取り急ぎ投稿させて頂きます。金城さんは少し先輩の方に当たるようです。恐らく67-69年辺りの闘争渦中を現役しておられたようですので当時のことをもっともっと教えて頂けたらと思います。私は、70年後のキャンパスの動きしか分かりません。従って、全共闘の実体に対して肌で感じたことはないのです。関連諸本からの類推で全共闘運動とは何であったのか総括しようとしております。そう言う意味で、金城さんの手触りと少し違う部分があるかとは思います。私の気持ちとしては、この辺りの実際に対して、この通信紙上で当時の民青同系の活動家・全共闘系の活動家・ノンポリの方たちにより実証して頂きたいと思っています。なぜ拘るかというと、67-69年期の左派運動は、戦後史上の青年大衆闘争としてエポックをなしており、あの時代には今日に有用ないろいろなメッセージが発信されているように思われるからです。小林多喜二的なプロレタリア文芸家がいたら魅惑的な作品が生まれ、今日の若者にも愛読され続けられている内容を持った作品が出来上がっているように思われます。個々の理論の是非は別にして、天下・国家論を多くの若者がコミュニケーションしていた事実こそが大事であり、今日の状況はこの点で閉塞しているのではないかと思っています。もっとも、こうしたパソコン通信が普及し始めることにより、新しいコミュニケーションが生まれつつあるのかなぁとも考えてはいますが。ちなみに、私は、こうしたコミュニケーションを通じた相互作用こそ確実な「生きる、生きている」ことの証なのではないかと考えています。
金城さんよりそして他の方からも今後も積極的にご投稿頂けましたらホットします。何せ、私の投稿が「さざ波通信」の盛り上がりを邪魔しているのではないかと譴責を受けており、随分気にしているのです。もっとも、一線を踏み越した発言していますので、気分を悪くされる者も多いだろうとは予想しており、全ては我が身が招いていることを承知しています。しかし、私の性格上ほんわかとした発言が出来ないのです。思ったことを思った通りに発言しないと私自身が納得し得ないので目一杯の発言にどうしてもなってしまいます。どうぞそういう私を片隅に追いやって下さい。私もいろんな意見を聞かせて頂いた方が勉強になりますし、いろんな見方を知る方が為にもなります。