先の「査問事件」の考察は恐らく私の畢生の労作になったと自負しているが、今のところ誰からも批評を頂けないので拍子抜けしてしまう。マァ元気出して行こう、元来ネアカなので気にしないと思っていたら、宮地さんのホームページで取り上げて下さり、やはり見ている方もおられるんだなぁと心強くなり、頑張って書き続けていこうと再意欲が出ました。私の「査問事件」の考察は、一連の流れをドラマ化させたという点で、たたき台として誰かがせねばならない作業であったと今でも自負しています。是非党の再生作業の一里塚としてご利用賜りますよう改めてお願い申しあげておきます。あの作品が党の旗を守ることと現執行部を擁護することとは認識上厳格に区別する必要があるということをモチーフにして書き上げられているということをご理解しつつ読み進めて頂ければなお真価が見えてくると思います。
このことは意外に重要な指摘です。私は今「新左翼20年史」(新泉社)と「戦後史の証言ブント」(批評社)を読んでいます。「新日和見主義事件」の解明の前作業として必要だと思っているからです。気づいていることは、島氏らを初めとした当時の全学連指導部の極めて有能な感性と理論と行動力が今日まさしく再評価されねばならないということと、そういう彼らにしてみても党史の流れを読み誤っている面があるのではないかということです。先行して結成された(後の)「革共同」史観の影響に引きずられたという面もあったとは思われるが、「50年問題について」党内がドラスティックに徳田系執行部から宮本系執行部に宮廷革命されつつあったという「不義」に対する闘いが組織されておらず、日本共産党という看板そのものに対して「反スタ」的に反発していったという経過が認められます。「所感派」(徳田系)と「国際派」(宮本系)学生党員が、党内のゴタゴタに嫌気がさしてもはや「前衛党」頼むに値せずとして自力の「反代々木系」運動を創出していくことになったが、そのことによって宮本系宮廷革命の党内での進行をより易々と許容させたという面があるのではないのかという面での考察が未だになされていないように思われるわけです。
徳田執行部には多々の誤りがあったかも知れない。特に野坂式の穏和化路線と徳田式の急進路線という二頭立ての運動がジグザグ式に進められていたということと、国際共産主義運動の権威としてのコミンフォルムの適切でない干渉に対して翻弄されていったという面とか、徳田氏が今日スパイとして判明させられている野坂氏に対してそのような認識を持つことなく最後まで連れだった党運動に終始したこととかいろいろ反省されねばならないことがあったことは事実ではあるが、後の経過から見て特に徳田系列の深紅の革命精神には一点の曇りがなかったという史実については歴史的限界性の中において正しく評価継承されるべきではなかったか。結果的には「六全協」から第七回党大会、第八回党大会を通じて最悪の指導部の形成が進行したのではなかったのか、ということが私の視点となっています。
既に言及したように戦前の「査問事件」の本質を見れば、宮本氏の胡散臭さは言い逃れの出来ない事実としてあるわけであり、「獄中12年」の実際の様子にしても今日の如く神聖化され、その聖域から転向組の非を責める程の実体は何もなく、むしろ疑惑されるべき不自然さを露呈しているのではないのか、徳田氏が宮本氏を忌避していた経過にはかなり根拠があったのではないのかということを一刻も早く確認することが党の再生には不可欠になっているのではないでしょうか。私の警鐘乱打はそのことの指摘という構図になっているわけです。
この面においては、「ブント」も「新日和見主義者」たちも未だに認識されていないように思われるわけです。なぜこうした読み誤りが起きるのかというと、党史の重要な経過が常にヴェールにくるまれて進行させられており、末端の活動家は意味も分からぬまま目先の運動で消耗させられてきているという党運動の在り方に起因しているのではないのか。あるいはまた「鉄の規律」とか「民主集中制」とか「統一と団結」とかいろいろな言葉で修辞されるような、執行部にフリーハンド、下部には盲目的な党活動が、受け入れる側の方にも「権威拝跪精神」が内在して機能しており、一般党員のこのような没批判精神が要因となっているのではないのかということに対する内省がそろそろ必要なのではないでしょうか。ここには世上の宗教運動や天皇制信仰と何ら変わりのない精神構造が認められ、科学精神で始まったマルクス主義にしてはおかしな非科学精神が培養されていることを認めないわけにはいきません。「さざ波通信」誌上、党の擁護か現執行部の擁護か判明しない見地からの投稿が何編かなされていることに気づかされています。これは私が党外であるからよく見えるのかもしれない。
というような観点を込めて次の仕事として「新日和見主義事件」の解明に向かおうと思う。わたしの同時代的な青春譜でもあるのでノスタルジー無しには語れないが、いつかはこうして総括しておこうと思い続けてきた長年のテーマであるからして向かわねばならない。ただし、これに本格的に取りかかり始めるとすれば莫大なエネルギーが予想される。能力的に私自身が耐えきれるかどうかということと仕事の傍らで出来るだろうかと不安があるが、手に負えなくなったら立ち止まり、あるいははしょれば良いからという理屈で立ち向かっていこうと思う。