銀河さん、感想を寄せていただきありがとうございます。
銀河さんの質問は、日本の革命について、私は平和革命が可能だと考えているのか、
ということですが、私は可能だと考えています。
さて、その理由ですが、第1に、議会制を含めて日本に民主主義的制度が一定の定 着をみていることであり、どのような政権が成立するにしても、合法的に成立した政 権を暴力で転覆することは困難だと考えています。第2に憲法の存在です。戦争放棄、 戦力の不保持が規定されており、日本の軍隊は非常に大きな制約を今だなお受けてい るうえ、実戦の経験がありません。第3は平和と民主主義を支持する国民の社会運動 と世論の存在です。第4は、というより、私の考えるところでは、日本の革命を決定 づける主要な要因として第1に持ってきたいのですが、暴力革命を否定する国民の強 い意思の存在です。それは第2次世界大戦の悲惨な経験により培われた反戦・平和の 意思と結びついており、社会主義諸国の崩壊によりうち固められたもので絶対平和主 義の思想とでも呼ぶべきものです。第5にアメリカ駐留軍の排除の問題がありますが、 新たに成立した合法政権の意思を無視して駐留を続けるのは困難だと思います。
大きく言って、こんな理由ですが、銀河さんが『共産党宣言』を引用されて、マル
クスらは「共産主義者は、彼らの目的は、既存の社会組織を暴力的に転覆することに
よってのみ達成できることを、公然と宣言する。」と述べている点を指摘しています。
この引用を引き合いに出すのは平和革命論への反論の意味合いがありましょう。
そこで、この引用やレーニンの議論について、私の考えを述べておくことにします。
『宣言』の上記文言は1848年当時の歴史的条件を考慮にいれて理解すべきもの だと思います。彼らの時代までの世界の歴史、および当時の国際関係(レーニンの言 う当時の諸国家の体系)からすれば、各国の深刻な利害の対立は、通常、戦争で調整 され、多くの歴史の経験では、革命は暴力的形態をとることを示していたからです。 注意すべきことは、当時のヨーロッパの多くの国では、いまだ封建勢力が支配階級の 主流であり、ブルジョア革命が歴史の課題になっていたということです。ドイツでさ え、ブルジョア階級はまだ絶対主義の尻尾になっていたにすぎません。当時の民主主 義(もちろんブルジョア民主主義としてしか存在しない)は、フランスを見てもわか るように、普通選挙権も含めて、支配階級の都合で簡単に廃止できる脆弱なものであ り、あったにしても単なる支配の手段にしかすぎませんでした。こうした歴史的条件 のもとでは、支配階級が何の暴力的な抵抗もせずに権力を明け渡すことはなく、『宣 言』の主張は正しかったのです。
1870年代にはいり、マルクスはイギリスに平和革命の可能性を見いだします。
そこに見いだした歴史的条件とは、議会制と普通選挙権の存在、強大な官僚・軍事機
構が存在しないこと、国民の多数のプロレタリア化、強力な労働組合運動の存在、イ
ギリス・ブルジョアの妥協的な性格などをあげています。
しかし、この可能性は、マルクスらの時代には歴史の経験によって実証されていな
いために、歴史による裏付けがないという意味で一つの抽象的な可能性にとどまって
いました。それゆえに、マルクスらは階級闘争の最終的な決着は、イギリスの場合で
もやはり、パリ・コミューンの先例などこれまでの経験(則)に従って暴力的な形態
になるだろうと判断したのです。これは当然の判断です。歴史によって実証されても
いない可能性を歴史において繰り返し実証されてきた経験に優先させるわけにはいか
ないからです。
レーニンの時代になると、つまり帝国主義の世界体制が形成され、そこでは帝国主 義戦争が列強存続のための鉄の法則として作用する世界ですから、戦争を不可避とす る国家体制(国内民主主義の抑圧・圧殺)が形成され、イギリスにおける平和革命の 可能性も消えます。十九世紀末に各国で拡大した民主主義とその延長線上に展望され た平和革命の可能性(マルクスらはイギリスばかりでなく、アメリカ、フランス、オ ランダなどをあげています)は、すべて消えるわけです。それだから、レーニンは 「ブルジョア国家がプロレタリア国家(プロレタリアートの独裁)と交代するのは、 『死滅』の道を通じては不可能であり、それは、通例、暴力革命によってのみ可能で ある。」(「国家と革命」)ということができたのです。この定義は、ブルジョア国 家一般からプロレタリア国家一般への転化の形態を規定したものではないのです。二 十世紀初頭に形成された諸国家の体系の枠組みの中ではという歴史的前提があるので す。簡単に言えば、「帝国主義論」を前提とするプロレタリア革命論なのです。
したがって、『国家と革命』で与えられた上記の定義は、二十世紀初頭に形成され、
第二次世界大戦まで続いた諸国家の体系が崩壊した後(すなわち、第二次世界大戦後)
では、そのままでは適用できなくなったのです。しかし、左翼は、その理解の仕方に
問題を抱え、レーニンにもたれかかり続けてきて今日の惨状を迎えているわけです。
それだから、現代革命の諸条件とそれに基づく移行の形態は我々の頭と実践により
発見、創造しなければならないのです。大いなる議論が必要になるわけです。レーニ
ンの『国家と革命』の議論は革命にかかわる現代の歴史的諸条件を研究する際の「導
きの糸」あるいは「研究の手引き」にすぎません。そこから何をくみ取るから我々の
問題で、平和革命論を唱えるために、不破氏のようにありもしない衣装をレーニンに
着せて、その衣装をけなす必要はないのです。
私の見解は以上のとおりですが、お役に立てば幸いです。