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「科学的社会主義」討論欄

浩二さんへのレス(5)

2000/1/24 吉野傍、30代

 1月17日付の浩二さんの投稿に対するレスの続きです。

 浩二さんが以前の投稿で、「ソ連型社会主義が資本主義より悪かった」と書いたのに対し、私は資本主義のもとでの「ソ連型社会主義を上回る犯罪」を列挙した上で、「これらの現実を前にして、なお、ソ連型社会主義が資本主義よりも『いっそう悪かった』なぜ断言できるのか説明してください」と問いただしたました。それに対し浩二さんは、1月17日の投稿で、「一党独裁と秘密警察のもとでの政治は絶対の悪。これに尽きます」と答えています。比較を自らやりながら、その比較の根拠を問うと、「一党独裁と秘密警察のもとでの政治は絶対の悪」と説明ぬきに回答する、おかしいですね。「絶対の悪」ということは、それ以上の悪がまったく存在しないということです。この命題さえあれば、具体的にどのように資本主義よりも悪なのかを説明する必要はありません。なぜなら、ソ連型社会主義は「絶対悪」なのだから。資本主義のもとでも一党独裁と秘密警察を持っていた国は歴史上いくらでもあります。とすると、資本主義の側にも「絶対悪」が存在するのだから、やはり、ソ連型社会主義は資本主義より悪だとは言えなくなりますね。
 また、ソ連型社会主義が絶対悪なら、つまりそれ以上悪いものなどこの世にないとしたら、ソ連型社会主義を打倒するためならどんな手段を使っても、「よりまし」ということになります。たとえば、キューバ政権やベトナム政権を倒すために、アメリカが軍隊を送ったり、核兵器を落としても、それは「よりまし」な行為として是認されることになりますね。実に恐ろしい発想です。

 その先で浩二さんは次のように言っています。

「何より、『ブルジョアジーの打倒』が最悪です。いったい、ひとつの階級を打倒することを目標に掲げた革命が歴史上、ロシア革命以前にあったのでしょうか? もしあるというなら具体例をあげてみてください。威勢良く煽るのはけっこうですが、階級抹殺ではどうしようもありません。マルクスはブルジョアジーを口汚なくののしることで自分の品位を下げていると感じた人が当時いるそうですが、憎悪からは何も生まれないのではないでしょうか? 」。

 この文章にはかなりの誤解が入っていると思うんですが、マルクスが言った「ブルジョアジーの打倒」というのは、個々のブルジョアを抹殺するとか、ブルジョア階級に属するすべての人を抹殺するという意味では、まったくありません。それこそ、フェティシズムです。そうではなく、ブルジョアジーの支配とそれを成り立たせている資本の支配を打倒するということです。ブルジョアジーであった人々は、かつての特権を失いはしますが、別にまとめて殺されるわけではなく、一労働者ないし一市民として活動することになります。

 続けて、浩二さんは次のように書いています。

「だれが何をほしがっているのか、こうした公的機関が逐一把握するわけですか? 把握した上で討議にかけ生産が決まる、と? 『複数政党制、言論・出版の自由、十分な党内民主主義、労働者の自主的・主体的関与、各種の中間団体の自主性と積極性、という諸条件』がもし万全に整備されていたとしても、ノーメンクラツーラのような新たな支配階級の誕生は不可避でしょう」。

 ここにも誤解があるようです。公的機関が、個々人の望むすべてのものを事前に把握して計画を立てるというのは、もちろんまったくナンセンスです。中央の公的機関が立てるのは、あくまでも大雑把な計画であり、全体の生産の枠組みです。そして、その大雑把な計画の枠組みは、前年度の実績などを参考にしつつ決定されます。たとえば、パソコンに対する需要が、毎年、20%づつ増大しているとすれば、当然、計画期間は、今年度のパソコンの生産を、前年度の20%増で計画するでしょう。しかし、その台数は、別に1桁の単位で決定する必要はいささかもありません。約100万台というので十分です。全体として、資源と労働力をどのように分配するのかの、枠組みと指針さえ決まっていれば、その枠組みと指針に大きく矛盾しない範囲で、個々の協同組合企業は自主的に自らの生産規模や生産内容を決定します。そして、このような大雑把な計画がどの程度妥当であるかどうかは、市場による検証で明らかとなります。

 最後に、浩二さんは、次のように述べておられます。

「吉野傍さんの提示される計画経済も、どうか人間の顔を持っている内容であることを期待したいと思います」。

 これまでの激しい論争にもかかわらず、このような言葉で投稿を締めくくっていただいたことに、感謝いたします。社会主義的計画経済の原理は何よりも、一握りの金持ちが富を独占することを許さず、すべての人が人間らしい生活をできるようにするためにあります。ユニセフによれば、毎年、1200万人の子供たちが、「予防可能な原因」(治療可能な病気や飢えや戦争)によって死んでいっています。全世界で、8億人もの人々が、1日1ドル以下の収入しかありません。最も豊かなアメリカでさえ、貧困ライン(年収1万ドル=100万円強)以下の人々が4000万人もいます。彼らの多くは、医療保険を持っておらず、まともな医療が受けられません。今でも、黒人の乳幼児死亡率は白人の2倍です。絶望した黒人たちは、犯罪と麻薬に走ります。おかげで、黒人の人口は全体の15%程度であるにもかかわらず、刑務所の占有率は50%以上です。最近の新聞報道でも、戦後最大の好景気に沸き立つアメリカで、貧富の差が10年前より著しく増大し、最も貧しい層が10年前よりも最も収入を減らし、最も豊かな層が最も収入を増やしました。
 資本主義的市場経済の原理は、必要に応じてではなく、支払能力に応じての分配です。収入1ドル以下の人々は、市場経済のもとでは、絶対に生きていくことができません。市場経済は、彼らにいかなる救いの手も伸ばしません。その一方で、先進国の金持ちは、最も贅沢な食べ物を食し、そして肥満になって、ダイエットのためにさらに貴重な資源を無駄にしています。一方の極に絶対的な貧困、他方の極に歪んだ豊かさ、これが資本主義の基本構造です。
 必要と労働に応じた分配こそ、社会主義・共産主義の原則です。この原則こそ、真に人間的で、文明的であると、私は確信しています。