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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

原 仙作さん、力作を読ませていただきました!

2004/10/01 構造改革に賛成の赤旗読者 40代 自営業

 月に3~4度しかこの掲示板に来ないため、原さんの4分割の大投稿を、今回 やっと読ませていただいた。いつか読ませていただこうと考えながら、遅くなってし まった。結論的には「原さんの指摘のとおりだろうな」ということである。
自己紹介させていただくと、私は党員ではないが、赤旗日刊紙を読んでいるし、党員 の方と交流もある。決して単純な反共産党でも親共産党でもない。不破氏の演説会 (都内)にも数回足を運んだ。
実はこれまで何度も入党を勧められたが、踏ん切りが付かない。また、周りの党員の 方々の「体質」に違和感もあり、正直に言うと「この人達と付き合っても、世の中で 置いてけぼりを食うだけかな」という気分でいるこの頃である。その気持ちがどんな 理由から生じているか、その部分が再認識できる投稿であった。また、不破氏の硬直 化した「思考法」を再認識した。特に歴史的条件等を無視した単純化論法を批判して おられる点は、きちんと論証されているので説得力がある。
さて、これはひとり不破氏への批判というより、私には「現場を見ない受験秀才」に 対する根本的批判にも読める。なぜなら、不破氏のような思考、不破氏のような危機 対応法等は、大企業幹部や旧日本軍の大本営参謀達とまったく似通ったものだからで ある。
大きな問題は、かつての軍部、現代の大企業(例えば三菱自動車)、官僚組織、そし て共産党組織が、そういった現実遊離の秀才に牛耳られてしまう病理現象であろう。 なぜそれぞれの組織は、こんなリーダーを放擲して自己革新を行えないのか? ここ は、党の「綱領」や「政策」がどうのこうのといった次元の論議では収拾がつかない 大きなテーマだと感じる。
ただ私程度の人間でも言えるのは、党員の方々(全員ではない)に感じられる「上の 人達がちゃんとやってくれる」意識の強さ、とりあえず「新しいものを拒絶する」保 守性、そういった要素が重なり合っているのではないかということである。
この掲示板でも、多くの方の投稿に「共産党は公務員の党」「共産党は親方日の丸意 識の人ばかり」「党員は爺さんばかり」という声があるのは、偶然ではないであろう。
刻々と変化する状況に臨機応変に対処するという体質は、不破氏に限らず、党員一般 が持たないものなのではないだろうか。
それにしても、不破氏が、条件を無視して論理の「整合性」に熱中する(どうしても 「平和革命・議会主義」を理論的にオーソライズしたい=レーニンは異端者であるこ とを証明したい)のも、東大工学部から鉄鋼労連本部→党本部という雲の上を歩んだ 秀才の当然の対応法ではないか。ちなみに志位氏は、東大工学部→民青→党本部とい う。話はそれるが、志位氏の話し方は、東条英機首相に似ている。
結局、彼らが民間企業で働いたこともなく、商売をやったこともないように、生産現 場やビジネスの現場から遠く離れた場所で生きている党員が多すぎるのだと感じる。 経済活動から離れている党員がどれほど「浮世離れ」しているか、例を挙げてみる。
以前、関東地方のある支部では、携帯電話の通話料に関して「みんなが十万円近く取 られている」と信じられていた。おそらくテレビで報じられたQ2ダイヤル等の情報と 勘違いしたらしいが、党員間で2年以上も「通説」になっていたようである。もう一 つ、関東地方のある都市で市長選の応援をしたときのこと。現地に向かう車の中で、 ある女性党員が「今回は勝てますね」と真顔で言った。私は「苦しいみたいですよ。 朝日の調査だと4番目ですから」と答えた。別に敗北主義でも何でもない、単なる一 つの情報である。しかし、彼女は猜疑心にみちた表情で「これだから党員じゃない人 は」と反論し、あげくに「商業新聞が本当のことを書くわけないでしょう。党員になっ て学習して欲しいですね」と発言、本当に勝つと信じ込んでいた(もちろん、争いに も加われずに惨敗。ちなみに彼女は専業主婦、ご主人は市役所勤務で非党員)。
ところで、私は昭和30年代生まれで、学生運動にも市民運動にも参加した経験がない。 したがって、市民運動の方が言われる「共産党のいやらしさ」や、学生運動経験者の 言われる「共産党のスターリン主義体質」というレベルの批判には、実感が沸かない 人間である。政治にやらしさはつきものであるし、共産党に限らず「組織」というも のは、みなある意味で「スターリン主義」である。末端の構成員が万歳三唱する組織 は、カルト教団だけであろう。やくざ組織だってヒラのチンピラは「ひいひい」なの である。
脱線したが、おそらく、党員も党中央も「現実的な未来」が見えない、当然のこと同 時に、冷静な状況分析ができない、どっちが先かわからないが、そんな袋小路である。 小沢一郎のように政局を動かせる辣腕もない。かといって、若者を感動させる新鮮な 運動を生み出す人材もいない。
同じ面子が集まって、ひたすら「演説会」や「勉強会」で、言葉の上・文字の上だけ で「整合性」や「革新性」を求める幼稚さ。党の「短期目標」と「長期目標」の区別 もつかない党員も多い。ある党員は「社会主義を目指す党」と言い、別の党員は「福 祉と護憲の党」という。イデオロギーの違いではなく、目標自体が混乱している。
多くの投稿者が「新撰組」と共産党を対比しているが、たしかに新撰組が当初は「攘 夷」(長期目標)を叫びながら、短期目標の「京の治安維持」に没入した結果、時代 遅れの賊軍になった流れに似てはいる。共産党が、もはや多くの党員に「福祉と護憲 の党」(当面の政策)と考えられているのなら、やはり別に社会主義政党を立ち上げ るしかないであろう。かつて日本国憲法の成立時、堂々と反対したのも共産党であっ た。
再び結論であるが、常識的に、いつの時代でも社会の革新は若者が担う事業である。 したがって、共産党が本当に「公務員と年金生活者の党」であるなら、革命を成し遂 げる可能性は「ゼロ」である。

(前略)そうした諸関係の新たなる創造のために、党員、国民の偉大なる創意、実践 こそが求められているときに、創造的な探求の方向ではなく、不破のように、官僚的 な組織運営と、後ろ向きの馬鹿げた文献研究で、マルクスに救いを求め、マルクスを 誤って解釈していては、あらゆる意味で従来の運動と思考の枠組みから抜け出すこと はできません。その一例が前衛党規定を削除したものの、それに替わる新たな党理念 を打ち出せず、相変わらず、前衛党的対応をとっていることに見ることができます。 その意味では不破の「議会の多数を得ての革命」論は、古いものを身いっぱいにまと う恐ろしくミゼラブルで臆病な、いまだ抽象的な平和革命論にすぎません。パリ・コ ミューンが血の海に敗北した時代に、マルクスがイギリスに平和革命の可能性を見い だした先駆性や、第1次世界大戦の殺戮とロシア革命の中で千載一遇の好機を利用し て平和革命の可能性を追求するレーニンの大胆不敵さとは比べるべくもありません。 (原氏の投稿より)

 ○ご参考に(面白いサイト)
 http://www.genpaku.org/sugitalist01.html