投稿する トップページ ヘルプ

「科学的社会主義」討論欄

耐久消費財と失業問題、他について

2000/1/1 吉野傍、30代、アルバイター

 浩二さんよりいくつか反論が来ていますので、再反論します。
 まず、「耐久消費財の話を持ち出すのは不毛である」という意見についてですが、そもそも個人的所有の問題をめぐって耐久消費財の話を持ち出したのは、浩二さんですよね。たとえば、あなたは12月4日の投稿でこう書いています。

「ショップで買って今テーブルの上に乗っているパソコンは、実は私の物ではなく製造したメーカーの物なんだと、そういう意味でしょうか」。

 また、同じ投稿で、もう一度パソコンの話を持ち出していますね。19世紀における古典的著作で述べられている「個人的所有」の問題を論じているのに、パソコンという高度な耐久消費財の話を持ち出してくる議論がナンセンスなので、当時において、そのような耐久消費財など問題にもなりえなかった、と私は述べたのです。当時にあっては、そのような高度な耐久消費財どころか、日常生活における最小限の必要な消費手段すら賃金でまともにまかなえなかったという現実を私は指摘しました。19世紀末および20世紀初頭の労働者階級の生活について調査したある研究によれば、賃金でまかなえたのは、必要最低限の生活費の7~8割ほどだったことが明らかになっています。絶対的な生産力が低かったというだけでなく、富の分配が極端に不平等であったからこそ、そのような現象が生じたのです。
 また、失業問題について浩二さんは、「資本のくびきのもとに戻らざるをえない」という文言を持ち出して、失業問題は関係ないと言っています。「資本のくびきのもとに戻る」ということが、あたかも、一般に職場に出勤することであるかのように理解しているようですが、そのような理解がナンセンスであるということを指摘したと思うのですが、どうやら理解されなかったようです。「資本のくびき」とは、「働く職場」一般のことではなく、一方で「強制された怠惰」(失業問題)を大量に生み出し、他方では、自ら健康も生活も破壊するような長時間・過密労働が強制されるということを意味するのです。当時においては、12時間労働が普通で、しばしば14時間労働、16時間労働が行なわれていました。これが「資本のくびきのもとに戻る」という意味であり、それだけの労働をして得られるのは、これまた、生活費の7~8割をまかなえるだけの賃金にすぎないのです。
 このような悲惨な状況は何も19世紀だけに見られる現象ではなく、今日の世界でも、資本主義が支配する多くの地域において、普遍的に見られる現象なのです。
 自分の健康を破壊し、寿命を著しく縮め、他の人々を「強制された怠惰」と「飢え」に追いやることで、ようやくぎりぎりの生活を維持できる(あるいはそれさえ維持できない)ような状態、そして恐慌や不況のたびに、自らも「強制された怠惰」を強いられる状態、これがどうして「個人的所有が確立されている」状態と言えるのか、それを証明していただきたいと思います。
 また、浩二さんは、一部の先進資本主義国の豊かさと、旧「社会主義諸国」(私は川上氏と違って、あれが「社会主義」だったとは思いませんが)とを比べて資本主義に軍配を上げます。しかし、これはきわめて不公正な比較ですね。ロシアも中国もベトナムもキューバも、当時においてはきわめて後進的な諸国が出発点であり、しかも、その経済建設の過程において繰り返し帝国主義国による妨害と破壊と侵略にさらされました。たとえばロシアは革命直後の内戦と干渉と封鎖で、第1次大戦前の10分の1ぐらいの生産力になり、その後、ファシスト・ドイツによる侵略で2000万人以上が殺されました。スターリンの愚かで犯罪的な政策を差し引いたとしても、そのディスアドバンテージは明らかでしょう。また、キューバは、革命後の数年で、5000ヶ所以上の工場や公共施設が、CIAの破壊工作によって放火・爆破されました。ベトナムは言わずもがな。1975年まで、日本、フランス、アメリカによる相次ぐ侵略戦争によって全土が戦場になり続けました。
 比較すべきは、当時と同水準の後進資本主義諸国でしょう。たとえば、フィリピン、インドネシア、インド、ブラジル、などの諸国と比較すべきでしょう(その場合でも、先進資本主義国による多大な援助や貿易があったのですから、旧「社会主義」諸国よりもはるかに有利な条件にあったはずですが)。これらの国は一貫して資本主義のもとにあったか、あるいは、先進資本主義国の支配下にあったのですから、資本主義がそんなにすばらしいシステムなら、これらの国は、国家計画経済体制に進んだ同程度の貧しい国よりも、ずっと豊かで平等で民主主義的でなければならないはずでしょう。
 とくにインドは、100年以上も前から、最も早く産業革命を経験した最先進国であったイギリスの支配下にあったのですから、そのすばらしい資本主義国の支配のもとで、インドは中国やロシアよりもはるかに豊かで平等でなければならないはずでしょう。なのに、どうして大量のストリートチルドレンがいるのか、どうして、カースト差別が歴然と残っているのでしょう。戦前はアメリカの植民地下にあり戦後も資本主義体制下にあったフィリピンで、どうしてゴミの山で生活する大量の住民がおり、大土地所有者の支配が存在するのか、等々について、ぜひ浩二さんの説得力ある説明をお願いしたいと思います。
 また、浩二さんは、一部先進資本主義国で、一般国民が普遍的にクルマを所有できるようになったことを、誇らしげに持ち出していますが、そのクルマによって生じている大量の交通事故や交通事故死者について、どうお考えなのでしょう? 戦後、日本だけで60万人もの死者が発生し、1000万人以上の負傷者が出ています。アメリカはその3~4倍です。他方で、第三世界では必要最小限のクルマがなく、多くの人々が交流を妨げられています。一部の先進国が明らかに過剰な量のクルマを所有することができるのは(日本だけで7000万台以上)、9割以上の国が、必要な量のクルマも持てないことと裏腹の関係にあります。一方の側の歪んだ豊かさは、他方の側の歪んだ貧しさを前提にしているのです。ちょうど、一方の労働者が長時間労働で苦しみ、他方の労働者が「強制された怠惰」と飢えに苦しんでいるのと同じですね。
 国連の発表によれば、戦後、先進国と後進国との間の貧富の差はますます広がっています。先進国内部でも貧富の差は広がっています。マルクスが『資本論』で述べたことは、紆余曲折を経ながらも、あるいは部分的な誤りを含みながらも、どうやら大筋では貫徹されているようです。
 浩二さんは、資本主義のどんな悲惨さを提示されても、心が動かされることはけっしてなく、旧「社会主義」国についてはいつでも悲惨な例だけを取り上げる傾向にあるようです。「社会主義の実験の失敗」、これが、資本主義と帝国主義を正当化する最大かつ唯一の理由のようです。わずか70年の試み(平和的な経済建設ができたのは、ソ連の場合ですらわずか40数年)が失敗したからといって、新しい社会システムを模索する努力が無になることはありません。資本主義はすでに300年以上の歴史を持っています。封建社会は、1000年以上の歴史を持っていました。
 ライト兄弟が、飛行機を初めて作り、実際に飛べるようになるまで、いったい何度、実験に失敗したことでしょう。周囲の多くの人々が彼らを狂人扱いにしました。しかし彼らは負けず、初心を貫徹し、飛行機を歴史上初めて飛ばすことに成功しました。先進資本主義国の豊かな生活の中にしか想像力が及ばない人々は、新しいより人間的なシステムを求める人々の試みを嘲笑し、そういう人々を狂人扱いすることでしょう。しかし、私たちは、そうした嘲笑する人々をこそ静かに軽蔑し、社会変革の事業に邁進することでしょう。