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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

RE変化に対応できない党は消滅する-という低次元の論理に反論する

2003/7/30 考える葦、50代、無職

 貴方は「民主主義国家」の定義を何らすることなく、かってな一人読みの独断に終始している。いまや、権威あるこのページに投稿するなら、歴史的な検証をした上で論じるべきであると指摘したい。又、こんな低次元な投稿を掲載する「さざ波の編集局」に警告したい。これでは何でもありではないか。
 まず第一に、マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」は、1848年であり、ヨーロッパにおいて、フランスは、王制を廃止し、民主主義国家-共和国家として有ったし、米国は既に独立して70年を経ている。かつての啓蒙思想家、ロバートオーエンは、来るべき理想国家として米国に期待したのである。
 第一次世界大戦は、帝国主義国家の最初の挫折の戦争であったし、第二次世界大戦は、植民地主義的帝国主義の終焉の戦争であった。
 その後冷戦の中で、ソ連型の一党独裁の社会主義に疑問を提起する党が現れる。しかし、それは、民主主義国家が大多数の人民の利益を根本的実現できると楽観するものではない。
 むしろ、民主主義国家を大多数の就労階級と大資本ないしは、多国籍企業とのつばぜりあいのなかで位置付け、大多数の就労階級の代表として権力を奪取する可能性を持つ国家として位置付けたのである。これは、歴史上壮大な試みである。かつてチリでは、アジェンデの党が選挙によって政権についたが、最大の民主主義国家である米国の後押しされたピノチェトの残虐な非合法的クーデターによって、挫折させられる。しかし、今、ピノチェトは、政権の座にはいない。彼は、法廷で裁かれている。
 これは、民主主義国家である米国のいくつかの挫折の一つとなった。
 民主主義国家に対する幻想をもって、共産党の役割が終わったという貴方は、歴史という政治の実験場での理解を何ら理解してはいないと言わざるを得ない。
 繰り返し述べたい。
 民主主義国家とは、大多数の就労階級と大資本ないしは、多国籍企業とのつばぜりあいのなかで、大多数の就労階級の代表として党が権力を奪取する可能性を持つ国家であるというのが、まさに唯一の定義である。
 民主主義国家であり、世界的に稀有な先進的な憲法を持つわが国において、党の役割の重大性を理解したければ、私の他の投稿をご覧頂きたい。また、党は、現憲法の先進性について、負担に感じてはいないし、その先進性を強調するものであって、否定してはいないことを指摘する。
 最大の民主主義国家である米国が、国際的なテロを、彼等の謀略の結果として、引き起こした事は、記憶に新しい事である。
 国際的なテロリズムは、まさに、ブーメランの如く、謀略国家である米国にもたらしたものであって、その尻拭いに必死になっている現状を見れば、そこには、かつてのソ連の様な間違いは、党の歴史的発展のための大いなる教訓に過ぎないし、ベトナムやカンボジアなどその教訓を学んでいる。ソ連の問題は、対米国との不必要な冷戦の驕りに満ちた政権運営の結果だと言える。
 貴方は現在の政権党の失政の蓄積に対して何の危機感も持っていないようだが、ならば、建設的な党の発展を望むこの「さざなみ」に投稿する資格がないのではないだろうか。
 最後に、思想団体として生き残るとはいかなる意味か、お聞かせ願いたい。
 日本共産党は、弁証法の論理の元、最も実践的な運動の党である事は、戦前と戦後の党の歴史が物語っているし、今、その実践的運動が求められている事を述べ、貴方の反論を待つものである。