さざ波通信を35号まで出して来られた努力は、前向きに評価しています。
なぜなら、宮本独裁指導の時代から、組織はレーニン的な民主主義的中央集権主義
ではなくて、スターリン的な官僚主義的な中央集権主義が凝り固まった状態の惰性的
党運営のなかで、討論を起こして、党を思想的、政治的に向上させようと、それなり
に努力している真面目な姿が見えるからです。
レーニン時代には潮流も分派も共に党内で活動が認められていました。大会決定や
綱領さえ批判する自由を認め、大会や中央委員会の決定に対して、誤りがあって責任
をもてないと、声明する権利さえ認めていました。なんと人間的なことだったか!そ
うしたことは、真に指導能力のあるリーダーがいたからこそ出来たことで、凡俗なリー
ダーの下では出来ないことでした。いまもそうです。
1921年春(なんと大昔か!)のクロンシュタット暴動のあと、レーニンの党は
一時分派結成を禁止したけれど、それは「非常措置」(レーニン)でした。レーニン
はそのことを強調していました。なんと柔軟性をもった対処だったことか!
凡人だったスターリンは弁証法を駆使する能力に欠けていたので、民主主義的中央
集権を官僚主義的中央集権に、さらに独裁に変えてしまったのです。それはコミンテ
ルン日本支部として組織された日本共産党を長年支配して来ました。戦後もその延長
線上にありました。
こういうことが、何度も選挙闘争のなかで政敵自民、公明から非難を起こしてきた
ことは、周知のところです。ましてや、ソ連解体前後以来スターリン時代の悪政と生
き地獄状態が暴露された影響も大きいことは言うまでもないでしょう。
そうした状態だから、自分の頭で考えないで、綱領と大会決定、中央委員会決定の
涙ぐましい自己規制的解釈の範囲内でしか考えない慣習が、党内で牢固として培われ
ており、中央や上、当面の政策と違ったことを言うだけでも、白い目で見られて、挙
句は組織的に排除されたり、除名されてきた長年の経緯が積み重なっています。
だから、さざ波通信35号で取り上げられた諸問題も、綱領問題も、不破氏の意見
も批判者の意見も、共に20世紀後半の感覚で、魅力の無い理論的な低レベルと低迷、
不毛の現れとなっています。 政治ではとくに、正しく前進するためには前を見なけ
ればなりません。不破氏らのような弁証法の適用能力のない、後ろ向きの教条主義的
評論家の議論では、時代から取り残されることになるでしょう。
地球人類と歴史は新しい情勢下で新しい解決を求めているのに、残念です。目を開
いて前を見て下さい。他人の意見に耳を傾けて下さい。
不破氏のように年収2500万円も取って、宮本氏以来党幹部が実際上、労働貴族
並の生活をしながら、どうしてこの小泉構造改革による国民生活に対する破壊活動の
犠牲者たちの生活感覚が分るのでしょうか?レーニン時代には党幹部の収入は熟練労
働者の最高れべる並とされていました。これが正常な労働者党というものではありま
せんか?
社民党の運命は他人事ではないのですよ。