最近の日本共産党の動きについては、「賛成できない」という観点からたくさん投稿したいことがありますが、私はあえて社会主義に関する投稿を続けます。社会主義の理想の破産とかマルクス主義の破産とかが社会のそうとう広い範囲にまで広がっています。この問題を避けて通るかぎり、「日本の革命運動の前進はありえないだろう」というところまできていると思うからです。
ソ連社会主義を正しく総括すれば、おそらく、今なお社会主義の理想は私たちが運動の目標として掲げられるものだろうということが明らかになるだろうと私は思っています。ソ連社会主義の否定されるべきものを恐れることなく明らかにしながら、また、その社会が成し遂げたすぐれた到達点も臆することなく明らかにして……。
今回の投稿では、かつて存在した社会主義国、特にソ連の社会や民衆の生活について考えてみようと思います。ソ連崩壊直後には、私自身は社会主義国が崩壊するなどとは考えもしなかったので、これらの国々はいったいどんな国だったのか、なぜ崩壊したのかということがまったくわかりませんでした。
マスコミの報道や書物では、政治や経済の表面的なことはわかっても、実際の民衆の生活についてはほとんど具体的なイメージがわいてきませんでした。その社会で人々がどんな暮らしをしていたか、ということは1つの社会を評価する上で最も基本的なことだと思いました。以前の投稿でも書きましたが、社会主義のもとで人々が実際どのような生活をしていたかだけを知りたくて、なけなしの貯えをはたいて実際に東欧の旧社会主義国のある国へ行っていきました。地方都市でのそれほど長い滞在ではありませんでしたから、私の見聞したことが限られた一面に過ぎないことはいうまでもありません。発達した資本主義の国で暮らす私たちの目から見れば確かにそれほど豊かだとはいえませんが、おもに反社会主義の立場からなされるような、暗いイメージにあふれた国ではありませんでした。むしろ、逆に資本主義の豊かさに疑問をいだくところさえありました。
このわずかな体験は私にとってはきわめて貴重なものであって、「社会主義の理念」を擁護する立場に私が立つ原動力になるものでした。しかし、私の見聞したわずかな体験を書いてもあまり説得力もないでしょうから、今回の投稿では、2冊の本から引用してみます。
1つは、『ソ連現代史Ⅰ』(倉持俊一著・1980年山川出版社刊)です。もう1つは、『ソ連―誤解を解く25の視角』(袴田茂樹著・1987年初版中公新書)です。後者はテレビなどどもときどき見るおなじみの学者によるものですが、前者については私は詳しいことは何も知りませんが、おそらくは公約数的な見解が基調となっている書物だと思います。実際、私が読んだかぎりでは、いずれも特に「共産党系」とか「左翼系」という著者ではないことだけは確かでしょう。あえてこういう書物を選びました。以下にいくつか引用します。前者からの引用段落の末尾には(1※)、後者には(2※)としました。両方とも、私が引用した以外のところでは、それぞれの著者の目から見たソ連社会についての批判的見解ももちろん展開されていることについてはいうまでもありません。
① 「物質的に豊かな生活、そして市民社会的な意味での〃自由″といった点からすれば、当然、日本がよいということになるだろう。変化、激動、競争のなかに生き甲斐を求める人、さまざまの分野で自己の傑出した能力を発揮したい人にも、日本の方がよいであろう。好んで逆説めいたことを言うつもりではないが、私は、ソ連の方がはるかに保守的で安定した―悪くいえば停滞的な―国であると思う。能力のある″インテリ〃には住みにくいであろうが、特別の資質に恵まれない庶民には住みよい国であろう」(1※344頁)
さらにロシア革命がロシア=ソ連にもたらしたものとして、工業化の成果と近代的国家体制をあげねばなるまい。遅れた農業国であったロシアは、革命後六十数年にしてアメリカと対抗しうる大工業国となった。革命前に三〇〇〇万に達しなかった都市人口(全人口に対して一八%)が、現在では約一億六〇〇〇万(六二%)にもなっている。また無料の教育の整備、女性の法律上の平等化や人種差別に対する保護も保証され、社会福祉も普及した(ソ連では、自由に病院や医師を選べないなど問題はあるにしても、医療費はすべて無料である)。(1※347頁)
② 革命まえ、飢餓におびやかされることの多かった一般庶民にとってロシア革命がもたらしたものは大きい。一九七七年の夏に訪ソした朝日新聞の取材班は、ヴオルガ川にのぞむある地方都市で、都心をはなれた一市民の古びたアパートを訪れる。引用するのは、家族との対談のなかで「革命のとき赤軍の炊出し部隊で働いた」経験をもつ七八歳の老婦人との一間一答の一節である。「『革命前と何が一番変わったと思いますか、おばあちゃん』、『何が変わったって、あなた、何もかも変わりましたよ。でもね、今くらい、いいご時世はありませんよ。だあれも食べる心配がないんですからね』」(『朝日新聞』一九七七年八月一入日)。また革命前のロシアの労働者にとって、一カ月に近い有給休暇で旅行することなど夢であったろう。
この点についてもちろん、すでに述べたように、第一次大戦直前の時期の経済の状態をバラ色に評価すれば、革命がなくても今日の工業カを持ちえたであろうという主張もある。それがかりに正しいとしても、その場合、ロシア帝国内の後進地域―たとえば中央アジア・シベリア―は経済発展からとりのこされ、他地域とは格差はひろがっていたであろう。現在それらの、かつての後進地域で、ソ連体制に対する満足感が、より強いといわれるゆえんであろう。(1※347~348頁)
③ しかし、実際にはジョージ・オーウェルが『一九八四年』で描いた完全管理の社会と、現実のソ連社会はある意味では正反対の社会でもある。外見上の固いピラミッドのような統制社会も近くで見ると目の荒い隙間だらけで、一般庶民はその隙間で良く言えば「自由な」生活を、というよりむしろ自然人のような勝手放題の生活を営んでいるのである。(2※31~32頁)
④ しかし庶民の生活態度や人間関係を観察してみると、感性レベルにおいてソ連の庶民が素直であけっぴろげな生活態度をもっていることは、驚くはかりである。自然な感性に率直にしたがいながら生きているのである。スターリソ時代というあれだけがんじがらめの統制社会を経ながら、人々の行動が枠にはまっておらず、おおらかでのびのびとしているのだ。政治的、経済的には日本のほうがたしかにずっと自由であり、ソ連はまことに窮屈な社会である。しかし対人関係など社会心理面を見ると、日本社会のほうがソフイスティケートされているだけはるかに窮屈で不自然に思えるのである。(2※32~33頁)
③と④の著者は、これらのことをロシア人の特性とか風土とかに関連づけて書いているが、私は彼らが生活したソ連社会と無縁のものではないと思っています。
これらはもちろんスターリン時代のソ連社会を描いたものではありません。また、「社会主義の理念」からすれば、けっして「立派な社会主義」であったといえるような社会ではなかったでしょう。しかしながら、かつて存在したソ連社会が、「社会主義とは縁もゆかりもない」社会とまで決めつけてよいかどうか、また、ソ連の74年にわたる全歴史を、弾圧と粛清に明け暮れた社会であり、労働者を搾取し抑圧し続けた暗黒の社会のように描き出すのは、はたして適切だろうかと私は思います。
私は、ソ連社会の中での「スターリン時代」はやはり特別な時代であっただろうと思います。そして、74年の全歴史を肯定するつもりはありませんが、その歴史が持つ「人類史的意義」は正しく評価されるべきであると思います。
社会主義に対する批判も、マルクス主義に対する批判もおおいに結構だと思いますが、現実や実際がどうなっていようとも、何から何まで社会主義が悪い、レーニンが悪い、マルクスが悪い、というのでは、その批判そのものが著しく説得力を欠くものとなることを、批判者は自覚しなければならないでしょう。
引き続きこのテーマについて投稿をするつもりです。