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「科学的社会主義」討論欄

浩二さんへのレス(4)

2000/1/24 吉野傍、30代

 前回に続いて、1月17日付の浩二さんの投稿(私宛てのもの)に対するレスをいたします。
 私が資本主義の犯罪として例に挙げた、スペイン、ポルトガルによる先住民虐殺や、アメリカによる黒人奴隷貿易などについて、浩二さんは、以下のような非常に嘲笑的な批判をしています。しかしこの問題は、浩二さんの思っていることとは裏腹に、実は非常に重要な問題と結びついています。

「あのですねぇ(^^;、これを言い始めたらロシアの場合だって、ロマノフ王朝が何をやったか?を問題としなければならなくなります。ここであげておられる例はたしかに『先進資本主義国』のことなんだけど、近代資本主義の問題とは直接関係ありません。今仮に日本がまっとうな社会主義国だったとして、では『信長はあんなに残酷だったではないか? 秀吉は朝鮮を侵略したではないか?』という批判がなされたとしたらどう思われますか? 」。

 資本主義の「本源的蓄積」という言葉をご存知でしょうか? スペイン、ポルトガルによる中南米の略奪(とりわけ金銀の大量収奪)、イギリスによるインド収奪、アメリカ合衆国による黒人奴隷貿易、これらはいずれも近代資本主義の本源的蓄積過程でした。これなしに、ヨーロッパ資本主義およびアメリカ資本主義は成立しえませんでした。これは、すべての歴史家が認めている事実です(ちなみに、本源的蓄積期においても、すでに商業資本主義は広範に成立していました)。
 資本主義というのは、ヨーロッパやアメリカにおいて、平和的に少しづつ富を蓄積していって「自然に」生まれたというのではないのです(浩二さんは「自然」が好きなようですが)。それは、軍隊を使って世界中の富と労働力を暴力的に収奪し、それをヨーロッパおよびアメリカに集中させることで、はじめて成立したのです。それは決定的に人為的で、権力的で、暴力的な過程でした。なぜ今でも、中南米とインドが貧しく、欧米が極端に豊かなのか、この理由はまさに、このときの歴史的収奪にさかのぼります。マルクスは、『資本論』において、「資本は、毛穴という毛穴から血と汚物をしたたらせながら生まれてくる」という名言を吐いています。まさに言い得て妙です。
 この問題は、とくに、スターリン時代のソ連の歴史的犯罪を理解する上でも決定的です。なぜなら、スターリンが1920年代終わりから1930年代にやったことは結局、一種の本源的蓄積であり、まさに欧米諸国が、200~400年前にやったことを、外国植民地に対してではなく、自国の農村に対してやったにすぎないからです(もっとも、欧米諸国でも、資本主義は、自国の農民に対してもすさまじい暴力を行使して収奪しました)。だから、実は、欧米諸国に、スターリンを糾弾する資格はありません。欧米諸国が、黒人、アジア人、アメリカ大陸の先住民に対してやった大殺戮と大収奪に比べるなら、スターリンの犯罪などまったく取るに足りません。スペインとポルトガルによる本源的蓄積だけで、中南米の先住民は、侵略前の7500万人から350万人に激減したと言われています。その間に多数の子供も生まれているので、実際に殺された数は、1億をくだらないでしょう。こういう血塗られた過程を経て、ヨーロッパ資本主義は生まれたのです。
 ここでも、旧ソ連の犯罪は、社会主義独自の犯罪ではなく、資本主義の犯罪を無批判に真似たものだという命題が成り立ちます。
 旧ソ連は、まだ社会主義ではなく、社会主義への過渡期でしかありませんでした。しかも、独特の過渡期、すなわち、資本主義の要素ですら十分発達していない過渡期でした。それゆえ、旧ソ連は、先進資本主義国が過去にやった本源的蓄積過程を独自に遂行しなければなりませんでした。旧帝政のロマノフ王朝は、一方では周囲の小国をロシア帝国に暴力的に編入することを通じて、他方では、先進資本主義国(とくにフランス)から大量の資金を借りることで、この本源的蓄積過程を遂行しつつありました。しかし、ロシア革命は、旧帝政が暴力的に帝国に編入した多くの国に民族自決権を認めて独立させ、また、先進国からは経済封鎖をされましたので、ソヴィエト政権は、ロマノフ王朝が享受していた二大源泉を一挙に失いました。
 このような状況のもとで、どのようにして本源的蓄積をやるのか、これは、すべてのボリシェヴィキ指導者を最も悩ませた問題です。ヨーロッパ革命が起こるなら、そのときには、もちろん、ヨーロッパ先進諸国が助けてくれます。しかし、それがずっと遅延したならどうするのか? この最も深刻な問題をめぐって、いわゆる「社会主義的本源的蓄積論争」が勃発しました。この論争には、トロツキー、プレオブラジェンスキー、ブハーリン、ピャタコフをはじめ、主要な論客の多くが参加しました。
 しかし、この論争は結局、トロツキー派が一掃され、さらに、ブハーリン派も失脚させられたあとに、スターリンによってきわめて暴力的に、そして他の資本主義国が過去にやったのと本質的に大差のない方法で解決されたのです。すなわち、農民を強制的に集団化し、そこから穀物を暴力的に収奪し、それを大不況下のヨーロッパ諸国に輸出することで機械と資金を手に入れるという方法です。これは「飢餓輸出」と呼ばれており、この飢餓輸出によって、数百万もの農民が餓死しました。
 またスターリンは、工業化を遂行するにあたって、大量の囚人労働を使って、シベリアに埋もれている資源を掘り出させ、鉄道を敷設し、道路や工場を建設させました。これは一種の奴隷労働です。これも、ヨーロッパおよびアメリカが、本源的蓄積期に、先住民と黒人に対して用いたのと本質的に同じです。しかし、そうした奴隷的労働の期間は、旧ソ連においてはせいぜい数年ないし十数年だったのに対し、ヨーロッパ資本主義とアメリカ資本主義においては、何百年も続きました。黒人やアメリカ先住民は、何世代も何世代も奴隷労働をさせられ、こうして、ヨーロッパ資本主義とアメリカ資本主義は未曽有の富を蓄積したのです。
 かくして、スターリンがやった無数の犯罪に社会主義的なものは何一つなく、そこにはただ、資本主義と帝国主義という商標が赤々と押されているのです。