PINKOさん、私は脱原発グループと日本科学者会議の両方を とりまく雰囲気を知り得る立場にいますので、今後の連携を模 索する意味から、もう少し思うところを追記します。
直前の投稿で紹介しましたウェブページ、日本科学者会議関
連の「原子力関連文献集」のリストから漏れている重要な文献
があります。それは、「原子力発電 知る 考える 調べる」
日本科学者会議編、合同出版、1985年刊(全406ページ)です
。先のリストにはもっと古い書籍も載っているのに、なぜこの
本がリストからもれているのか? このことを足がかりに、こ
の間の日本科学者会議の原子力発電をめぐってのスタンスの変
化について、私なりの考えを述べたいと思います。
この本の表紙には以下のように書かれています。
原子力の利用の是非をめぐっては、国民の間にさまざまな主張 がある。原子力発電をエネルギー政策の上でどのように位置付 けるかという問題は、国政レベルでの重要な問題である。洋の 東西を問わず論争含みの原子力問題であってみれば、この問題 にかかわる人びとは、それぞれの立場から主題に接近するに当 たって、まずは関連する概念やテクニカル・タームについての 共通の理解に立脚することが期待されよう。本書が、単に原子 力発電問題に関する解説書としてではなく、広く原子力問題に 関心をもつ人びとにとっても事典的に使える内容をめざしたの も、そうした問題意識からである。
本論を読むと、プルサーマルについての記述が現在の焦点か らすると物足りないなどの時代的な制約は否めませんが、上記 の目的に照らして大変良く書かれており、基礎的な学習にはな お有効な良書と思います。
この本が刊行された85年はチェルノブイリ前年にもかかわら ず、この頃までに全国各地に草の根的な脱原発グループが誕生 し、活動を開始していました。「ジョン・ウェインはなぜ死ん だか(82年)」、「東京に原発を!(83年)」などの著者であ る広瀬隆氏の主張も広く知られるようになりました。私がそれ らのグループの一つと関わりを持つようになったのもこの頃で す。一方で、共産党の原子力政策は、自主・民主・公開の三原 則を基礎とした「民主的規制の元での慎重な開発」路線でした から、多くの脱原発グループから目のかたきにされていたのはPINKO さんが書かれた通りと思います。
「知る 考える 調べる」の執筆者全21名中9名が、当時 の「日本原子力研究所」所属で、これを知った脱原発グループ が、共産党が原子力の平和利用政策に固執するのは共産党員の 中に原発関連の研究者が多いからだと勘ぐるのも無理からぬこ とだったと思います。ですが、私自身、当時の内情を正確には 知らないものの、その顔ぶれから、多くは単なる善意の研究仲 間が寄稿しただけだと考えています。よほどの反共主義者でな い限りScienceの世界では良くあることです。
ところがチェルノブイリ後、多くの関連科学者、特にこ れまで原発の問題とは直接には無関係であった科学者達の中に も、自主・民主・公開の三原則が徹底されたとしても原子力は 制御不能な技術なのではないか、だとすれば人類が引き受ける ことのできないリスクを伴うのではないのかとの疑いが広まっ てしまいました。党員科学者自身によるチェルノブイリ事故の 調査・研究の成果も、日本科学者会議の大勢を脱原発の方へ向 かわせる原動力になったと思います。原子力資料情報室を立ち 上げられた故高木仁三郎さんの専門家としての活動の影響も大 きかったと思います。
ともあれ、日本科学者会議のスタンスが大きく舵を切っ た時、「知る 考える 調べる」に寄稿した原発関連研究者の 一部との間に意識のズレが生じ、その事がこの出版物を微妙な 位置に押しやったであろうことは容易に想像されます。 日本科学者会議の公式ウェブサイトの中にある出版物紹介 のコーナーの「原子力関係の刊行物」のページにもこの本は掲 載されていません。そこには、代わりに『暴走する原子力開発 』、 『原子力と人類-現代の選択』、『地球環境問題と原子 力』、『さし迫 る原発の危険』、などの本のタイトルが並び ます。
私は、上記の本を読んではいませんが、最近の日本科学 者会議による原発関連の報告書を散見しますと、共産党の原子 力政策が将来確固として脱原発へ向かうことも無理な期待では ないと思っています。ただし政党としてそれを言うからには、 代替えエネルギーの問題、経済の構造改革など、緻密な政策論 を展開しなければなりません。既存の脱原発グループとしては 、共産党をいたずらに敵視するのではなく、様々な提言を通し て連携を模索する努力こそが求められると思います。なにより 、そこには、善意の科学者達が大勢います。
余談ですが、現在、党員科学者の中には、広瀬隆氏を「 トンデモ系」のいかがわしい人物と評する人がいますが、「ジ ョン・ウェインはなぜ死んだか」は、少なくとも出版当初、身 近な党員仲間からは高く評価されていました。私自身にとって は「東京に原発を!」が新鮮でした。