」や「苦痛」という具体的要因が存在しなかったという論証に自ら向かおうとする。並の精神の人では出来ない。これをどのように言いなすかみてみよう。いかにも宮本らしい話法が聞こえてくる。
 曰く概要「小畑の場合には、苦悶らしい声も出さず」(ボソボソ)猿ぐつわでどうやって声を出すのだ、「のみならずその間隙をみて逃亡さえ計画する余裕をもっていたのである」(ボソボソ)ものはいいようだなぁとつくづく思う、「査問は交互にやったので、押入にいる間は横になれて休息を得られたと思われる」(ボソボソ)マジで言っているんだろうか、「したがって古畑鑑定人のいう著しい疲労困憊はありえない」、「また精神的の苦痛もない」、「暴行脅迫をしたこともないから、それに基づく精神的苦痛もない」、「しいていえば、小畑はスパイたることを暴露されたので、それが苦痛であったと思われるくらいのものである」(ボソボソ)この言い方が気持ちが悪い私には。何とも宮本的な断定調だ。それはそれとして、古畑鑑定書も指摘した「飢えと渇き」については言い繕いが出来なかったのかダンマリを決め込んでいる。「外傷性ショック死」を否定するのであれば、この絶食査問についてこそその当否を語らねばならないキー事項なのではないのか。なお、宮本は、小畑の傷は本人が押し入れ内で暴れて自損した傷だろうとも言いなしてもいる。曰く概要「(押入で自損傷していることに触れずに『古畑鑑定書』が)軽率に外傷即暴行としている点は前鑑定者の傾向を踏襲している。査問は静粛に行ない、暴力の使用は極力注意した。手足を縛ったままで彼らを押入から出入りしたから若干の影響は手足に残ったかもしれぬが、特に傷らしいものは見ていないし、また予審終結決定に記載されてあるような暴行は加えていない。したがって外傷を加えられた暴行という鑑定は妥当ではない」。こいういう物言いを詐術と言わずして何と言えばよいのであろう。
 しかしそれでは何が原因なんだということになるが、宮本氏は毅然として以下のように逆推定する。「体質性ショック死」ないしは「持病性心臓麻痺死」ではないかと自ら結論を用意する。「体質性ショック死」については、「法医学によると『ショック死』は激論しただけでも、またちょっと指なんかでさわっただけでも特異体質のものには起こる場合があるというから、『ショック死』であるとすれば死因は体質に置くべきである」と説明する。「持病性心臓麻痺死」については、「小畑の場合は心臓は人並みより大きく、また心臓に脂肪沈着が多くまた心臓に肥厚斑があったという点から『内因性急死として心臓死』も考えられる」、「古畑鑑定人は、『ショック死』と断定したからほかの死については考察の必要がないというが、宮永鑑定人の鑑定書の内臓に関する記載を前提としてみても『心臓死』と考えることは不自然ではない」と説明する。「結論として小畑の死因は、同人の体質の特異性に主因を置くべきであって、自分は小畑の体質の脆弱が死因なりと考える」、「われわれは、むしろ『心臓麻痺』と推定する方が妥当だと公判廷で主張したのである」。ここでも宮本は「古畑鑑定人は、『ショック死』と断定したからほかの死については考察の必要がないと云っている」と言いなしているが、法廷陳述でそう言ったというならともかく鑑定書中にはそのような記述はない。「宮永、村上鑑定書」もこの話法でやり込められていたことは既に見たところである。
 こうしていつのまにか小畑の死因は「梅毒」か「心臓麻痺」か「異常体質性ショック死」にされてしまった。「『ショック死』は激論しただけでも、またちょっと指なんかでさわっただけでも特異体質のものには起こる場合がある」とわざわざ指摘していることを考えると、宮本はひょっとして「ちょっと指でさわった」ので小畑が死んだとでも言いたかったのだろうか。そこまでは言ってないにしても、小畑は自分の体質の責任で偶然にもポックリ死んでしまったというのが真相だという程度には言っていることになる。もはや、私は言葉を失う。