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「科学的社会主義」討論欄

吉野傍さんへ(2)

2000/1/31 浩二、40代

 1月19日付、吉野傍さんの浩二さんへのレス(2)についてです。

これはちょっと驚かされる判断です。

 ロシア共和国の行く末を私は非常に危惧します。KGB出身のプーチンが次期大統領と目されていますが、先の選挙でプーチンの支持母体となった統一が勝利しました。これはロシア国民の選択です。チェチェン侵攻を支持しているのもロシア国民です(最近は批判が多くなっているようですが)。ロシアの将来を選択するのは彼らであり、彼らがどんな体制を選択するのか、外部の人間はあれこれ意見を言うだけにとどめるほかありません。
 エリツィンの独裁やショック療法を弁護する気はありません。しかし、このような政策を間違いだとして糾弾し、追い落とす権利を今、ロシア国民は自由選挙という形で持っています。そうした権利行使の機会を今のロシア国民が持っているということ。これに替えられる体制はないと思います。それほどソ連型社会主義がましだというなら、ソ連国民は世界の流れがどうあろうともソ連を擁護し崩壊を防いだことでしょう。1917年のロシア革命をどのように批判しようとも、旧体制に戻ればよかったなどという議論が成り立たないのと同じです。
 ロシア国民が今後、本来の社会主義を展望するならそれは彼らの選択であり、その中で世界がロシアと協調して進んでいくほかありません。

一方では、極端に個人主義的、主意主義的な歴史観(英雄的ないし悪魔的一個人がすべての歴史を作り出す!)、他方では、極端に経済決定論的で運命論的な歴史観(計画経済がすべての悪を生み出す!)を浩二さんは、同時に主張しているわけです。

 条件さえ揃えば、英雄的ないし悪魔的一個人が歴史を作るのは可能だと思います。ただし「すべての歴史を作」るのではありません。すべての歴史的条件をその英雄的ないし悪魔的一個人が利用するのです。そのような力がレーニンにはあったと思います。レーニンが偉大なのは「すべての歴史的条件」に柔軟に対応し、一定の道筋をつけたことです。「文化の低さも、住民の極端な不均質性も、第1次大戦の悲惨な影響も、内戦も、帝国主義諸国による軍事干渉も、経済封鎖も、飢饉も、反革命テロも、すべて無関係であり」と書かれていますが、どうしてこれらのことが「すべて無関係」であり得ましょうか? 文化の低さゆえにレーニンは革命後数年たった段階で文化革命に力を入れ始めたのであり、住民の極端な不均質性があったからこそ労働者政権樹立のスローガンがあれだけの力をもって浸透したのであり、第1次大戦の悲惨な現状が兵士をして戦争推進勢力にノーを突き付けたのであり、内戦ゆえに赤軍は中央集権化されたのであり、帝国主義諸国による干渉や飢饉という中でネップ政策に転換せざるを得なかったのであり、反革命テロを理由に秘密警察は設立されたのです。すべてが関係しています。そしてこれらすべての局面でレーニンは指導的立場にあり、その力を発揮しました。吉野傍さんは、「英雄的ないし悪魔的一個人が歴史を作る」というのを何か勘違いされておられるようです。「英雄的ないし悪魔的一個人」は歴史的条件を左右する人間ではありません。与えられた歴史的条件の中でその歴史的条件をおのれの意思で利用する人間です。今回このような非常に単純な割り切り方をされたレスをもらったことは非常に残念です。

他方では、きわめて機械的な経済決定論を史的唯物論の名のもとに吹聴していたからです。

 きわめて機械的な経済決定論を史的唯物論の名のもとに実行し、失敗し、メンシェビキ、エス・エル、トロツキーの提唱した自由化政策を「敵のスパイ的政策だ」として拒絶し、あげく、彼らの主張をネップという形で導入し、成功した暁に「商業。これだ!!」とまるで、それまで商業を蛇蝎のごとく忌み嫌っていた自分をきれいさっぱり忘れ、ネップのおかげで国内に安定が戻った瞬間、他党の活動を禁止し、出版など言論の自由を禁止し、知識人の多くを国外に追放し、共産党内で分派を禁止したのはレーニンであるということ。お間違えなきよう。

「計画経済」というのは、資本主義の歴史において、繰り返し、その萌芽として現象しています。だいたい、ボリシェヴィキ自身が、その計画経済のお手本にしようとしたのが、当時ドイツに存在していた「戦時社会主義」だったのです。戦争というのは全国家的事業であり、とりわけ総力戦となった最初の戦争である第1次世界大戦はそうでした。国のすべての労働力と技術と富を総動員する必要性は、必然的に市場原理にまかせていることはできず、計画原理を導入せざるをえませんでした。むしろ、ボリシェヴィキの不幸は、ドイツの「戦時社会主義」、すなわち帝国主義戦争遂行のためのブルジョア的計画経済をお手本にしようとしたことにあるとさえ言えます。

 戦争はすべて資本主義のせいだ!!と、あれほどすべての戦争を資本主義の罪悪として告発していた吉野傍さんが、ロシア革命後の「計画経済」の雛形にもってこられたのが「帝国主義戦争遂行のためのブルジョア的計画経済」ですか。恐れ入りました。言葉もありません。事実なら仕方ないですが。
 私は「平和時」の当時のロシアにおいて、計画経済の萌芽などどこにも見られなかっただろうと言っているのです。だからこそレーニンの経済政策(計画経済を展望)は強制となり、内戦を引き起こしたのだと思います。
 たしかにニューディール政策は資本主義的計画経済の見本と言っていいと思います。ただし、「彼らがこうした原理を導入したのは何といっても、ソ連「社会主義」に道徳的に対抗するためでした」というところは眉唾ものです。当時のソ連が資本主義に対してどんな道徳的手本を示していたというのでしょうか? もし当時のソ連国内でどんなことが実際に起こっているか知ったとしたら、きっと「社会主義は農民から土地を奪い、土地に縛り付け、国内の自由な移動もできなくさせるような体制だ。ああなってはいけない。あのような体制に結びつく革命が起こってはならない。そのためには資本主義の欠陥を直す方向で進まなければならない」という理屈に至ったことでしょう。制度的平等、普通選挙、男女平等、8時間労働などの理念も決して社会主義勢力の専売特許ではありません。

先進資本主義国の経済的・軍事的圧力によって、遅かれ早かれ崩壊するだろう

 「100年たたないうちに」がなぜ俗論なのかよくわかりませんが、それはともかく、ソ連は先進資本主義国の経済的・軍事的圧力によって崩壊したのですか? 自己崩壊、内部崩壊です。これが重要です。ソ連国民がソ連体制を必死に守ろうとしたのに、外部の先進資本主義国が経済的・軍事的圧力をかけてソ連を崩壊させたんだ。まさか、まじめにこう思っている人って、世界に何人くらいいるんでしょうか? この意味でボリシェヴィキ革命の指導者はみな予言を誤ったと思います。

「社会主義的民主主義の政権および地方自治体が策定する計画経済の枠内で」という限定をつける

 この限定こそ、つけてはならないものであることを、まだおわかりになりませんか? 私のイメージしているのは、社会的に所有された生産手段を用いて、個々の企業が自由に活動する形態です。中央集権的な計画など必要ありません。なぜ政権や地方自治体が計画を作らなければならないのでしょうか? これこそ官僚主義、ノーメンクラツーラに直結する体制ではありませんか? 中央政府、地方自治体は、計画の主体となるのではなく、企業の行き過ぎ、逸脱、そうしたもののチェックや、社会的に不足している物資の供給要請、そうした補助的な役割にとどめるべきです。前面に立つべきではないと思います。
 それと、社会主義的民主主義って、何ですか? 一握りの個人、企業、団体、そうしたものの横暴を許さないという意思は、社会主義とは直接関係なく今世界に広がりつつあると思います。なぜこれをあえて「社会主義的」民主主義などと呼ばなければならないのでしょう? 資本家を打倒する民主主義だからですか? そこまでして社会主義だ資本主義だと区別しなければならない理由が私には理解できません。

計画経済は市場経済と結びついてこそ、その威力を発揮します。その点を忘れのなきよう。

 私の考えが歴史的に登場したものではさらさらないのと同様、市場経済と結びついた計画経済も歴史的成功はおさめていません。この両者はどうやって結びつくのでしょうか? よくわかりません。