1月22日付、吉野傍さんの浩二さんへのレス(3)についてです。
しかし、秘密警察による生活の監視は、これも計画経済や社会主義とは何の関係もありません。
理念としてはそのとおりだと思います。「本来の社会主義」の理念が現存した社会主義国によってことごとく汚された不幸な歴史は20世紀だけにとどめたいものです。そのためには、「なぜああなったのか」を徹底的にあぶり出すことが必要だと思います。しかし、いつまでたってもレーニン擁護という姿勢では、このあぶり出しはおぼつきません。スターリンを生んだ歴史的条件は、すべて、レーニンによって整えられたからです。
資本主義国における監視体制もなくす方向に向かわなくてはなりません。先進国がみんな盗聴しているからといって、日本がその真似をする義理はありません。盗聴をやっている先進国に対しても「その国の事情があってやっているだけのことだ」などと弁護してはなりません(どっかの政党の国会議員が、テレビの討論番組でこういう発言をしていましたね)。
第1次世界大戦、第2次世界大戦はどうですか?
基本的には民族問題ゆえにだと考えます。資本主義は条件としての意味は持っていると思いますが、資本主義「ゆえに」起こったとは言えないのではないでしょうか? もし第2次世界大戦が資本主義「ゆえに」起こったとするなら、アメリカが途中まで参戦せずだんまりを決め込んでいた理由がわかりません。ただし、植民地の独立は資本主義「ゆえに」収奪されていた民族が独立したこと、これは資本主義=帝国主義が根本的な原因であると考えます。
戦後のベトナム侵略戦争などはあきらかに資本主義「ゆえに」起こった戦争です。基本に冷戦があり、警察国家を自認したアメリカが登場してから、戦争は資本主義「ゆえに」起こされるものがほとんどになりました。しかし冷戦後の戦争はまたも民族問題という戦争の「原理」に戻りました。社会主義による戦争はアフガニスタン侵攻など、社会主義「ゆえに」起こった場合もありますが、中国のベトナム侵攻も民族問題が根底にあると思います。中東戦争など、イスラム教がらみの戦争はあきらかに資本主義「ゆえ」の戦争ではないと思います。チェチェン侵攻は、バックにアメリカがいるというイスラム原理主義のゲリラにロシアが対抗しているという構図ですが、これまた資本主義「ゆえ」ではなく、ロシアとアメリカの覇権主義のぶつかり合いという性格を持っていると思います。
私の言いたかったことは、すべての戦争が「資本主義ゆえである」というのは暴論だということ。その意味で「資本主義時代の戦争が資本主義を背景にした戦争である」のはそのとおりだと思います。しかし、「資本主義ゆえである」という場合は「特定の人間、集団、国が、資本主義的な意味での利潤を上げるためにその戦争を起こしたんだ」ということを証明しなければなりません。そんなことが第1次世界大戦、第2次世界大戦に対して果たして証明できるのか、ということです。戦争ほど不経済なものはないからです。