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「科学的社会主義」討論欄

浩二さんの投稿について

2000/1/19 川上慎一、50代

 「レーニンの政治が『秘密警察を背景に(した)一党独裁』ではない」という私の投稿が、どうやら浩二さんの逆鱗にふれてしまったようです。
 私が年表らしきもので当時のおもなできごとを拾い出したのは、レーニンが指導にあったった時期は、戦争、それも内戦の時代であったということをいいたかったからです。そういう時代には、戦争の論理、内戦の論理が支配するということであり、政治にかかわるものであれば、だれであろうとその論理の外に身を置くことができない、このことを大前提として確認したかったからです。
 内戦や戦争の時には悲惨な殺戮が膨大な規模で行われるのですから、戦っている両方の側が同じようなことをするでしょう。だからといって、そのときにその戦争の性格、正義や大義がどちらの側にあるかを考えないで、「けんか両成敗」のような立場で歴史をみることを私はしません。もちろん、ある種の宗教的立場――絶対平和主義のようなものがあることも知っています。こういう立場の人が、当時、ロシアの革命権力の側が行った対応を非難するのであれば、私はその考えに同意はしませんが、その立場を尊重します。しかし、浩二さんの立場はどうやらそうではないようです。浩二さんは、反革命や帝国主義国の側から行われた行為にはまったくふれず、もちろん非難もしていません。そういう行為はなかったのですか。こういう討論の進め方は浩二さんにほぼ一貫してみられる傾向で、それはその説得力を著しく損なうものです。
 私は、チェカーができた年代を示し、レーニンが指導にあたった時期を示しています。そのことを読めば、「レーニンはチェーカーを作らなかったのだと、そう断言できる資料を提示してください」(浩二さんの投稿から引用)という問いに対する答えは、おのずと明らかであり、その投稿の中にすでに書いてあります。レーニンが指示したとか、という文献学的な根拠を私はもっていないのでレーニンが指導に当たった時期にチェカーができたということを年表のような形で示しているのです。私がいっていることは、「レーニンの政治は秘密警察による恐怖政治ではない」ということです。浩二さんの議論にしばしばみられる「飛躍」、「短絡」がここにあります。  だから、浩二さんが私に対して反論するとすれば、戦争、内戦の時代にあっても、レーニンは「反革命・サボタージュおよび投機行為取締全ロシア非常委員会」のようなものを使って、暴力をもって対抗すべきではなかった、というべきです。そういう立論の仕方ならばそれなりの論理は通じます。
 浩二さんは、「秘密警察を背景に(した)一党独裁」体制」がレーニンによる必然的なものである、という所論の根拠として以下のことをあげています。
① チェカーができたときにレーニンが人民委員会議議長であった。
② レーニンは秘密警察が「法律を度外視して」テロを行なうよう進言している。
 ①についてはすでに述べました。②については『KGB』という書物を持っていませんので読んでいません。どういう脈絡においてレーニンがこれを述べたかはわかりませんからその当否を判断するのはさしひかえますが、レーニンが狙撃された直後に、ソビエト中央執行委員会は「赤色テロルを認める決議」を通過させたということを私は書いています。これは1918年のことです。浩二さんが引用した「レーニンの秘密書簡」は1922年3月となっています。一般にマルクス主義はテロルや陰謀を否定します。これが一般的な理解であり、テロルや陰謀で革命を進めるという立場でもありません。しかし、内戦という特殊な状況で、ボリシェビキの指導者だけではなく、ソビエトの活動家、赤軍兵士がテロルの対象となって実際に殺され、襲われているときに、浩二さんはどうしろというのでしょうか。テロルを甘受し、殺されて当然だ、といいますか。
 「レーニン時代のチェーカーは、穀物調達に従わない農民などが一家抹殺の目に遭いました」(浩二さんの投稿から)。浩二さん指摘の個々の事実については論じませんが、革命後にレーニンが指導に当たった時期に、厳しい穀物の徴発があったという歴史は私も過去の投稿で書いていると思います。これについてはレーニン自身が何度も「ほかに方法がなかった」としています。そして、この穀物徴発が社会主義の理念にてらして当然のことであったと私はいっていません。20世紀初頭のロシアがおかれた状況の中で、ロシアの労働者、民衆が革命に立ち上がり、プロレタリア権力を確立しましたが、誕生した革命権力はさまざまな制約を受けていました。そういう一連の歴史的背景の中で浩二さんがご指摘のできごとが起きたのだと思います。したがって、そういう歴史について考えるべきでしょう。浩二さんのこの指摘に対して、私が反革命の側が行った個々の行為をとりあげて、これに対して浩二さんはどう考えるかという反論をすれば、それはエンドレスなつまらない討論なってしまうでしょう。そういう討論をする気はありません。

 私はソ連史の中で浩二さんがご指摘の時代があったことを認め、これを否定的に受け止めていることは先の投稿をお読みになればわかると思います。ただし、これをレーニンの時代に求めることはできない、ということを、レーニンの党に対する態度もあげながら歴史的に述べたのです。
 浩二さんは「a priori」という言葉がお好きなようで、よくお使いになりますが、何を意味しているかはわかりませんが、「先験的」つまり、「経験に依存せず、それに先立つ認識」転じて「何の論証もなく」という意味であると理解すれば、「レーニン=善人」ということをこの投稿のどこで私が「a priori」にいっているかを示してください。これも浩二さんの議論の特徴の1つですが、「先走り」というものです。私は、これまでの投稿で、「a priori」に「レーニン=善人」説を展開したことはありません。結果的に私は「レーニン=善人」説に立つかもしれませんが、その場合でも、「a posteriori」に述べるつもりです。

 ソ連の秘密警察(政治警察というべきかもしれませんが)について、私はおそらく浩二さんほど知らないと思います。その道の「専門書」も持ってはいません。歴史はまずは政治、経済を中心に見ていくことだと思っているからです。ソ連史をひもとけば、ふつうの書物であれば、スターリン時代とその支配にはかならずふれています。特に秘密警察を研究しようとは思っていません。

 ネップが、戦時共産主義の失敗から採用されたとする見方と、内戦期を乗り越えて戦時共産主義がその使命を終えて採用されたとする見方があります。レーニンがたびたび戦時共産主義について自己批判と受け取られる見解を表明していますので、失敗から採用されたとする見方にも根拠があると思います。いま、私はスターリン体制についていろいろ読み考えています。この歴史の中には、とうてい社会主義とは評価しがたいものがあるということも感じています。
 最後にひとこと。「いい加減、レーニン=善人という思考から脱却してほしい。これは「しんぶん赤旗」ですら論じ始めていることです。 」(浩二さんの投稿から)についていえば、私は「しんぶん赤旗」=不破指導部の行き先をこそ危惧しています。