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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

死後に「公式」の批判の予言

2002/12/8 木村愛二、60代以上、元日本テレビ社員、現電網雑誌編集

 先に私は、古在さんの問題で、日本共産党が故古在さんに謝罪したら、日本共産党は崩壊するであろうという主旨の投稿をした。この考えを、もっと積極的に展開すると、もっと予言的なことになるのである。
 戦後の日本共産党の歴史を概観すると、最初は「徳田球一」(とっきゅう)の「家父長制」が死後に批判され、宮本顕治(「みやけん」、または「ずるけん」)のカリスマ支配が続いた。その間、「ずるけん」に逆らう者は次々と追放され、除名、その後も「反党分子」攻撃で社会的に「葬られた」。
 しかし、その「葬られた」はずの勢力の方が、逆に、日本共産党を包囲し始めた。日本共産党の内部の方は、イエスマンと子供ばかりとなり、日本共産党は、いわゆる大衆運動への支配力を失い、いわゆる文化人からも孤立した。批判も高まった。その典型のひとつは、以下である。詳しくは直接、そこを訪問されたい。

ずるけん変態長征

「宮顕のはるかなる変態長征」
(戦後後半・新日和見主義事件以降現在まで)

[中略]

1994年
(平成6年) 【下里赤旗記者査問、除名と作家森村誠一氏の日本共産党との絶縁事件】

 党内反宮顕派清掃第19弾。1994年10月、「日本の暗黒」赤旗連載の突然中止をめぐって下里赤旗記者他2名の査問、除名と作家森村誠一氏の日本共産党との絶縁が発生した。この時、担当常幹、赤旗編集局長と激論した結果が査問と統制処分であったと云う。下里氏は赤旗記者を解雇され、この経過を公表し除名処分になった。

 「日本の暗黒」赤旗連載の企画は、もともと国会での浜田幸一議員の「小畑査問死事件」に対する質問をテレビで見た作家・森村誠一氏が、「この問題を徹底的に明らかにしたらどうか」と赤旗編集局に進言し、それがきっかけで連載企画が進行したものであった。党の内部で集団的に長時間をかけて検討し、何度もの会議と決済文書を積み重ね、「日本の暗黒」の第一の柱として「スパイ査問事件」を取り上げることが決まり、これを元に、党外作家と赤旗編集局長の合意が成立し、1989年に連載が始まった。 上級の集団的チェックを受けた原稿によって、多くの読者を獲得して進んでいたものが、いよいよ同事件に筆が進みそうになった直前1991年6月の時点で、突然中断となった。何の問題もなく、万事順調に進んでいた連載が、なぜ突然中断になったのか。この背後には、宮顕のこの事件に対する徹底した隠蔽体質があるとしか考えられない。

1997年
(平成9年) 【引退】

 9月の第21回党大会で宮顕議長が引退。名実ともに「破―志位」体制が固まる。「21世紀の早い時期」に民主連合政府の樹立をめざす政権構想を打ち出す。連立相手について不破氏は「修正資本主義論の立場にたつ勢力でも」と語る。[終わり]

 つまり、「ずるけん」の引退とともに、当然のことながら、「変態長征」事件は発生しなくなっているのである。やがて、「とっきゅう批判」、または「スターリン批判」と同様、「ずるけん」の死後に「公式」の批判が行われ、新しい「王朝」の「正式」な開幕となるであろう。
 このような「王朝」の交代と歴史記述の「歴史」は、中国にその典型を見る。
 こんなことで、何が社会主義だ、何が共産主義だ、ということにもなるが、それも別途、詳しく論ずる予定である。