原仙作さんの投稿を読んで、確かに力作であると感じました。
この原さんの力作には、私も何か投稿しなければならないと思いました。
ただ原さんの主張には、日本共産党の存在そのものを否定しているわけではない、その上層組織が如何に批判すべき体制になっていても、30万以上の党員がいる中で、その全体を否定しているわけではない、そのことは確認したいと思うのです。
原さんの主張によれば、レーニンも無知であり、不破も無恥であるということになるだろうと思うのです。『議会の多数を得ての革命』これが新たな発見であるとするならば、今までの日本共産党は暴力革命も辞さないことになるわけで、これはほんとうに無恥であると私には思われます。
他方、レーニンは少数者による暴力革命をしてしまった。これは明らかに無知であると私には思われます。
私が言いたいのは、今の現行憲法ができた以上は、どんな場合であれ、平和革命しかありえないということなのです。マル・エンがどのように述べたとしても、現行憲法では例えそれが改正されたとしても、平和革命論しかありえないと思うのです。右翼であれ、左翼であれ、また全体主義思想が台頭し、民主主義が圧殺されることはないだろうということなのです。この民主主義が圧殺されるというのであれば、暴力革命もしなければならないかもしれません。しかし、日本国憲法がほぼ完全に定着した今、誰がどのようの述べたとしても、平和革命しかありえないわけで、暴力革命はまったく意味がないのです。
だから、不破さんが『議会の多数を得て革命』云々という原さんの主張は正しいと僕は思います。暴力革命云々の問題は、何を今さら、という感じも僕も持ちました。レーニンの革命論も今日の時代では、まったく無知だと僕は思います。
じゃ、どうしたらいいのか。マル・エンの科学的社会主義の基礎は学ぶ必要はあるだろうと思います。しかし、僕は暴力革命家になってしまったレーニンからは何も学びたくない、彼の本は一冊も読まないと決めています。
それ以外にどのようにすればいいのでしょうか。僕は、やはり日本共産党綱領ではないかと思うのです。
不破さんには、原さんご指摘の学問上の問題があった。つまりレーニンの暴力革命論の認識に誤りがあった。しかし、それは過去の革命論であって、現在の問題ではない。やはり私たちは、日本共産党綱領を中心として、団結すべきなのです。そしてその場合のみ、不破さんは日本共産党の理論的支柱だと私は思うのです。
レーニンの暴力革命の認識に、不破さんは誤りがあった。これは原さんの力作を読めばそのとおりだろうと私は思います。しかしそれだからといって、不破さんの理論のすべて否定するのは誤りがあり、日本共産党の是非が問題になることはないだろうと私は思うのです。