この2-3回の貴氏の論調を見ての率直な感想です。権力と党幹部の陰謀説的な方向へ流れていきそうで、心配です。党幹部が実際に何を考えていたのか、「新日和見主義」の人たちが書いていることが真相なのか、おそらくかなりの時間が経たないと分からないのではないでしょうか。御自分で書いておられるのですが、そのわからないところをいろいろなエピソードから推測して「こうだ、こうにちがいない」というのは、推理小説ならともかく、党史論としてはちょっと受け入れがたい手法ではないでしょうか。
民青の年令問題にしても、問題となった会議以前から党や民青の支部では漠然とではあっても討論をしていました。具体的に何歳を上限とする、という議論はなかったですが、私が覚えているのは学部から大学院へ進学する時(当然最年少で22才、司法試験絡みの人だと25-30才での入学もある)そのような議論があって、大学院では民青班をもつことをやめて全員党員にするか、というような話をしていました。ほかの大学の大学院を受験する際にそこの組織について事前に問い合わせたこともありますが、大学によってまちまちな対応をとっており、実質的に民青「卒業」年令を規約より引き下げていたところもありました。もちろん全国的な方針としてどうしよう、といった議論があった記憶はありませんし、決定/即実行と党が決めたとしたのなら問題ではあります。でもあの議論は決して「新日和見主義」をおとしいれるための罠とか陰謀とかで突発的に出てきたものではないです。
負の歴史から将来の方策をたてるための教訓を学ぶ、というのがこの場の共通点にしませんか?積極的には、党の方針について、党内外の議論をどのようにフィードバックするシステムを作るか、党へ提案していくか、と言うことだと思うのですが、このところの議論だと、私はあなたがきらいだ、なぜならば云々という論議、(離婚理由の後付け?)、しかしていないように感じます。
言い過ぎでしたら、お許しください。