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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

京都市長選と東京都知事選の比較から学ぶもの

2004/2/14 桜坂智史、50代

 広原盛明氏を守り立てて、盛大に取り組まれた京都市長選は、大阪「府」知事選と比較しても、勝るとも劣らぬすぐれた政治的実践であった。わたしは自己のHPの掲示板に、広原さんの総括の名文を全文転載させていただいた。事後承諾のお願いのメールをひこひこさんから教えていただき、送った。その日のうちに、事務所のHP担当のかたから誠意あふれるレスが還ってきた。そこだ!そのかたは、「全国から篤い声援をいただき感謝」されている旨のことばを書かれていた。本当に全国から注目を集めた。その経験は、政治をどう考えるかの根本的イメージをもった運動の質であったとういうことだ。
 いままじめに共産党に期待したり、それ以外の政党が憲法改悪にじょじょに擦り寄っていくことに懸念を覚えているひとびとが多くいる。しかし受け皿がない。そんなときに、「無党派」と「市民派」の相違をあきらかにしつつ、「日本で最初の市民派選挙」として今回の「京都方式統一戦線」(桜坂)の闘争を位置づけたことは、大きな成果である。

 東京都知事選と比較すると、京都市長選で広原盛明氏が達成したことが明確になる。東京都知事選では、無党派を考慮して最初革新都政の会は、女性候補に打診したらしい。事実として私が知った情報ではないので、匿名として「らしい」としておく。彼女は最初出馬を断り、しかたなく共産党が都委員長の若林氏をたてた後に、統一を願う勢力から川田悦子さんを辛さんや佐高さんらが応援してやっと立候補をする気になった段階で、立候補の意思を表明して共倒れを懸念した川田さんはおりた。そして、立候補。結果は共産党をうわまわる結果であったと思うが、石原慎太郎都知事の圧倒的な7割をこえる得票率で当選をみすみす許す結果となった。
 私は最初共産党に呆れていたが、よく見ると、そうではないことに思いいたった。もし、共産党との共闘もうけいれる候補が革新都政の会から立候補したら、石原知事当選であってもあれほどの酷い結果にはならなかったのではないか。
 東京都知事選は、上からのトップダウンの要素が多い。都内の共産党会議で不破議長は、党員候補こそ選挙の峰をきわめることができると力説したことは記憶に新しい。
 同じ敗北でも京都市長選のように、草の根からわきいでる支持の広がりが広まったのとは大違いである。ネットがぞくぞくうまれただけではない。しだいに運動が拡大していったこと、選挙運動に携わるひとびとが充実を覚えて取り組んだこと。このような運動の質的相違が、市長選後も広原さんの感動的な総括にいたっている。

 東京には東京都の事情があっただろう。複雑な情勢下で闘い続けたかたがたのご努力を後追いで非難するのは軽挙というものだろう。広大な東京都全域と市内だけとでは性格も異なる。
 だが、やはりこれからの選挙で、京都市民が確立した闘争の新たな地平線を教訓として生かせるかどうか。そこに夏の参院選戦略の成否もかかっている。選挙ばかりではない。親共産党であったらしい、ないしは反共産党でない広原盛明さんが「日本で初めての市民派選挙」と総括したことの重大性は、安易に無党派頼みではなく、自立的市民による選挙と政治運動が、いまの情勢を切り開く重要なキイとなる預言とも連なる。もちろん広原さんの真意は私ごときが安易に想像して決め付けるものとは異なる。あくまで私の見解である、と付記しておく。