6、不破は『エルフルト綱領草案批判』をどう取り扱うか?
エンゲルスのこの論文は、広く知られているように、1891年にドイツ社会民主
党のエルフルト大会で採択される前の綱領草案への批判ですが、不破がこの論文をど
のように取り扱っているかを検討することにしましょう。全集22巻では『1891
年の社会民主党綱領草案の批判』という名の著作になっています。まず、問題を鮮明
にするために、不破が引用する部分を全文掲載することにしましょう。この引用部分
は後論との関係でも、本投稿における考察の中心にすえられていますので、読者のみ
なさんは特に注意してお読みください。
「人民の代議機関が全権力をその手に集中していて、人民の多数者の支 持を獲得しさえすれば憲法上はなんでも思うようにやれる国でならば、古い社会が平 和的に新しい社会に成長移行してゆける場合も、考えられる。つまり、フランスやア メリカのような民主共和国や、王朝を金で買いとることが目前の問題として日々に新 聞紙上で論じられていて、この王朝が人民の意思にたいして無力であるイギリスのよ うな君主国でならば、そうしたことも考えられる。だが、ドイツで、政府がほとんど 全能で、帝国議会や、その他すべての代議機関が実権をもたないこのドイツで、そう いうことを、しかも必要でもないのに公言するということは、絶対主義からイチジク の葉を取りさって、自分をその裸身のまえにくくりつけるというものである。」(K 下150p、L327~328p、G127p、全集22巻240p)
この有名な文章の意味は解説するまでもありませんが、共和制の国と絶対主義 の国では革命の形態が異なり、ドイツはイギリスなどのようなわけにはいかないとい う批判ですが、不破は上記7文献の詮索を終えた後になって、エンゲルスのこの文章 を引用して次のようにコメントしています。
「レーニンは、『国家論ノート』でも『国家と革命』でも、この文章に 一応の注目はしましたが、エンゲルスが強調した区別には、本質的な意義を認めませ んでした。『国家論ノート』では、この文章を引用したあとに、『これはもっと弱い、 もっと慎重な表現だ:たんに考えることもできる、ということ』と注釈を書き込み・・ それ以上の考察は何らおこなっていません。」(K下150p、L328p、G12 8p)
この不破のコメントは何を意味するのでしょうか? ここです。不破よ、さあ、
飛べ! ここがロードス島だ!
不破ははっきりと、レーニンはこの文章に注目したと述べています。では不破に訊
きたいのですが、この文章にははっきりとイギリスやアメリカ、フランスにおける革
命の平和的な移行の可能性が、不破の言う多数者による平和革命の可能性が述べられ
ているのではないのでしょうか?
不破にこのエンゲルスの文章についてコメントしてもらいましょう。
「民主共和制あるいは議会が十分な権限をもった君主制のもとでは、革 命の議会的な道の可能性が存在し、『時の社会的権力者』の側からの『強力的妨害』 がない場合には、その革命の平和的な勝利も考えられる エンゲルスがここで述べ たのは、マルクスとともに、いろいろな機会に表明してきたこの見地でした。」(K 下150p、L328~329p、G128p)
ということになると、ことは重大です。不破の言うように平和革命の可能性が
述べられているとすれば、レーニンはマルクス、エンゲルスの平和革命論に無知であっ
たとは言えないのではないのか?
不破はエンゲルスのこの文章を引用し、上のようなコメントをすることによって、
自分で自分の仮説をしっかりと殴りつけていることになるわけです。 不破がレーニ
ンは読んでいてもその重要性を理解しなかったと言ったところで、レーニンは平和革
命の可能性についてのマルクスらの文献に無知ではなかったわけです。
無知なのは、というより、恥知らずなのは不破の方なのです。今まで7つの文献を
取り上げてレーニンが読んだか読まなかったかと、20ページ近くにもわたり延々と
詮索してきた意味は一体何だったのでしょうか? 7文献の詮索以後、読者に山盛り
の引用を読ませ解説するうちに、自分が検証してきた主題を忘れる健忘症に陥ったの
か、はたまた、文献の検証からエンゲルスのこの論文を排除しておいても読者に気づ
かれないであろうと高をくくっていたのでしょうか?
7、破廉恥な不破の所業
以上の検討でわかるように、不破の仮説は完全に破綻しているわけですが、不破得
意の文献探索の手口がどのようなものであるか、本稿の主題ともかかわるので、不破
が得意な領域で示す「腕力の芸」を若干鑑賞しておくことにしましょう。
上記エンゲルスの『エルフルト綱領草案批判』を読んで、レーニンは「たんに、考
えることもできる、ということ」というだけで、「それ以上の考察は何ら行っていま
せん」と不破は断定しているのですが、この断定はまちがっています。レーニンの認
識は『国家と革命』では発展しており、次のようになっているからです。
「前掲のマルクスの考察のうちで、とくに二つの個所を注意しておくこ とは、興味がある。第1に、彼は、その結論を大陸にかぎっている。これは、イギリ スが、まだ純資本主義的な国の手本ではあったが、軍閥がなく、また官僚制度もたい してなかった1871年には、当然であった。だから、マルクスはイギリスを除外し た。そこでは、革命は、人民革命でさえ、『できあいの国家機構』の破壊という前提 条件がなくても当時は可能であると思われていたし、また実際にも可能であった。」 (『国家と革命』国民文庫、52p)
イギリスに関しては、「考えることもできる」という認識から、「実際にも可
能であった。」というように、レーニンの認識は発展しているのです。つまり、マル
クスの時代にはイギリスでは平和革命が「実際にも可能であった。」とレーニンは断
定しているのです。レーニンの認識にこうした発展があるということは、不破の指摘
とは逆に、レーニンは『国家論ノート』(1916年末~1917年初)作成後も、
『国家と革命』執筆(1917年8月)までの間に、激動のロシア革命の指導にあた
りながら、平和革命の諸条件についても研究を続けていたことを示しているのです。
また、この認識の発展は、レーニンがマルクスのイギリスについての平和革命論議を
知っていることをも明瞭に示しているのです。不破は『国家と革命』の本文にあるこ
の文章さえ無視(注1)したのです。
今ひとつ。すでに読者の皆さんも、もうおわかりのことと思いますが、革命の平和
的移行の可能性についてのマルクスらの議論はイギリスばかりではないのです。上に
引用した『エルフルト綱領草案批判』の文章を見ればわかるように、そこではアメリ
カばかりでなくフランスでさえ平和的な移行が考えられるとエンゲルスは述べている
のです。その意味で、不破の仮説についての文献上の検証をイギリスに関する文献
(すでに見た7文献)のみに限定するのは不破の根拠なき作為だと言わざるを得ない
のです。このように不破によるレーニン無知論の虚構には至る所に仕掛けが施されて
いるのです。
最後にエンゲルスによる『『フランスにおける階級闘争』への序文』(1895年)
を取り上げましょう。この序文(改竄されたことでも有名)はエンゲルスの遺言とも
言われているもので、19世紀後半のフランスを中心とする西ヨーロッパ革命運動史
の総括とも呼ぶべき文書です。この『序文』の文章を引用しつつ、不破は次のように
言っています。
「このように、『議会の多数をえての革命』という展望、路線は、パリ・ コミューン後の情勢のなかで、ますますその比重を大きくしてきたのです。」(K下 147p、L323p、G122p)
ということは、この『序文』でも不破の言う「議会の多数をえての革命」につ
いて、エンゲルスは語っているわけです。しかし、不破は仮説との関係ではこの『序
文』も素通りしています。この『序文』については、『国家論ノート』にその言及
(『国家論ノート』25p、47p、国民文庫版)があるのですから、レーニンが読
んでいることはまちがいないのです。
もう十分でしょう。エンゲルスの『エルフルト綱領草案批判』の引用文一つにも4
つの仕掛けが施されています。一つ目は、あらかじめ検証する文献をイギリスに関す
るものに意図的に限定することにより、7文献の検討だけで仮説を証明したかのごと
き外観を読者に与えること。二つめは、7文献の検証後、『エルフルト綱領草案批判』
『序文』などの文献を仮説と無関係な著作として取り扱うこと。三つめは、そのうえ
で、『エルフルト綱領草案批判』、『序文』の平和的な多数者革命論に言及しながら、
それらと仮説との関係は何食わぬ顔で素通りすること、四つめは、仮説にとって都合
の悪い『国家と革命』本文の上記記述を意図的な断定によって無視することです。
破綻を承知の確信犯の「腕力の芸」がこれです。
不破の仮説が推理小説ならば、虚構の仮説として、なかなかの仕掛けということも
できるでしょうが、「古典研究」、学問的研究という体裁をとっている以上、残念な
がら、不破には学問的良心のかけらもないと言わざるを得ないのです。
学問的良心の欠如を不破独特の思考方法の特徴2と呼ぶことにしましょう。
そして、ここでいまひとつ、検討しておかなければならないことがあります。それ
は不破に学問的良心を放棄せしめた原因は何かということです。もはや、詮索するま
でもないことですが、「議会の多数をえての革命」に理論的な基礎を与えた形を整え、
共産党の「革命」戦略(新綱領の核心!)を確立せしめるという政治的意図であるこ
とはいうまでもありません。何ともはや、新綱領もえらく泥をぬられたものです。
学問的良心を捨ててまで政治目的(多数者平和革命の鼓吹)の優位性を貫徹させる
不破独特の思考方法をその特徴3と呼ぶことにしましょう。
不破の大作『レーニンと『資本論』』(古典研究『議会の多数を得ての革命』)は、
不破の自慢とは裏腹に、不破生涯の不名誉の記念碑となっているのです。
<(注1)まさか、この文章を見落としたというわけではないでしょう。レーニンが読んだかどうか、「『資本論』英語版へのエンゲルスの序文」の痕跡を探して40巻以上ある全集をくまなく探索する不破が、よりによって、自分が批判する『国家と革命』の本文の中にあるこの文章を見落とすとは考えられないことです。実際、不破はレーニンの暴力革命論を詮索している著書の前半で次のように書いています。「レーニンは、マルクスが19世紀の70年代にイギリスを『例外』として扱っていたことは知っていました。」(K上159p、L255p、G48p) このように不破は述べているのですから見落とすはずはないのです。
また、不破がその作成に関与した(後段「13」の<注5>参照)無署名論文「極 左日和見主義者の中傷と挑発」(通称「4・29論文」、1967年)では暴力革命 唯一論者を批判する論拠として、平和革命に関する上記7文献のいくつかを引用し、 その解説者に何とレーニン(!)を持ち出し、ここで指摘している「実際に可能であっ た。」で終わる文章を引用して解説に代えています。その部分を引用してみましょう。 少し長くなりますが、不破の「腕力の芸」をみるためには重要な文章なのです。
「第三は、当時のイギリスには徴兵制度がなく、本国には、比較的少数の軍隊が配備 されているだけで、人民の多数の意思にたいしてブルジョアジーが暴力的挑戦をくわ だてる場合、そのもっとも主要な道具となるべき軍事的・官僚的機構が、ドイツ、フ ランスなどの大陸諸国におけるほど、発達していなかったことである。このことは、 イギリスのブルジョアジーが資本主義諸国のなかでもっともよく組織されており、 『最大の階級的思慮を維持』(エンゲルス・・)してきたことともむすびついて、労 働者階級が合法的手段によって政治権力を獲得する展望をうみだすひとつの条件となっ たのである。レーニンはこの点について、一八七一年には、『イギリスは、まだ純資 本主義的な国の手本ではあったが、軍閥がなく、また官僚制度もたいしてなかった』、 だから『そこでは、革命は、人民革命でさえ、『できあいの国家機構』の破壊という 前提条件がなくても当時は可能であるとおもわれたし、また実際に可能であった。』 (『国家と革命』・・)と書いている。」(「極左日和見主義者の中傷と挑発」日本 共産党重要論文集5、95ページ)
つまり、「4・29論文」では、レーニンは上記7文献の解説者なのです。こうい う具合ですから、不破がこのレーニンの文章を見落とすことは絶対にありえないので す。
「4・29論文」とここでの不破の議論を比較すると、二つの点で180度、評価 が逆になっています。一つは、レーニンが新著では暴力革命唯一論者(不破の用語で は「強力革命必然論」者)にされていることであり、二つめは『国家と革命』の中に、 イギリスの平和革命の可能性についてのレーニンの指摘がある(レーニンは知ってい た)とされていたものが、不破の仮説でレーニンは知らなかったとされていることで す。「4・29論文」の内容を知りぬいている不破が奇想天外な仮説を提起した理由・ 真相は、不破独特の思考方法の特徴1だけでは理解できないことがわかります。不破 は破綻を承知で仮説を打ち出しています。>
つづく