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「共産党の理論・政策・歴史」討論欄

平和革命の可能について(原さんにおたずねします)

2005/02/17 川上慎一

 まず最初に労作「レーニンが無知なのか、不破哲三が無恥なのか? - 『議会の多数を得ての革命』について」を投稿された原さんに敬意を表します。 たいへん興味深く読ませていただきました。
 この労作に対して銀河さんから「原仙作氏の力作を読ませて頂いて 04/12/21」…①という投稿があり、さらに原さんが「銀河さんへのおこたえ 04/12/23」…②という返信をされました。原さんは②の中で「私は平和革命が可能 だと考えているのか、ということですが、私は可能だと考えています。」お答え になっています。そしてその根拠として5点(後述)をあげています。

 一般投稿欄で革命の形態(権力の移行形態)についての討論が展開されています が、この問題は単なる「暴力革命・平和革命」の問題ではなく、今日の不破指導 部の議会主義、改良主義路線とも深くかかわるものであり、いわば革命の総路線 の問題だろうと思います。
 銀河さんが「戦争と革命2005/02/15」で引用しておられる反デューリング論の 一節は私も何回か読んでいます。銀河さんが指摘するような「そうした意味で暴 力革命についての不道徳的な意識」は私は持っていないつもりですし、「暴力は 歴史上他のもう一つの役割」を果たしたことについての認識もあります。
 銀河さんが、資本主義社会の欺瞞、国家の階級的性格についての暴露をされる ことについては積極的な意義があることを認めます。しかし、それでも私は銀河 さんの暴力革命唯一論に与することはしません。この点については原さんの「現 代革命の諸条件とそれに基づく移行の形態は我々の頭と実践により発見、創造し なければならない」(②より)の見解に共鳴します。
 2、3か月先になるかもしれませんが、私も文献をひもときながら少しまと まった投稿ができればと思っています。とりあえず投稿②について原さんにいく つかのおたずねをしたいと思います。

 第1~第5は投稿②からのものです。

 第1に、議会制を含めて日本に民主主義的制度が一定の定着をみていることで あり、どのような政権が成立するにしても、合法的に成立した政権を暴力で転覆 することは困難だと考えています。

 「合法的に成立した政権を暴力で転覆することは困難」とのことですが、果た してそうでしょうか。具体的な例をあげます。チリのアジエンデ政権の場合。ピ ノチェットによるクーデターはアジエンデ政権成立後すぐに行われたわけではあ りません。アメリカ帝国主義に支援されたチリ国内の資本家のストライキなどで チリの政治、経済、社会は極度の混乱に陥りました。私の記憶に間違いがなけれ ば、このときアジエンデは経済支援をあおぐためにソ連を訪問しましたが、ブレ ジネフ政権はチリに対してまともな支援を行おうとせず、アジエンデ政権そのも のがどうしようもないほどの窮地にたたされました。もともと30%程度の得票 率しかなかったアジエンデ政権ですから、国内に強固な基盤がなかったのかもし れませんが、極度の政治的、経済的、社会的な混乱によりどうしようもなくなっ たときに、事態はピノチェットによる暴力で決着がついたという歴史的な経験が あります。
 アジエンデ大統領はチリ社会党の出身だったと記憶していますが、私はこの革 命家への畏敬の念は今でも消えません。しかし、アジエンデ政権は「狭義の政 権」についたけれども国家権力を掌握したわけではなかったのだから、大統領を 辞任するなどの選択肢をなぜ選ばなかったのかと思ったりもします。「合法的に 成立した政権を暴力で転覆することは困難」あるいは「大統領が軍隊の統帥権を 持つ」という、近代議会制民主主義の根本原理からすれば、およそ起こりえない ことが起きたという歴史的事実を、原さんはどのようにお考えでしょうか。
 原さんは「歴史によって実証されてもいない可能性を歴史において繰り返し実 証されてきた経験に優先させるわけにはいかないからです。」(②より)と書いて おられます。この命題は今日においても私は有効だと思うのですが、平和革命の 可能性について「歴史において繰り返し実証されてきた経験」はあるのでしょう か。それとも「議会制を含めて日本に民主主義的制度が一定の定着」は、「歴史 において繰り返し実証されてきた経験」にまさるものなのでしょうか。

 第2に憲法の存在です。戦争放棄、戦力の不保持が規定されており、日本の軍 隊は非常に大きな制約を今だなお受けているうえ、実戦の経験がありません。

 銀河さんとのやりとりでは外国との戦争が話題になっているわけではありませ ん。革命の形態を論じているのですが、この第2の根拠はこのテーマに意味があ るのでしょうか。自衛隊の訓練には「暴鎮」(暴動鎮圧)というのがあるはずです が、それがあってもなくても「実戦の経験」がないことが平和革命の可能性の根 拠となるでしょうか。
 エンゲルスの「『フランスにおける階級闘争』1895年版への序文」(不勉強で 改竄問題については知りません)などを読むと、エンゲルスは、その時代におい てさえ、民衆の武装蜂起が旧権力を暴力的に打倒することの困難さを説いていま す。私が暴力革命唯一論に与しないことの最も有力な根拠のひとつはここにあり ますが、私は、原さんがあげた第2の根拠では説得力が乏しいという印象を受け ます。

 第3は平和と民主主義を支持する国民の社会運動と世論の存在です。

 そのためにも国家権力についての冷徹な理解と、支配階級の暴力に対する警鐘 が不可欠だと思います。その意味で「合法的に成立した政権を暴力で転覆するこ とは困難」という理解ではあまりにも安直ではないかと思います。

 第4は、というより、私の考えるところでは、日本の革命を決定づける主要な 要因として第1に持ってきたいのですが、暴力革命を否定する国民の強い意思の 存在です。それは第2次世界大戦の悲惨な経験により培われた反戦・平和の意思 と結びついており、社会主義諸国の崩壊によりうち固められたもので絶対平和主 義の思想とでも呼ぶべきものです。

 「ボルシェビズムの組織原則が、独裁や恐怖政治に道を譲るという危険性を一 般市民はソ連の崩壊から学びました。」(果てしない保守化の波を押しとどめる には?2005/02/12 ノスタルジックな平和主義者さん)と一脈通じるものがあるか と思います。社会主義革命を展望するならば、これを避けては進むことができな い問題だという認識は私にもありますが、これは別の問題として考えるべきもの でしょう。
 原さんご自身が「日本の民主主義の将来については、山本さんほどには確信が もてません。」(山本さんへ、レスありがとうございます2004/12/06)とおっ しゃっていることと整合性は保持されるのでしょうか。私は「絶対平和主義の思 想」を不動の原理として民衆の中に定着させるべき努力を否定するものではあり ませんが、これを革命運動の根底に据えることが可能でしょうか。たとえば、大 土地所有の廃止が何らかの暴力(革命)を伴わないで行われた例を私は知りませ ん。日本における農地改革は形の上では平和的に行われましたが、第2次世界大 戦の敗北で地主階級は支配権力の構成部分から脱落しており、第2次世界大戦と いう革命とは比べるべくもない暴力による解決が背景にありました。第4の根拠 についても、私は平和革命の可能性の根拠としては、原さんがされるほど有力な 扱いをしてよいものかという印象を否定することができません。

 第5にアメリカ駐留軍の排除の問題がありますが、新たに成立した合法政権の 意思を無視して駐留を続けるのは困難だと思います。

 対アメリカとの関係でいえば、駐留軍の問題だけではなく経済関係も決定的に 重要だろうと思います。結論的にいえば、私は日本一国での革命はありえないと 思っていますがそのことは別として、原さんがあげた第5の根拠は、およそ私に は信じがたいものがあります。在日米軍はアメリカの極東戦略の必要性だけで存 在しているわけではなく、日本支配の最も重要なテコとして存在していることを 認識しないでよいのでしょうか。ロッキード事件、田中角栄氏の例を見れば、ア メリカが日本の宰相の首を取るぐらいはそれほど難しいことではないのではない でしょうか。

 以上拙文を書き連ねましたが、原さんのお考えをお聞かせいただければ幸いで す。もちろん、私は原さんが平和革命唯一論を展開されたと理解しているわけで はありません。

 なお、有島さんや銀河さんなどがこのようなテーマで投稿しておられますが、 一般投稿欄は原さんも以前に書いておられましたが、投稿数が多くて少し経過す ると探すのが大変ですから、できればこの蘭に投稿を集中さたらいかがでしょうか。