これまでの一連の浩二さんの議論を読んでいると(他の掲示版での書きこみも含めて)、最もごりごりのタイプのスターリニストの議論を思い起こします。スターリンはレーニン主義の体制を発展させ完成させただけであり、スターリンこそ真のレーニン主義者である、計画経済を実現するためには一党独裁と言論弾圧が必要である、社会主義の実現のためには大量粛清が必要である、云々、云々。いずれも、スターリン時代に、スターリニストたちが声高に主張していたものばかりです。浩二さんの議論はいわば、「裏返しのスターリニズム」なのです。
ソ連が崩壊したときに、ロシアで最もひどい反共主義者になって「共産主義は悪魔」だと大宣伝したのは、いずれも、ソ連共産党が絶対的支配権を持っていたときにスターリニストとして特権を享受し、人民を弾圧していた連中でした。つい最近ロシアの大統領を辞任した(辞任せざるをえなかった)エリツィンはその典型ですが、それ以外にも、大小のエリツィンが大量に生まれました。彼らは、スターリン時代に奉じていた思想を、そのまま裏返しにして、新しい反共の教義に祭り上げたのです。彼らは、かつての自分たちの無能や犯罪や政策的失敗を棚に上げるために、社会主義の体制そのものがそのような犯罪や失敗を生んだんだのだ、と言い始めました。つまり、悪いのは社会主義・共産主義であって、自分たちではない、というわけです。
逆に、そのような俗悪な反共主義と闘い、スターリニズムを拒否しながらも社会主義・共産主義の大義を守ろうとしたのは、スターリン体制時代に、その体制と闘った人々でした。
ソ連の崩壊は、巨大な喪失感を世界中の人々にもたらしました。これは、多くの人々にとって、資本主義の優位性を示す有無を言わせぬ証拠であるように思われました。しかし、ソ連崩壊後の10年間は、ロシア民衆にとって巨大な損失であったことを明らかにしました。教育・医療・福祉の崩壊、最も残酷な排他的民族主義の席巻(チェチェン侵攻がロシア人にもたらした巨大な興奮を想起してください)、弱者の切り捨てと犯罪の急増、女性の地位の低下、等々です。
こうした現象は、基本的の他の旧「社会主義」国にも見られます。ユーゴの崩壊が、残虐な虐殺を伴った民族対立をもたらしたことは、よく知られている事実です。よく社会主義と大量虐殺とが結びつけられますが、ユーゴにおいてはまったく逆でした。ユーゴ「社会主義」が成立する以前にすでに長年にわたってセルビア人とクロアチア人との深刻な民族対立が存在し、しばしば民族間虐殺が起こっており、崩壊後に再びそれが勃発しました。すなわち、ユーゴ「社会主義」が成立していた40数年間だけ、民族間虐殺が影を潜め、民族間の融和が進んだのです。しかし、わずか40数年では、積年の民族対立を完全に人々の間から取り除くことはできず、「社会主義」体制の崩壊と市場経済の席巻は、各民族の間にかつての民族憎悪を再び呼び起こし、殺し合いを再び始めさせたのです。モンゴルの悲惨な例については、すでに前の投稿で指摘した通りです。
以上のような現実を直視するなら、官僚的「社会主義」国家に対するオールタナティヴは、市場原理主義の野蛮な資本主義体制ではなく、民主主義的社会主義の方向を展望した新しいネップの体制だったのではないでしょうか。「新しい」という形容句をつけたのは、共産党の一党独裁や党内の分派禁止をともなったネップではなく、複数政党制と党内の分派の権利を認めた民主主義的ネップという意味です。それが実際に可能だったかどうか、それは私にもわかりません。しかし、この「第3の道」こそ、努力して選択しがいのある道だったと私は考えます。