隣の社会主義欄がためになった。私は科学的社会主義という概念で、戸坂潤を思い浮かべる。あの熱狂的な日本イデオロギーの時代に、戸坂は国粋主義に対置して、科学を掲げた。
科学。そこでは、エンゲルスやレーニンやマルクスの理論を解釈してみせることが官憲から許容される時代ではなかった。戸坂の科学的精神は世界のどこでも理解可能であること。日本でしか通用しないような特権主義でなく、どこでも翻訳や理解可能である、そのような真理の前では平等であることが重要な要素だった。
同時に科学は疑うことを前提とする。すべてのことは疑うに値する。疑うことさえ許されないような非合理によって軍部の意向は天皇制イデオロギーは国民を貫いていった。
つまり、戸坂が必死にあらがった時代は、非合理と闘うためにも科学的精神の称揚が求められていた。
現在の日本にとり、科学的社会主義はやはり必要ではあるが、さらに同時代を生きる共生と新たな統合原理が求められている。統合原理とは、さしあたり抑圧と弾圧のグローバリズムにどのように抵抗し対案を創り続けるか。そこでは、はじめに科学的社会主義ありきではない、実態にどう応じるかが求められている。