「雑録1――「査問」を歴史から消す不破指導部」(「さざ波通信」第14号)が指摘するように「査問」は、規約違反者に対する調査を表す用語として従来党内で普通に使われてきた。この事実を消すことはできない。いま、査問という「制度」はないなどといった論理でこれを否定することは、戦前のスパイ査問事件に対する新たな疑問を呼ぶことになる。
社会的に不法・不当な手段によって規約に違反し、仲間を権力に売り渡すスパイに対して「査問」を行なうことは当然のこと。とくに、戦前のような民主主義もなく非合法下で、スパイに対する調査がより強い語感をもつ「査問」という形で行なわれたことは理解されることである。
こんにち「査問」という言葉が暴力を伴うかのようなデマ宣伝を許さないということであれば、今後は「査問」を使用しないことを徹底するべきであろう。
しかし、これは単に用語の問題として片づけられない側面をはらむ。規約では「査問」という用語はないにもかかわらず、長く使用されてきた。その背景には、ひとつは、前述したように悪質な権力とスパイに対する正当な怒り・抗議の表明。もうひとつは、社会変革、民主主義に対する理解不足、政策能力の低さ、民主集中制が助長する集団主義的傾向等からくる異見をもつ党員に対する偏狭な対応。後者のなかで、誤った「査問」、ある種の排斥が行なわれたことを否定できない。
これら(戦前の問題、戦後の両側面の3つ)に対する適切な総括と名誉回復の措置がとられ、それらと平行して民主主義を担うにふさわしい真に開かれた民主的党の実現なくして多くの国民の支持は得られないと考える。