1月5日付、吉野傍さんの「社会主義と市場経済について」について、いくつかレスします。
計画経済は、市場を無視するどころか、市場を不可欠の前提条件とします。わが党の社会主義論においても、市場の廃絶は掲げられていないどころか、市場と計画との結合が言われているし、私的な中小企業が存続することも言われています。
ソ連もたしかに「市場を完全に無視した」わけではなさそうに思います。スターリン憲法第九条も、「ソ同盟における支配的経済形態である社会主義的経済制度と並んで、自分の労働に基づき、かつ他人の労働の搾取を排除する個人経営の農民および手工業者の小規模の私的経営は、法の上で許される」とあります。ただ、これが果たして「市場を不可欠の前提条件とし」た規定なのかどうか、はなはだ疑問です。上記の「計画経済は」という一文は理論であって、歴史的に存在した計画経済のことではない、ということでしょうか?
「(わが党の社会主義論においても)私的な中小企業は存続する」とのことなので、日本共産党は「大企業はすべて国有化またはそれに類する形態にする」ことを目指していると思いますが、しかしそうなると、ソ連といったいどこが違うのでしょうか? それと、「市場と計画との結合」とはどういうことでしょう? 市場と計画は補完関係になるのか、あるいは計画が主、市場が従という関係になるのか。「結合」は誠に便利な言葉ですが中身がさっぱりわからないことが多い。この場合もそうです。計画が主、市場が従ということであれば、これまたソ連型経済と何ら変わらないわけで、私としては補完関係の方がベターかなとは思うのですが、じゃあどう補完するのかといった問題もあります。「市場と計画との結合」についておわかりになる範囲で教えていただければ幸いです。
「スターリンの誤りは計画の技術および生産力の水準が自由市場を代替できるほど発展していないにもかかわらず、早期にかつ機械的かつ行政的に市場を廃絶しようとしたこと」と書かれていますが、この誤りはスターリンに特定されるものなのでしょうか? ロシア革命直後、レーニンは大企業、銀行などを国有化しました。これは誤りではなかった、ということでしょうか? レーニンに誤りはなかったというなら、ではスターリンは何を間違ったのでしょうか? 具体的に指摘していただくとありがたいです。
「利潤原理を廃棄すれば、その分、市場の縮小が起こるでしょう。しかし、それはあくまでも市場の廃止でもなければ、市場の無視でもありません」についてですが、ちょっとよくわかりません。企業が利潤追及しなくなるとなぜ市場が縮小するのでしょうか? 市場の停滞ではないでしょうか? 利潤原理は廃棄すべきものなのでしょうか? これもよくわかりません。社会主義においても利潤は追及されるべきものと思います。ただ、利潤が一部の者に集中しないシステムであるというのが社会主義だと、私は理解しています。そうなると利潤は、国かあるいはそれに類する場所に蓄積され、その一部が福祉、公共財などの形で還元される。この意味で「利潤は労働者のもの」という形態をとるのではないかと思います。社会主義においても労働者の「搾取」はなくならない。ただ、「搾取」された剰余労働は資本主義におけるよりは多く労働者に直接還元されるが、あとの部分は行き場が変わるだけと、そういうふうに理解しています。
複数政党制のもとでの計画経済の素描についてはおっしゃるとおりだとは思いますが、政権が変わり計画が変われば人員配置も変わらざるをえないわけで、そうすると労働者個人の意志にかかわりなく配置転換が頻繁に起こるわけで、しかしこれは資本主義のもとでも同じだと言えるので、「社会主義を守るためなら仕方ない」という大衆のメンタリティーの育成に期待するほかないのでしょう(^^;。
ソ連・東欧の計画経済が崩壊したのは、要するに世界(実質先進国)の趨勢(技術革新、ハイテク化)についていけなくなったからですが、計画経済は小回りが利かない、そのときどきの情勢に機敏に対応できない、ここさえ解決できれば、その趣旨はおおいに賛同すべきものと思います。ただ、やはり基本的な不安が残ります。「だれが何を欲しているか=需要を、いったい、だれがどう判断するのか?」。計画経済における計画主体の問題です。それと新しい消費財の問題。別に新規商品など社会主義にあっては必要なくなるんだというなら、それでいくしかなさそうです。