構造改革に賛成の赤旗読者さん、感想をよせていただきありがとうございます。
私が後で読み返し、もう少し表現を工夫すべきであったかと思う点まで読み込んでいただいて感謝しています。
ご感想にある次の点は私もまったく同感するところです。
「さて、これはひとり不破氏への批判というより、私には「現場を見ない受験秀才」に対する根本的批判にも読める。なぜなら、不破氏のような思考、不破氏のような危機対応法等は、大企業幹部や旧日本軍の大本営参謀達とまったく似通ったものだからである。」
対立物にまで発展する諸現象をとらえるはずの弁証法の本家が、硬直した議論に終始し、赤旗読者さんが上に指摘されたような事態に立ち至っているのは、やはり、党内で議論が起きないような組織形態(「民主集中性」)を、長年採用してきたことが大きな原因だと思います。こうした組織では必然的に一部幹部グループだけが党員大衆の見えないところで議論するだけとなり、結論だけが党員に示され、やがて、一部幹部からさらに少数の幹部だけの議論となり、その少数の幹部は一切合切を背負い込むことにもなります。複雑な現代社会を少数の頭脳だけで議論することの危うさは計り知れないものがあり、また、まちがった議論も多くなります。
人文学徒さんが指摘される社会主義生成期論やソ連の核兵器擁護論、つい最近まで言われてきた冷戦体制崩壊論批判もそうです。すべての議論を少数者にゆだねると、こうした結果になるのであって、その誤りが明らかになっても誤りだとは言えなくなります。誤った議論をした少数のご本尊たちの首を取れないからです。もっとも、滅多なことでは誤ったとは言わない「伝統」もあるのですが、そうした伝統もまた、こうした組織形態との長年の相互作用の結果というべきなのでしょう。
中公文庫に『失敗の本質』という題名の本があります。6人の共著で副題は「日本軍の組織論的研究」となっており、戦前の日本軍が敗北した組織的原因を主要な軍事作戦を素材に検討したものですが、敗北の原因を次のように述べています。
「われわれにとっての日本軍の失敗の本質とは、組織としての日本軍が、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかったということにほかならない。・・・組織が継続的に環境に適応していくためには、組織は主体的にその戦略・組織を革新していかなければならない。このような自己革新組織の本質は、自己と世界に関する新たな認識枠組みを作り出すこと、すなわち概念の創造にある。・・・自らの依って立つ概念についての自覚が希薄だからこそ、いま行っていることが何なのかということの意味がわからないままに、パターン化された『模範解答』の繰り返しに終始する。それゆえ、戦略策定を誤った場合でもその誤りを的確に認識できず、責任の所在が不明なまま、フィードバックと反省による知の積み上げができないのである。」(同409~411ページ)
この本の出版は1984年ですが、日本軍を共産党に置き換えてみれば、そのままあてはまるような分析になっています。赤旗読者さんのご指摘のとおりのことがここに書かれています。
そのうえ、党組織の上部がこのような状態では、下の者達の対応は決まり切ったものにならざるを得ません。目をつぶってというか、絶えずというか、根っからというか、とにかく党中央を信頼する以外にほとんどの者は党員を続けられないわけです。ここに、日本人の国民性とも言われてきた伝統的な「お上意識」が浸透してくるわけで、よりによって、共産党の中に、むしろ古い日本人の「お上意識」が純粋培養されて来るという皮肉な事態も生まれてくるわけです。
この古い日本人は、近代のはじめから次のように特徴づけられていました。ご存じだと思いますが、福沢諭吉の指摘です。
「日本において権力の偏重なるは、あまねく其人間交際の中に浸潤して至らざる所なし。・・・其趣を形容して云えば、日本国中に千百の天秤を掛け、其天秤大となく小となく、悉く皆一方に偏して平均を失ふが如く、或は又三角四面の結晶物を砕て、千分と為し万分と為し遂に細粉と為すも、其一分子は尚三角四面の本色を失はず、又この砕粉を合して一小片と為し又合して一塊と為すも、其物は依然として三角四面の形を保つが如し。」(福沢諭吉「文明論の概略」1875年、岩波文庫182ページ)
社会変革の意欲に燃えて、先々の困難をも踏み越えて入党しただけに、本来は意欲的で個性的なはずの党員の多くが、かかる古い日本人集団のような外観を与えるのも、この組織のあり方と無関係ではないと思います。
それにしても、時代の先端を行くはずの共産党の特徴が、ことごとく、戦前的なものとオーバーラップしていくのは不思議なことで、時代の新たな波頭というヤスリにかけられて、その古い姿、形がむき出しにされてくるというような趣があります。構造改革に賛成の赤旗読者さんのような人を迎えられる党に脱皮してほしいですね。痛切にそう思います。
まずは、お礼まで