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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

レーニンが無知なのか、不破哲三が無恥なのか? -『議会の多数を得ての革命』について-(3)

2004/09/12 原 仙作

8、不破によるマルクスの平和革命論理解
 これまで不破の文献詮索について検討してきましたが、次に不破がレーニン・暴力革命論の対極にあるものとして称揚するマルクス、エンゲルスが述べる平和革命の可能性について、不破自身がどのように理解しているかを検討しましょう。不破によるマルクス、エンゲルス理解の特質、したがってその理論能力を明らかにするためです。
 再び、上記『エルフルト綱領草案批判』の文章を取り上げることにします。不破はその独特の解釈によって、何とエンゲルスを21世紀平和革命の予言者にしたてあげてしまうのです。
 不破は上に引用したエンゲルスの『エルフルト綱領草案批判』の文章について、次のように解説しています。

「しかし、エンゲルスのこの区分が、革命の手段・方法の考察にとって、きわめて重要な現実的な意味をもっていたことは、その文章のすぐあとに、民主共和制は、労働者階級が支配権をにぎりうる唯一の形態であるし、プロレタリアートの執権の特有の政治形態ですらある、という例の命題が続いていることを見ても、きわめて明瞭です。民主共和制あるいは議会が十分な権限をもった君主制のもとでは、革命の議会的な道の可能性が存在し、『時の社会的権力者』の側からの『強力的妨害』がない場合には、その革命の平和的な勝利も考えられるーエンゲルスがここで述べたのは、マルクスとともに、いろいろな機会に表明してきたこの見地でした。」(K下、150p、L328~329p、G128p)

 この文章の前半も意味が曖昧な文章、というより、不破の勝手な解釈なのですが、問題を煩雑にしないために無視することにしましょう。
 問題は後半にあります。「民主共和制あるいは議会が・・・」以下の文章が問題なのです。この不破の解釈は正しいのかどうかです。完全な誤りであり、そうした不破の誤りがどこから生じてきているかを検討することにしましょう。
「『時の社会的権力者』の側からの『強力的妨害』がない場合には、その革命の平和的な勝利も考えられる」というのは、エンゲルスの言うことの真意であるのか? それとも不破の勝手な解釈であるのか? この問題です。ここに不破によるマルクス理解の秘密が潜んでいます。

9、マルクスの認識と不破の認識との相違
 まず、不破が詮索した7つの文献の一つからマルクスの見解を見てみましょう。不破の引用文をそのまま使います。第4文献「ザ・ワールド」特派員とのインタビューを用いることにしましょう。これもマルクスの平和革命論についての短い文章です。

「ランダー この国(イギリス)では、期待される解決は、それが何であれ、革命の強力的な手段なしに実現されるように思われます。少数派が多数派にかわるまで演壇と新聞とで扇動するというイギリスの制度は、希望にみちた兆候です。 マルクス 私はその点についてはあなたほど楽観的ではありません。イギリスの中間階級(ブルジョアジーのことー不破)は、選挙権の独占を享受していたかぎりは、いつまでも多数派の判定をよろこんで受けいれることを示してきました。しかし、いいですか、この階級は、それが決定的問題と考えていることで投票に敗れるやいなや、ここでわれわれは新たな奴隷所有者の戦争を経験するでしょう。」(K下142p、L314p、G112p、全集17巻613p)

 このインタビューは1871年7月18日に、すなわち、パリ・コミューン敗北後に行われ、記者の記憶によって書かれたものですが、その論旨は明瞭です。マルクスはイギリスのような議会制がある国においても、ブルジョアジーの支配が危機に陥る場合には「奴隷所有者の戦争を経験するでしょう」と考えているのです。
 不破のように「『時の社会的権力者』の側からの『強力的妨害』がない場合には、その革命の平和的な勝利も考えられる」とは絶対に考えていないのです。両者では一体どこが違うのでしょうか?
 不破とマルクスの見解の相違は、平和的な可能性により力点をおいているか否かということにあるのではありません。それは表面的な相違です。問題は、そもそも不破のように「強力的妨害がない場合は」というような条件をつけて議論できる性質の問題なのかということにあります。問題の核心を明確にするために、不破の議論に即して論旨を進めれば次のようになります。
「『時の社会的権力者』の側からの『強力的妨害』がない場合には、その革命の平和的な勝利」は確実である、とならなけらばならないのであって、「考えられる」ではありません。議会制があり、普通選挙権があり、権力による暴力的妨害がなければ平和革命の可能性は「考えられる」のではなく確実なのです。
 だから、マルクスもエンゲルスも、当時は不破のような議論は一度としてしなかったのです。確実となるような歴史的条件自体が当時存在していなかったからです。不破のような条件をつけた議論は平和革命が確実となる歴史的条件が存在する場合にのみ提起できるものですから、不破の条件設定は、事実上、21世紀に確実となる(かも知れない?)歴史的諸条件をマルクスの時代のマルクスの議論に持ち込んだのだということになるのです。
 ここに不破によるマルクス理解が鮮明に示されています。

10、不破の議論は歴史なき抽象論=死んだ抽象=教条・公式・空想
 不破の議論は「歴史に、もしも、ということが許されるのなら」と俗に言う空想の世界にはばたく議論なのです。このような架空の条件を設定して理論問題を取り扱うと、日常の話と同様に、理論全体が歴史の現実を離れた架空の理論、架空の話に転化してしまうのです。むずかしい理屈ではありません。不破はこんな単純な誤りを犯しているのです。
 「彼(マルクス-引用者)は旧社会からの新社会の誕生、旧社会から新社会への過渡的諸形態を、自然史的過程として研究している。」(レーニン『国家と革命』、国民文庫64p)のであって、架空の歴史的諸条件を設定することはその研究方法に反するのであり、マルクスらの研究を読む側も、この研究方法(史的唯物論!)を念頭において読解しなければならないのです。 だから、勝手な歴史的条件は持ち込めないのですが、不破は勝手な歴史的条件を持ち込むことができると認識しており、そのように認識することによって、マルクスらの議論を超歴史的に、その議論が持つ歴史的規定性(ある時代の社会的、歴史的諸関係によって制約されているいるということ)を捨象して、したがって、一つの抽象的な命題として理解していることを示しているのです。具体的に言うと、共和制があるところでは平和革命の可能性があり、共和制がないところでは、平和革命の可能性はないというような一つのテーゼになった理解されているのです。
 このような命題として理解された場合、そこでは共和制も共和制一般、可能性もまた可能性一般へと転化しています。それだからこそ、21世紀の平和革命の歴史的条件(?)をすんなりと持ち込むことが可能となるのであり、持ち込んでもその誤りに気がつかない事態に落ちこむのです。確かに、不破の整理法は暗記するには非常に便利な方法ですが、このような整理法では肝心かなめの、マルクスらの議論が行われている歴史的条件(産業資本主義の最後の発展段階の時期のそれ)が、すっぽりと抜け落ちています。おそらくは、かの有名なカウツキーもまた、このような理解の仕方でマルクスを整理し、暗記していたのでしょう。
 ここで史的唯物論とは何かなどと解説するつもりはありませんが、それは社会の発展が階級闘争で貫かれているとか、諸階級はその時代の経済的諸関係によって規定されているとか、あるいは社会の土台(=経済的諸関係)は上部構造(政治的・法的諸制度、観念諸形態)を基本的に規定するとかいうだけの主張ではない(注2)のです。
 つまるところ、信じがたいことですが、不破は史的唯物論すら満足に理解していないということになるのです。
 不破はマルクスの議論からその議論を規定している当時の歴史的諸条件をはぎ取り、したがって、その議論がもつ歴史的規定性を捨象して取り扱っているのであり、そのように取り扱い、解釈することによって、マルクスの議論を空虚で死んだ抽象的命題、公式、教条ないしは空想に転換し、エンゲルスを空想的社会主義者(20世紀を飛び越えた21世紀平和革命の予言者!)に仕立ててしまっているのです。ここに、不破によるマルクス、エンゲルス、そしてまたレーニン理解の典型がみられるのです。
 このような不破の思考方法を不破独特の思考方法の特徴4と呼ぶことにしましょう。
 この不破流の解釈(注3)ではマルクスの平和革命についての可能性の議論すら、その本意においては理解されず、歪曲されてしまうのです。もちろん、マルクスらが不破の解釈するような平和革命の可能性を不破が吹聴するように「いろいろな機会に表明してきた」はずもありません。

<(注2)レーニンは史的唯物論の理解を次のような表現で説明したことがあります。
「マルクス主義の全精神、その全体系は、おのおのの命題を(α)歴史的にのみ、(β)他の諸命題と関連させてのみ、(γ)歴史の具体的経験と結びつけてのみ、考察することを要求しています。」(「イネッサ・アルマンドへの手紙」全集35巻、262p)
 この文章からすれば、理論的な理解(諸命題)をその理論を成立させた歴史的諸条件から切り離して解釈することが、どんなに誤ったことであるかがよくわかります。>
<(注3)本稿の前半「4」の第1文献である『共産主義の原理』についての不破の解釈で、「不破流の解釈」と呼んだのは、このような事情(マルクスらの議論が前提とする歴史的諸条件の無視)によるのです。『共産党宣言』で、その最後の部分に「共産主義者は、彼らの目的は、既存の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、公然と宣言する。」(国民文庫版、74p)と述べているのに、その直前にエンゲルスが書いた『共産主義の原理』が、「議会で多数を得ての革命」を構想していたはずはないのです。議会で多数を得ての革命を可能にするような歴史的諸条件は1848年当時のイギリスですら存在しなかったのであり、それまでの歴史および彼らが経験した革命はいずれも暴力的な闘争であったからです。 不破はこうした当時の歴史的条件をまったく無視してエンゲルスに不当な解釈を押しつけているのです。エンゲルスは不破によってプロレタリア革命の最初の青写真を描かされています。不破が引用するエンゲルスの文を取り出し、不破の解説ぶりを見てみましょう。虚構の仮説構築のための第1文献でもありました。

「第18問。この革命は、どのような発展の道をとるであろうか? 答-それはなによりもまず、民主主義的国家体制を、そしてそれとともに、直接または間接に、プロレタリアートの政治的支配を樹立するであろう。プロレタリアートがすでに人民の多数をなしているイギリスでは直接に、・・・フランスおよびドイツでは間接的に、である。」(全集4巻389p、K下132p、L297p、G98p)

 このエンゲルスの文章が、不破に解説させると「議会の多数を得ての革命」についてのエンゲルスによる史上初の構想となるのです。不破の説明は次のとおりです。

「『民主主義的国家体制』のもと(?)で、プロレタリアートが人口の多数を代表して(?)、自分の政権の確立に進む(?)ということは、具体的には、選挙で議会の多数をえて(?)政権を樹立するという道を意味する(?)ことは、明白でした。」(?マークは引用者、K下133p、L298p、G94p)

 それでは(?)マークの部分を一つ一つ見ていきましょう。まず最初の「民主主義国家体制」についてですが、不破は初歩的な文法を無視しています。ここでいう「民主主義国家体制」とは、「プロレタリアートの政治的支配」とならんで「樹立する」という動詞の目的語にあたります。だから、エンゲルスが言う「民主主義国家体制」は「プロレタリアートの政治的支配」と同様、これから、プロレタリアートの運動によって「樹立」、獲得されるべきものであって、現実には未だ存在しないものです。ところが、不破の解釈では「民主主義国家体制のもとで」と歪曲して理解され、プロレタリアートは、すでにある民主主義国家体制のもとで運動を進め選挙を通じて政権を獲得するという解釈になっていくわけです。もう、これひとつだけで不破の解釈をいちいち詮索するのはやめましょう。「議会の多数を得ての革命」をあまりに偏愛すると、歴史的条件が当時どうであったかなど眼中になくなり、おかしな解釈をしても気がつかないのか、わかってやっているのか、一事が万事とは言わないまでも、こういった調子になるのだということがわかっていただければいいのです。
 そして、このような不当な解釈は本稿が対象とした不破の『国家と革命』批判のほとんど全編にわたって行われています。というより、不破流の解釈で全編が貫かれているといった方がわかりやすいでしょう。
 そして、ここまで検討してくると、不破が「つまずきの石」を探求する道(虚構の仮説構築)へ迷い込んだ理由も明瞭になります。不破流のマルクス理解では『国家と革命』の理解を「当時の歴史的情勢」と結びつけて把握するという道は最初から閉ざされているのです。それだから、理由も明示できずに蜃気楼の中に浮かぶ風車に突進していったのです。>

11、『国家と革命』についての不破流の解釈
 以上のような不破流の解釈で批判されたのが、レーニンの『国家と革命』なのです。まず、不破による批判のエッセンスを見てみましょう。不破流の解釈が鮮明に現れています。少し長くなりますが、全文引用してみます。

「資本主義社会における国家が、その政治形態のいかんにかかわらず(つまり主権在民の民主的共和制の国家であると、主権在君の君主制国家であるとを問わず)、支配階級に奉仕する階級的性格をもっているということから、その国家機構の粉砕が革命の不可欠の任務となり、そこから、強力革命の不可避性が理論的に引き出されるとすれば、それは、おのずから、すべての資本主義国に適用される革命運動の原則だということになり、科学的社会主義の革命理論は、強力革命一色にぬりつぶされてしまい、よくよくの例外的な特殊事情でもないかぎり、革命の平和的な発展は考えられない、ということになります。ここにこそ、レーニンが、第1章で証明しようとした問題の核心、『国家と革命』の核心の中の核心というべきものがありました。」(K、上、159p、L、255p、G、47p)

 不破によるレーニン『国家と革命』批判の核心がこれです。国家の階級性という規定から必然的に国家機構の粉砕という任務が導き出され、その粉砕論から暴力革命が必然となると把握されており、このような理論的把握では、国家形態や革命の諸条件・情勢の相違は無視され、暴力革命一色になるという批判なのです。このような不破の理解では、国家が階級性を持つかぎり、人類は未来永劫に暴力革命の原罪から抜け出せない運命だとレーニンは主張していることになります。エンゲルスとともに、新たな予言者の誕生です。
 これは不破流の解釈にもとづく批判であり、的はずれであることはいうまでもありません。
 ここで詳論するのはもはや小稿の範囲外になりますが、一点だけ触れておきましょう。レーニンは次のように述べています。

「事件のこのような成行きの結果、革命は、国家権力にたいして『破壊力をことごとく集中』せざるをえないようになり、国家機構を改善することではなく、それを破壊し廃絶することを任務とせざるをえないようになる。このようなかたちで任務を提起させたのは、論理的な考察ではなく、事件の現実の発展、1848~1851年の生きた経験である。」(『国家と革命』国民文庫版44p)

 レーニンのこの文章は、あらかじめ不破のような理解・批判を想定していたかのようです。つまり、「論理的な考察」(不破のように国家の階級性の規定から他の諸命題=国家機構の粉砕などを導き出す議論・理解)ではなく、当時の歴史的諸条件の、その主客の構成の総和として国家機構の破壊が任務となったと、レーニンは主張しているのです。だからまた、そのような歴史的諸条件がなくなれば、国家機構の粉砕論も別のものになるとレーニンは言っているのです。未来は原罪から解放されているのです。
 不破はこうしたレーニンの記述をすべて無視して、エンゲルスを21世紀平和革命の予言者に仕立てたように、今度は、レーニンを機械的暴力革命論者に仕立て上げてしまっています。それもこれも、マルクス、レーニンらの議論からその議論を成立させている歴史的諸条件を剥奪して、彼らの議論を理解する不破の抽象的で空虚な解釈=死んだ抽象=教条・公式・空想が原因なのです。