戦後の日本で「昭和天皇とマッカーサー会見」「サンフランシスコ講和条約締結」「日本国憲法制定」など重要な課題を成し遂げ戦後日本を形成し、体制をルールづけたのは吉田茂である。
そして吉田茂は「ワンマン宰相」とか「バカヤロー解散」等と形容された、典型的な保守政治家でもある。
さて自民党の「新憲法草案」が提出され、民主党もそれに追従している今、改憲を巡る激突は不可避である。
そしてその最大で最重要な争点は憲法9条、それも特に第2項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを有しない。国の交戦権は、これを認めない」この戦争と交戦権の否定か、否かが改憲論議の中心となる。
さて、岩波新書、原彬久さんの「吉田茂」を読んで、私にとっては新しい、皆さんにとってもおそらく忘れられている、大切な一こまを紹介したい、そして討論したいと思う。
日本国憲法が上程された時、吉田茂は国会で、日本共産党の野坂参三と「自衛権」を巡って大論争している。
野坂参三は「自衛権」があるとして「正しくない戦争即ち侵略戦争」と「正しい戦争即ち自衛戦争」を区分し、「国家である以上自衛権はある」とした。
これに対し吉田茂は「国家正当防衛権」を認めることは、たまたまの戦争を誘発するが故に、「正当防衛権自体が有害だ」と断言し「自衛権を否定」しているのである。
日本共産党が(今もであるが)「自衛戦争を正義の戦争」として認めたのに対し、吉田茂は「自衛権と、自衛権による戦争は許さない」、それが「憲法9条の含意」であると強調したのである。
言うまでもなく、かつてのアレキサンダー大王の遠征も、シーザーもナポレオンの戦争も、そしてヒットラーもまた、アメリカ・ブッシュのアフガンやイラクに対する「対テロ戦争」も、みんな自国を守るために他国を侵略し征服した、全て「自衛の戦争」である。
自民党改憲草案の「自衛軍」もそのためにあるし、アメリカのペンタゴンも「国防省」である。
イギリスやドイツ、イタリアの軍隊も決して「侵略軍」ではなくて、国防軍であり自衛軍である。
かねてから共産党は「自衛権は当然」と言い続けてきた。
社民党の土井元党首も最近「主権国家として自衛権はある、但し武力ではなく外交的努力として」と自衛権を認めている。
しかしかつての尊い経験からすれば、軍隊は自国民を守るために存在するのではなくて、侵略するために存在する、軍隊は国民の命を守るのではなく国益否、資本家の利益と権益を守るために存在している。
自民党が自衛軍を正面に出してきた今、共産党も社民党も果たして従来どおりの「自衛権を認める」で、改憲論議に勝利することが出来るだろうか。
戦争反対、徴兵反対なら「自衛権の容認」はきっぱり廃棄すべきである。