4月26日、旧ソ連構成国だったウクライナ共和国の首都キエフ市などで追悼集会
が開かれた。言うまでもなく、1986年同日、同国チェルノブイリ近郊で起きた原子力
発電所の大爆発惨事による被爆死者の追悼である。86年当時、その放射能の一部は偏
西風に乗って地球を一周。遠く日本にまで到達、農作物や乳製品などへの汚染が懸念
されたという。
1999年(?)8月には日本でも「茨城・JCO放射線漏れ事故」が起き、3人の人命が
奪われたが、原子力安全保安院などはその後も原発推進路線を転換したようには見え
ない(保安院が経済産業省の管轄下に置かれていること自体、理解不能。)。核燃サ
イクル機構や青森・六ヶ所村再処理施設にしても、起こり得る巨大地震などを考える
と、とても推進賛成する気になれない。もう10数年以上も前から高木仁三郎・元東大
講師(物理学者・故人)らが『プルトニウムの恐怖』などの著書で、原子力の根本的
欠陥を指摘し続けていたにもかかわらず! その前の1979年頃には、アメリカ・スリー
マイル島でも原発放射能漏れ大事故があった。
日本は今こそ スウェーデン、ベルギー、イタリアなどにならい、直ちに原発稼動 の停止政策決定ないし、廃炉政策決定への一大英断を下すべきである。大口需要家も 一般家庭も、「21世紀型省エネ」やEU並みの「グリーン・コンシューマー」を目指し、 電力消費量を抑える消費スタイルを実践しなければならない時代になっているはずだ。 右肩上がりの経済成長“妄想”を抱く人は、いまやマトモな人の中にはいないはずだ。 地球環境と人命最優先の持続可能な宇宙船地球号路線でしか、人類は生き残れないの である以上、もはや原発存続・現状容認政策の誤りは誰の目にも明らかである。
さて、日本共産党は1999年4月頃、「原子力発電所段階的廃止法案」を作成したは
ずだが、それはいつの間にか立ち消えになってしまったのだろうか?党大会や3中総
でも議題にすらのぼらなかったようだが、不思議でしょうがない。
東南海地震や東海地震はいつ起きても「不思議ではない」とされている以上、断層
直近で稼動している原発を直ちに停止させることは全ての日本国民の生命を守るうえ
で不可欠であろう。巨大震災で臨界を起こし、撒き散らされるであろう放射能の汚染
区域は、放射線科学者の試算によると、最悪のケースでは、ほぼ日本列島全域に匹敵
するのではないかといわれているとか(※原子力資料情報室などへ行くと、信頼性の
高い情報を教えてくれる。)
ともあれ、ここのところ各地で地震続きであり、それに伴なう「原発震災」につい
てぼくら青年もとても不安な毎日を送っている。
共産党は、今度は原発段階的廃止法案をより一歩進めた「原子力発電所早期廃炉法
案」を策定し、「脱・原発 運動」のリーダーを担うつもりでリスタートしてもらい
たいものだ。
その際、新社会党や、(議席ゼロになってしまったとはいえ)環境政党みどりの会 議 との間で腹を割った共闘関係を築きあげる行き方は、現実的ではないだろうか。 とくに「みどりの会議」とその友好団体の中には、日常的に原発問題を研究する熱心 なグループがあり、放射線科学をはじめとする理学系研究者らを招いた講演会や各種 勉強会もなされているようである。
勉強会へは、ぼくも個人で参加させていただいたことがあるが、「原発問題をエネ ルギー問題に矮小化すべきではありません、人類の存亡にかかわるきわめて重大な命 の問題なのです」との講師の言葉は鋭く胸に突き刺さった。多くの場合、勉強会では スライドなどを活用して視覚に訴える立体的講義がなされているし、文系の人向けの 良心的な原発問題入門書も紹介されていると感じた。
翻って、共産党は現状では残念ながら彼らの後塵を拝しているように感じる。仲間 の民青同盟員の多くも今まで経験したかぎりでは、なぜか原発問題への関心が低い。 イラク戦争で劣化ウランの存在に気付いたのだから、もっと放射能やプルトニウムを 通じて原発問題に関心をもってもらいたい。
党は、少なくとも《国民の生命がかかった重大懸案》の解決にあたっては、妙なプ ライドを捨てて、イデオロギー・フリーで臨んでほしい。