続けて、1月12日付浩二さんの投稿に対するレスです。
浩二さんは、次のように述べています。
「崩壊時~崩壊直後は、それまでの反動で市場経済万歳という雰囲気が横溢していたのですが、現実には簡単に移行できるものではなかった。しかし、これをもって崩壊~市場経済への移行を推進した勢力や世論を糾弾することはできないと思います。崩壊当時の流れは、決して資本主義の陰謀とか資本主義の入れ知恵によったなどということはできないからです」。
これはちょっと驚かされる判断です。帝国主義による軍事干渉と内戦と反革命テロの中でボリシェヴィキがとったあれこれの措置が、最大限の非難の対象とされているというのに、干渉戦争も内戦もなかったし、それどころか最も発達した先進資本主義国からの手厚い援助のもとで新体制に移行した旧ソ連の支配層による犯罪行為が、なぜこれほど弁護されるのでしょう。
「資本主義の陰謀」や「資本主義の入れ知恵」というのが具体的に何を意味しているのかわかりませんが、エリツィン下のロシアが、IMFという国際資本主義機関の指導のもとにその経済政策を実行したことはよく知られています。彼らは急速な市場経済化を意識的に追求しました。いわゆる「ショック療法」というやつです。旧体制が崩壊した直後でも、いくらでも別の選択肢はありました。にもかかわらず、IMFと国際帝国主義諸国の指導のもと、ショック療法がとられたのです。その結果は、社会の解体、貧困層と社会的弱者の大量発生、最も排他的な民族主義の隆盛、一部の権力者と金持ちによる国有財産の分捕りあいです。
そして、そのような滅茶苦茶な政策を実施するために、エリツィンの独裁的権限は一貫して強化され、エリツィンに逆らった連邦議会は、建物ごと砲撃を加えられました。しかし、民主主義のチャンピオンであるはずの西側諸国は、ブルジョア議会主義に対するこのような無法な攻撃を非難せず、もろ手を上げて支持しました。独裁と暴力は、計画経済の手段としてではなく、市場経済化の手段として行使されました。
次に浩二さんは、次のように述べています。
「『生産手段の社会的所有』を仮にも世界で最初に実現したソ連が、なぜ『官僚主義的な変質』を遂げたのか? ロシア革命当初に戻って考察いただければ幸いです。私は『レーニンが官僚主義的な体質を作った』と考えています」。
つまり、ロシア自身の絶対的な貧しさも、文化の低さも、住民の極端な不均質性も、第1次大戦の悲惨な影響も、内戦も、帝国主義諸国による軍事干渉も、経済封鎖も、飢饉も、反革命テロも、すべて無関係であり、ひたすらレーニンという悪魔のごとき人物が、官僚主義的体質なるものを革命の中にせっせと蒔いていたというわけです。こういう話を聞くと、ちょうどスターリン時代に、スターリンとその代弁者たちがトロツキーについて語っていたことを想起いたします。当時のスターリニストたちによれば、トロツキーという悪魔のごとき人物がロシア革命当初からいて、これが密かにありとあらゆる陰謀の種を蒔き、ことごとく革命に内部から敵対し、革命を破壊しようとしていたというのです。
このような議論は、あたかも歴史が、英雄的ないし悪魔的な一個人によって恣意的につくりうるものだと考えている点でまったくナンセンスです。しかも、興味深いのは、浩二さんは他方では、計画経済が必然的に独裁や言論弾圧や人権抑圧を生むと主張していることです。もし後者の命題が正しいのなら、レーニンがいようといまいと、結局、独裁と言論弾圧になっていたはずです。一方では、極端に個人主義的、主意主義的な歴史観(英雄的ないし悪魔的一個人がすべての歴史を作り出す!)、他方では、極端に経済決定論的で運命論的な歴史観(計画経済がすべての悪を生み出す!)を浩二さんは、同時に主張しているわけです。
私は以前の投稿で、浩二さんの立場を「裏返しのスターリニズム」と表現しましたが、ここでも浩二さんは、スターリニズムの立場に忠実なようです。なぜなら、スターリニズムは、一方では、英雄的一個人(最初はレーニン、次にスターリン本人)がすべての善の源であり、悪魔的な一個人(トロツキー)がすべての悪の根源であると主張し、他方では、きわめて機械的な経済決定論を史的唯物論の名のもとに吹聴していたからです。
次に浩二さんは、「人類史上、自然な形ではその萌芽すら現れたことのない計画経済をやろうというのです」と述べています。「計画経済」というのは、資本主義の歴史において、繰り返し、その萌芽として現象しています。だいたい、ボリシェヴィキ自身が、その計画経済のお手本にしようとしたのが、当時ドイツに存在していた「戦時社会主義」だったのです。戦争というのは全国家的事業であり、とりわけ総力戦となった最初の戦争である第1次世界大戦はそうでした。国のすべての労働力と技術と富を総動員する必要性は、必然的に市場原理にまかせていることはできず、計画原理を導入せざるをえませんでした。むしろ、ボリシェヴィキの不幸は、ドイツの「戦時社会主義」、すなわち帝国主義戦争遂行のためのブルジョア的計画経済をお手本にしようとしたことにあるとさえ言えます。
その後も、繰り返し計画経済の原理は、資本主義に導入されています。1930年代アメリカにおける大不況下の「ニューディール政策」は典型的な資本主義的計画経済の見本です。また、戦後、すべての先進資本主義国で導入されたケインズ政策も計画経済の萌芽です。単純に市場原理にまかせようとせず、とりわけ、福祉や医療や教育や郵便・鉄道、その他国民生活の根幹に関わる分野において、計画経済の原理を導入する試みは、戦後、かなり本格的に取り組まれており、社会民主主義政権は、まさにその点でかなりの成功を収めました。彼らがこうした原理を導入したのは、何といっても、ソ連「社会主義」に道徳的に対抗するためでした。ソ連「社会主義」は、そのあらゆる欠陥にもかかわらず、計画原理の有効性を示し、先進資本主義国の住民に社会福祉の恩恵を与える上で決定的な役割を果たしました。
さらに浩二さんは次のように述べています。
「『根本から変える』道は『歴史の発展法則から見て必然だ』とされた。それが100年たたないうちにこのあり様です。資本主義の害悪以上の害悪が『これまで考えられてきた根本から変える道』には存在しているとみるのが妥当なのではないでしょうか?」。
「100年たたないうちに」という俗論については、すでに前の投稿で反駁しているのでここでは繰り返しません。むしろ、70年以上も維持されたことのほうが奇跡的です。ボリシェヴィキ革命の指導者はみな、先進資本主義諸国で続いてプロレタリア革命が起こらないかぎり、ソ連一国で社会主義など建設できないし、先進資本主義国の経済的・軍事的圧力によって、遅かれ早かれ崩壊するだろうと繰り返し主張していました。
また浩二さんは次のように述べています。
「根本的な解決として今後考えうるのは、『需要と供給の調整システムとしての市場経済のもとで、生産手段を社会的所有する』道ではないのかと、私は夢想しています」。
ここに、「社会主義的民主主義の政権および地方自治体が策定する計画経済の枠内で」という限定をつけるならば、私も賛成です。計画経済の枠組みがなく、完全な市場原理のもとで経済が運営されるなら、社会的所有化された企業は、一般の資本主義企業と同じく、過酷な競争に勝利するために、搾取とリストラと労働強化を強行せざるをえなくなるでしょう。また、福祉や教育や基本的衣食住の分野が市場原理によって支配されるなら、社会的弱者と貧困層は生存することができないでしょう。
また、浩二さんは「計画経済は需給関係の調整、手に入れる物資の選択の問題、何より『いったいだれが計画するのか?』という計画主体の問題があります。まことに不自然です」と述べています。「誰が」という問題については別の投稿で書いたし、浩二さんも別の投稿でレスをしているので、そこで論じるとして、以上のような見解は、市場経済を全廃した上での「計画経済」という意味で述べていると思います。すでにこれまでの投稿で明らかなように、計画経済は市場経済と結びついてこそ、その威力を発揮します。その点を忘れのなきよう。
1月12日付投稿に対するレスはいちおうこれで終わります。次回は、1月17日付投稿に対するレスを書きます。