さざ波投稿を始めてから、僕はこの「客観主義」批判を民主集中制という問題点と並べて常に最大の投稿動機・テーマとしてきた。日本共産党が東欧社会主義体制崩壊を分析さえしないからというだけではなく、自分の過去の諸体験、感性的問題意識などを整理せざるをえなかったからである。ちなみに日本共産党はと言えば、「生成期にある社会主義」という苦渋の表現まで編み出して「原則擁護」に努めてきたものを、崩壊後は不誠実にも手の平を返したように「本来の社会主義とは縁もゆかりもないもの」と切って捨てただけのことであった。
さて、この同じテーマは、年月を置いて何回投稿しても良いと僕は考える。さざ波の読者は絶えず新しくなるのだし、僕のまとめ方や入り口、入り方などにも多少の変化を与えることが出来るからだ。
なお以下は、他の場所に最近書いた文章の「ですます調」文体をそのまま踏襲する。さざ波用にかなり書き直したのは言うまでもない。小見出しも今回新たに付けて4章立てとした。
1 述べたいことの概要
①1980年前後から、今までのタイプの「活動」が時代に合わなくなったと考えます。言うならば、「窮乏革命論」に基づく「政治主義」の活動が。要するに「諸困難を除く為に、政治をこう変えようと『学習』、『宣伝』すれば、議会で多数を得られて、困難は打開できる」というような「活動」だったかと思います。19世紀的発展途上国型変革論とでも言いましょうか。
②新たに必要になった視点は、専門性、文化性、人間性などではなかったでしょうか。つまり、貧困、困窮問題もさりながら、それ以上に生活点、生産点における質の改善、それによる人の評価と、繋がりあいなどが時代の魅力になったのだと。
③①と②では、対応する組織が自ずから違ったものになってくると考えます。①は「階級闘争」という概念に典型的に付随するような、厳格な、かつ「寸暇を惜しむ」団結が要請されました。民主集中制という制度はこうして生まれたものだと思います。他方②に対応するのは、もっとゆるやかな組織ではないでしょうか。上意下達の『学習』、『指令』などの『注入』は控え、それぞれの内発性と、話し合い、学びあいとに基づくような組織です。昔批判された「討論クラブ」、そういう人の輪、こういうものを長期にわたって、自主的に作り上げていくというやり方でなければ、専門性、文化性、人間性などは熟していかないと考えます。
④以上の変化を遂げる妨げになった哲学的背景というものが、また存在したと思います。ちなみに、日本の革新政党は世界観政党でしたから、単なる政党ではありません。人生観にも関わっています。それなのにその世界観、哲学に欠陥があった。一言で言えば「客観主義」ということでしょう。どう繕おうと、実質的にはそういうものだったのだということを、ここに展開してみたいと思うのです。
客観主義とは広辞苑によればこう述べられています。「人間の実践的活動の如何にかかわらず歴史が進行すると考える宿命論的態度や傍観主義的態度」と。こういう視点から以下の特徴も出ていたのだと考えています。窮乏を除くための「実践」が、宣伝・認識と議会とに偏っていたし、専門性、文化性、人間性などに関わる実践は実質、政治の手段、それへの入り口のように理解する哲学ではなかったでしょうか。僕の経験ではそのようにしか、見えなかったのです。
2 窮乏革命論、客観主義の限界的諸現象
戦後絶対主義天皇制から解き放たれた日本は、その民主主義的開放感に充ち満ちて、焼け野原から国土建設に邁進しました。官民、労使、老若などなど全てが少し後の「所得倍増計画」などに示されるように、「貧困からの脱出」を目指していました。
そんな中で、総評を中心とする労働組合が中心部隊となって、社会党、共産党などと共に、民主日本を建設するものと期待されていました。70年代には革新自治体が全国に林立し、民主主義的政府樹立間近かというまでに、この雰囲気が高揚していきました。各種の住民団体なども70年代には全盛期を迎えていましたが、当時の生活向上、政治革新の希望はやはり「労働者階級」とその背後にある社会主義思想だったと思います。東欧、中国など社会主義世界体制を最大の味方、拠り所ともしていました。
しかしながら、80年代に先進国に現れたユーロコミュニズムは注目に値します。ソ連型ではない民主主義的な共産党、その政治が目指され始めました。その批判に呼応するように、90年前後に社会主義世界体制が消滅し、あわせて「社会主義冬の時代」を迎えました。これは本質的に、旧社会主義の民主主義欠如に起因するものだったと言って良いと思います。なお、この反省、総括は現在まで、全く不十分にしかなされていないと考えます。
ユーロコミュニズムの出現にも示されているように、①のような窮乏革命論的活動は大戦後までの形式的民主主義さえ全く不十分な政治に対して有効だったのであって、70~80年代からの先進国にはそれに替わるものが求められていたと言うべきです。労働組合の変革イニシアティーフは先進国どこでも弱体化していましたし、替わって環境保護、フェミニズム、福祉・医療、国際協力などなどの新しい分野に活気が見られました。こういう中で力を維持し、あるいは新たに生まれた運動は②のような特徴を持ったものではなかったでしょうか。先進国では労働組合でさえ賃上げ要求はそんなに大きくならず、労働者としての専門性も高めあい、文化要求も重んじた所が、力を維持してきたと言えるのではないでしょうか。「教師論」、「文レク活動」、「自治研活動」、「要求別子組」などなどです。確かにこれらはどこでも、言葉では強調されていました。しかしながら、生きていくのにも忙し過ぎる現代生活においてますます自由な時間が限られる中で、窮乏革命論的な政治主義がこれらの活動の充実を妨げていたという面は拭えなかったと思うのです。また私たちは、政治(主義)と文・u毆)学の摩擦、政治(主義)と政治学者や哲学者との摩擦などなども数々目にすることがありました。文学や学問への政治による干渉の問題です。ユーロコミュニズム学者の切り捨て、古在由重氏の葬儀や追悼論文集発行やに関わった哲学者達への締め付け、民主主義文学同盟を「中国問題風化事件」で長期にわたって圧力をかけ大分裂にまで追い込んだことなどなど。こういう態度をめぐっても、根本的・理論的な発想の転換が、80年代のどこかで必要だったのではないでしょうか。
これに関連して、誰が世の中を変えるのかという問題もあります。窮乏革命論の主体は労働者です。ニートは昔流に言えば「ルンペンプロレタリアート」ですね。しかし現在、彼らこそ世の中を変えると言いうるのでしょうか。僕はそうは思いません。困窮が変革を起こすものならば、失業やニートが激増し、年収200万円社会というように格差が深刻になり、また高齢者に厳しすぎるようになったグローバリズム下の先進国で、どこも変革の陣営が力を減じているということが説明できません。
過去に全般的危機論こそ誤りとして退けられましたが、貧困、困窮が変革を起こすという発展途上国型変革論、視点が今でもまだまだ左翼に暗黙の主流なのではないでしょうか。重ねて言いますが、困窮が変革を起こすものならば、失業やニートが激増し、年収200万円社会というように格差が深刻になり、また高齢者に厳しすぎるようになった日本で、労組や変革の陣営が力を減じているということが説明できません。それどころ、労組の方が労働者を獲得できないこんな時代に、逆に体制側が労働者の「自主的」組織化を進めえてきたという例は、この数十年山ほど存在しているのではないでしょうか。自主管理活動、QC活動、提案活動などには「経営者主導の大衆運動」という側面さえありました。「アメだけでなくムチもあっただろう!」と言ってみても、始まりません。そんなことは当たり前の話ですから。
また、大きな既成左翼政党が悪いからであって、そこがこう変われば予言通りに間もなく労働者が立ち上がるというものでも、全くないでしょう。窮乏革命論、客観主義では世界の現状は手に負えないと観るべきです。
「鉄の団結」で「闘い」、一朝政権を獲得するというような遅れた国の「戦時共産主義」的時代は、先進国には余程のことがない限りもう来ないと考えた方がよいのだと思います。イタリアのアントニオ・グラムシの言葉ですが、「長期に渡る陣地戦」の構えで、気長に、社会的・文化的・道徳的な領域で実践的にイニシアティーフを獲得していく、そんなイメージが今後の「闘い」なのだろうと考えます。
3 客観主義哲学の「形」について
さて、以上のような全体を振り返った時、従来の正統的「変革の哲学」、「科学的社会主義思想」には、客観主義という重大な欠陥があったということに突き当たります。古今東西多くのマルクス主義(的)哲学者達が、こういう批判を行ってきました。戦前のヨーロッパでは、ルカーチ、グラムシ。戦後すぐの日本でも、マルクス主義の客観主義的理解を批判する「主体性論争」が有名です。古在由重、真下信一、丸山真男、村松一人、清水幾太郎などなど、そうそうたるメンバーが岩波の雑誌、「世界」などで論争しました。この論争において客観主義批判を行ったのは、真下、丸山の両氏です。清水氏らの科学(万能)主義や古在、村松氏らの「正統派」弁証法的唯物論者に対して、「人間の主体性というものはどこ行っちゃったの?」という論争だったと言われています。さらに比較的近くでは、戦前からのマルクス主義哲学者・古在由重氏の追悼論文集「転形期の思想」(梓出版社、1991年刊行)にも、そのような観点からの批判論文が多く収められています。
「経済、『土台』が人々の生活を困難にしている。そのことを『学び、知らせ、宣伝する』ことに努めれば議会で多数を占め、やがて世の中が変えられるはずだ」という理論は人々を獲得できていないのです。それは、変革方針を考える哲学が以下のような誤りを持っていたことに呼応するものだと、僕は考えるに至りました。マルクス主義哲学、科学的社会主義のいわゆる土台と上部構造の関係の捉え方に客観主義的な誤りがあったと、そういう哲学で政治戦略を考えることしかできなかったからだと。
以下に、そういう哲学にかかわる批判的まとめを数点にわたって行ってみましょう。
①土台が上部構造を規定すると言い、他方で上部構造が土台に反作用すると言います。そして、いわゆる社会主義的変革においては、後者の上部構造の「相対的独自性」が極めて重要になってきます。政権を取ってから土台を変えていくという、過去の国家の言うならば「自然発生的」歴史にはなかった「人為的」過程をたどると規定されているからです。つまり社会主義的変革においては、上部構造でイニシアティーフが取れなければ政権がとれず、新しい社会は来ないはずだと言いうるわけです。
②上部構造の相対的独自性とか、その土台への反作用とか言われたもの自身については、古典の中には僅かですが、こんな論述が残っています。土台は上部構造諸領域に直接に何かを作り出すということはなく、それらの中の歴史的に与えられた独自の枠組み、諸条件を、外から間接的に変えうるだけだと。
しかしながら、階級性とか「労働者的」とかいう表現、考え方には、こういう上部構造諸領域の独自な発展に対して外から土台的な物を持ち込みがちだという傾向が含まれていたのではないでしょうか。「階級性が科学性を保障する」という「方法論」は機械論の一種にもなりうるもので、客観主義の危険性を常にはらんでいます。土台を重く見過ぎる政治(主義)が政治学、哲学、文学などと絶えず摩擦を起こしてきた過去の世界的・歴史的姿は、極めて悲しむべきその証明であったとは言えるはずです。
③①、②からすると、政治学、哲学、文学など専門学者たちの尊重ということが先進国では特に、極めて重要になってきます。しかしながら従来のマルクス主義的政治、政党は、これらの方々からは学ばず、逆にこれらの方々への統制ばかりが目立ちました。その結果として多くの人材を失ってきたというのも明白な事実だったと思います。ましてや、外部の学者などとの討論などは、狭められるばかりではなかったでしょうか。こうして残った人々だけで作る政策、方針はますます、機械論、客観主義の色彩を帯びてくることになったと言えるのではないでしょうか。
④客観主義は、戦略を考え、政策を作る過程で、「土台の上部構造への規定性」という視点から見たその都度の社会認識、その宣伝を重視しすぎて、社会的実践的契機を軽視するという特徴をも有することになります。こうして、社会変革が結局、認識・宣伝の問題に矮小化されていたのだと思います。「客観的に明日がそこにあるのだから、それを知らせるだけでよい」と表現できるような姿勢です。しかしながら、そういう「正しい」認識、宣伝が進まないならば、その元である実践的世界を重視しつつ、そこからもう一度戦略哲学を練り直す努力が必要だったのだと思います。人々が認識を進め、深めれば社会が変わるという側面は確かに存在するでしよう。しかしながら、②の諸側面も含めて、様々な生活点で実際に日々人々が変わりあい、生活を改善しあっていなくとも社会への認識を深め、広めあうことができる考えるならば、それはやはり客観主義の一種という誤りなのだと考えます。「改善の感性は十分にあるのだから、あとはそれを整理し、認識、宣伝すればよい」というのではなく、「改善の感性自身を実践的に育て合わなければ、必要な認識も生まれないし、広がらない」と言い換えても良いでしょう。
4 終わりに
終わりにさて、こんな事を何故今むしかえすのかというご批判もあるかも知れません。今こそもう哲学よりも反動に対する行動の一致だろうとも言われ、政治の表面に見える姿は既にこんな論議を必要とはしないはずだとも指摘されそうです。でも、世界観政党が、己の世界観の根本をなし崩しにソフトランディングさせていくというような姿には、やはり根本的に胡散臭いものを感じざるを得ません。そう見ている人々は多いと思うのです。これでは全くその政党に展望というものが見えてきません。
また、客観主義のままでしかもそれを表面上は隠しておいて、将来「正しかった」と強弁できる情勢が来るにちがいないなどという姿勢であるならば、それは二重の意味で論外というものです。
いずれにしても歴史に汚点を残すことになります。過去の文献は残っているのですから。政党が党史を改ざんしたとしても、いわゆるブルジョワ新聞に残っている記述は消えはしません。こうして、世界観政党が、自らの公式的世界観解釈史に汚点を残したままで今をなんとかやり過ごそうとしています。それこそ、取り返しのつかない、不誠実な所業ではないでしょうか。イデオロギー手段を支配する経済的支配階級と戦うものが倫理的に敗北していては、そういう政党には端から未来はないと思うのです。