1月24日付、吉野傍さんの浩二さんへのレス(4)についてです。
ヨーロッパ資本主義=本源的蓄積の歴史についてはそのとおりだと思います。
「スターリンがやった無数の犯罪に社会主義的なものは何一つなく、そこにはただ、資本主義と帝国主義という商標が赤々と押されている」ということなら、スターリンは社会主義的な本源的蓄積を追求しなければならなかった、ということです。
社会主義的本源的蓄積論争において、トロツキーらの論客が何を主張したのか詳しく知りませんが、たしかトロツキーは世界市場=貿易を軸に、かなり資本主義的な要素を考慮した論陣を張ったものと理解しています。それと、農業集団化や大工業優先策はトロツキーも主張しています。スターリンが実際にやったことはトロツキーなどの主張と、「やり方ではなく本質において」、何か決定的な違いがあったのでしょうか? たとえばスターリン以外の論客で、だれか「農業集団化はやるべきでない」などということを言っているのでしょうか?
社会主義的な本源的蓄積は、では、どうやればよかったのでしょう?
「社会主義的な」という形容詞が吉野傍さんの文章には使われています。とすればそれは、資本主義的な本源的蓄積とは根本的に異なる性質のはずです。それは何でしょうか? 何をどうやれば、本源的蓄積は社会主義的になったのでしょう?
この機会に教えていただければと思います。よろしくお願いいたします。