党の民青同に対する強権指導ぶりは、後世において無茶苦茶であったと総括されると思われるが、その理論的根拠の一つに「ベルト理論」がある。「ベルト理論」とは、党の方針・決定が伝達される場合に、党中央→大衆団体内の党員フラクション→大衆団体決議→国民一般への働きかけという図式でなされ、この間民主集中制原則が貫徹されて上意下達式に極力一方通行化するのが望ましいとされる理論である。問題は、党内ならともかくも、大衆団体組織に対してまでその自主性を尊ぶよりは、ベルト式自動調での下請け機関視されていることにある。党中央にとって非常に好ましい組織論・運動論の典型的理論であるということになるが、大衆団体組織を党中央に拝跪させるこうした理論の功罪は罪の方が大きいというのが今日では自明であるように思われる。こうした「ベルト理論」はスターリン時代に満展開された手法であるが、宮本氏の思考スタイルにもぴったりのものであったようで、宮本執行部確立以降においては反対派生息の臭いがし始めるや否や大衆団体諸組織に対してこの理論が堂々と押しつけられてきた。「宮本氏は、その後、このスターリン『ベルト理論』型思考に基づいて、1983年に、『民主文学四月号問題』で、対民主主義文学同盟クーデターを発動しました。そこでは、文学運動とまるで関係のなかった、元宮本国会秘書・宇野三郎常任幹部会員を粛清担当につけました。1984年には、原水協と原水禁・総評との統一行動問題で、対平和委員会、対原水協クーデターを強行しました。この対民青クーデターをふくめて、宮本氏は、共産党系大衆団体への3大クーデター事件を成功させた、『ベルト理論』の偉大な実践者です」ということになる。ちなみに、「民青同は日本共産党のみちびきを受ける」ことを規約に明記した組織で、この「みちびき」を拡大解釈すれば容易に「ベルト理論」と接合することになる。
もう一つ、党の強権支配を容認せしめる理論的根拠になっているものとして「一国一前衛党理論」がある。「一国一前衛党理論」とは、一つの国には一つの前衛党しかあり得ないとする議論で、時の執行部を権威付けあらゆる分派活動を厳格に禁止する論拠となった。こうなると、前衛党の執行部を掌握した者ないしそのグループには正統のお墨付きが授与されることになり、この如意棒を振り回すことで絶大な権力が形成されることは自明であろう。わが国においては、「六全協」後宮本グループが党内権力を確立し、以来反対派はその都度異端視され排除されつつ今日まで至っている。これに対し、70年代の後半からであったか、「当時中野徹三、藤井一行、田口富久治ら一部の党員政治学者たちがマルクスやレーニンの党組織論にさかのぼりながら、それまで共産主義運動の中では自明のこととされた『一国一前衛党』論に対する疑問の提起を始め、スターリン主義の批判的検討に向けて精力的な理論活動を始めていた」、「しかし、理論的に複数の前衛党がありうるとすれば、党内に発生した分派は、もう一つの前衛党の萌芽かもしれない。少なくとも分派だからといって直ちに『反革命分子』と決めつけることは出来なくなる。学者達は、マルクスやレーニンも本当は『一国一前衛党』などとは言っていないはずであり、単純なドグマに仕立て上げたのはスターリンだったのだ、と議論を展開していた」(「査問」176P)。こうした理論的貢献を認めるほど現党中央は度量が大きくはない。党中央は、このような理論的解明に向かおうとする学者達に対する締め付けを強化発動させた。不破氏は、こうした際には最も戦闘的イデオローグとして立ち現れ、口舌家として活躍することになる。
もう一つ、党の強権支配を容認せしめる理論的根拠になっているものとして「民主集中制組織理論」がある。この組織原則の実際の運用のされ方は、「民主」を成り立たしめる手続き的要件の解明に向かうことなく専ら「集中」の作法に則っての恭順を党内に催促することとなり、これに誰も異論を唱えられないという不思議さを生じさせる。こうなると、「民主集中制」とは名ばかりであり、実際には権力掌握者一般が常用してきた権力理論そのものでしかない。しかしながら、これが好評で、国際共産主義運動に広く採用された「不変の原則」的組織論となって今日まで通用している。これを説明すると紙数を増すばかりとなるので、分かりやすい定型句で説明する。「共産党の原則からすると、党中央の方針は絶対のものである」、「共産党には党中央委員会に従わねばならないという原則がある」、「党には、党の決定は無条件に実行しなければならない。個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は、党大会と中央委員会に従わなくてはならないという党規約がある」、「忠実な党員ほどこの原則は絶対的なものであり、こうした党員が党を支えている」、「次には疑うこと自体が問題だという思考方法に発展する。こうなると、中央幹部のいうこと以外目に入らなくなる」。
どうやら、こうした組織論の前提として、「党は組織全体が一つの体のようなものであり、その頭脳は中央委員会であり、個々の党員はその細胞のようなものであり、細胞の情報の一切が頭脳に集中されてこそ」云々(「査問」23P)という頭脳=党中央・その他の身体機能=党官僚組織・身体細胞=個々の細胞党員というアナログ唯物論が背景にあるように思われる。とするならば、最新の大脳生理学とかDNA理論を大胆に取り入れ、身体機能の相互関連の仕方を学び直す作業が急がれており、このことには大いに意味があるということになる。ちなみに、民青同は「日本共産党のみちびきを受ける」手足のような青年組織機関で、「党にとって重要なプール組織である」とも認識されている。
もう一つ、党の強権支配を容認せしめる理論的根拠になっているものとして、党規約「第2条8項違反容疑」というものがある。第2条8項とは、「党の内部問題は党内で解決し、党外にもちだしてはならない」という内容である。この文言だけなら有り得る党規律のようにも見えるが、ここでも問題は基準づくりである。「党内」・「党外」の範囲に対して驚くべき拡大解釈がなされていくことにより、容易に規律違反がでっち上げられ統制処分の対象となる。「党の内部問題」には、専従の就任から解任、会議の内容という事実的事象に留まらず、党の理論問題・党幹部の発言までが含まれ、これらに対する批判的見解、異論の一切が「党の内部問題の漏洩」に結びつけられることになる。不思議なことは、「党外にもちだす」とは、日本共産党の外部というだけではないらしい。民主集中制の垂直制組織原理の下では、共産党内の他支部所属の党員にその批判、異論を話すことも含まれるということのようである。日本共産党の「垂直制組織原理に基づく組織の縦割り的仕組み」からすれば、横どうしの横断的交流は規律違反で、上下関係しか認められていない。日本共産党の一つの支部、あるいは一人の党員にとって、他の支部は「(準)党外にあたる」ということになる。従って、党内での水平的組織交流を通じての批判・異論の開陳は、すべてこの党規約第2条8項違反の規律違反として処罰の対象になる、ということのようである。
そもそも党組織論における「垂直制組織原理に基づく組織の縦割り的仕組み」の由来は「レーニンとボリシェビキ時代」に遡るようであるが、現在の日本共産党の「人民的議会主義路線」時代には不釣り合いな規定のように思われる。現党中央は、一方で議会を通じての平和革命の可能性の現実性を頻りに説きながら、他方でこうした前近代的とも言える組織論を見直し新しい時代の可能性と現実性に基づいた組織論についてなぜ考究しようとしないのだろう。整合的に説明して貰いたい。今やポルトガル共産党と、日本共産党の二党だけに残る組織原理ということのようであるがオカシクはないのか。このことに関して宮地氏は次のように解説している。「合法政党になったのにもかかわらず、それを放棄しない理由として考えられるのは、一つです。横断的、水平的交流を厳禁し続ける方が、党内管理、党中央批判抑圧の面で最適だからです。この組織原則を堅持する以上、党中央批判が集団的になることは絶対ありえません。なぜなら、一人の意見は、上級機関に対して“垂直”にしか提出できず、それを握りつぶすことも、その批判者に規約外の“陰湿な報復”をすることも、常任幹部会の恣意的な裁量にまかされるからです。それだけでなく、集団で批判を話し合ったり、あるいは提出する動きがあれば、『分派活動容疑』『規約第二条八項違反容疑』で査問し、党内排除・党外排除の粛清をただちに遂行できるからです。常任幹部会の地位安泰にとって、これほどありがたい組織原則はありません」、「専従、党議員、機関役員の党中央批判意見書の提出行為も、ストレートには査問の対象になりません。しかしその提出者に対して、専従の場合は即時解任、党議員、機関役員の場合は次期非推薦という党中央常任幹部会の陰湿な報復をうけます。これは、規約に基づかない報復処分ですので、党内でのそれとの闘争手段はまるでありません。どれだけ多くの党員が、この不条理な粛清に“泣き寝入り”してきたことでしょうか」とある。
もう一つ、党の強権支配を容認せしめる理論的根拠になっているものとして、「スパイ容疑」理論がある。スパイは、戦前は特高とつながっていたが戦後は公安調査庁との関係となる。公安調査庁は様々な巧妙な手口でスパイ工作を仕掛けるが、スパイはもっともスパイらしくない顔をして働くという単純なことが忘れられやすい。スパイは最も熱心にスパイ摘発を行なう側で画策する傾向があり、言葉尻だけでは判明しないということを付言しておく。ソ連邦等革命政権を樹立した国家においては、更に国家反逆罪容疑、西側のスパイ容疑、トロッキスト断罪、党破壊工作者、反革命罪などが加わる。史上、スパイ容疑者に対する拷問、スパイ自白への巧妙な誘導、スパイを自白した者に対してなされた処分としてのその場での銃殺・強制収容所送り・強制重労働・懐柔の例は枚挙に暇がない。
こうした様々な党の強権支配を容認せしめる理論が結節したものとして「分派禁止理論」があるように思われる。「 ここでいう分派とは、日本共産党の内部で、党の方針に反対したり、自分たちの方針や考えを党に押しつけるなどのためにつくられる派閥的グループのこと」であり、「日本共産党は、党の規約でこういう派閥活動、分派活動を禁止し、党員は『全力をあげて党の統一をまもり、党の団結をかためる。党に敵対する行為や、派閥をつくり、分派活動をおこなうなどの党を破壊する行為はしてはならない』(第二条)とさだめており」、「これは、1950年に当時の徳田書記長らの分派活動によって党中央委員会が解体され、全党が分裂と混乱に投げこまれた『50年問題』という党自身の痛切な体験を教訓にして確立されたもので、統一と団結を保障する日本共産党の大事な組織原則の一つであり、国民に真に責任を負おうとする近代政党なら当然の原則です」と言う。「徳田書記長らの分派活動」云々と平然と言い放つ感性は共有しがたいが、とりあえず論旨として聞いておくことにする。
これに対する宮地氏の次のような指摘を紹介しておく。氏は、分派活動には上記のような反「党中央」的分派だけでは無く3つの判定基準があると言う。通常言われる分派とは、「政党の内部で、その綱領や方針と規約に反対してつくられる派閥的グループ」のことであり、反「党中央」分派として立ち現れることになる。これに対して、党中央派の前衛党最高指導者グループによる私的分派もれっきとした分派の一つではないかと言う。それはそうだろう、秘書軍団も含めた宮本グループはれっきとした宮本分派であると私も思う。もう一つ、このたびの新日和見事件で鋳造されたような「2人分派、3人分派と云われる偽造分派」もあると言う。偽造分派とは、偽札や偽造コインのようなもので本来の分派要件を満たしていないが、党中央派により無理矢理でっち上げられる分派のことを言う。新日和見事件の場合、“分派のふたば”を嗅ぎ取れる程度のものでしかなかったが、個人宅、喫茶店、居酒屋などで一回でも党中央批判した者に対して「2人分派」を認定していくことになったのがその好例であると言う。「2人分派」理論は恐ろしい。二人でコソコソないしボソボソと話をしただけでも分派容疑になり、これでは党員同志の本音話しは出来っこない。これに密告奨励が加わると立派な治安維持法下の体制ではないのか、と思えたりする。史上「袴田の分派活動」も宮本式規律違反デッチ上げによる宮本鋳造“偽造分派”ではないかと言う。つまり、こうした新基準で分派認定すれば際限がないことになり、党中央派に対するイエスマン以外は危ないということになる。ただし、こうしたこれほど極限化された分派認定は宮本体制下の日本共産党特有の理論のようである。