1月23日の浩二さんの投稿にレスします。
「まず確認します。『戦争の論理、内戦の論理が支配する』とはどういうことでしょうか? 私の考えは、『戦争がいかなる理由で起こったにせよ、戦争状態であるかぎりは、国際法で軍隊の一員と認められる人間は国際法にしたがって行動する』ということです。非戦闘員を殺害しない、捕虜は国際法にしたがって扱う、などのことがこれにあたります。
川上慎一さん、チェーカーは軍隊なのですか? 国際法でいうところの戦争に参加する軍隊にあたるのですか? チェーカーは赤軍とどう違うのですか? これにお答えください。秘密警察の役割と、戦争に参加している軍隊の役割とを混同する議論はやめてもらえませんか?」。
原則上の違いはないとおもいます。反革命軍が国内か国外かで、どうして違うのでしょう?
「再度お聞きします。チェーカーはいったい軍隊なんですか? 秘密警察ですよ。混同してもらっては困ります。『反革命』とは何をさしておられますか? 川上慎一さんの論理でいくと、将来日本共産党が政権を取り社会主義を実現しようとした場合、それに対して言論的な手段を含め、抵抗する人間は『反革命』と規定され、秘密警察による抹殺の対象になってもいい、という理屈につながるのです」。
具体的な問題です。本当に、反革命の脅威がどの程度あるかどうか、によって異なると思います。あらかじめ決定する事はできません。原則としては、反革命の脅威がある場合は、死刑もやむをえないと思います。過去の偉大ブルジョア革命も、反革命に対する死刑は適用されています。ジャコバン独裁も、米国の南北戦争も、中国の辛亥革命でも、テロや死刑はありました。革命は、刺繍を縫ったり、客を招いてご馳走をしたり、文章を練ったり、するものではなく、革命は暴動であり、一つの階級が他の階級を打ち倒す激烈な行動なのです。ですから革命で、テロや死刑は当然だと思います。
「『反革命や帝国主義国の側から行われた行為』を言うことによって、レーニンの創設した秘密警察を弁護する議論は、スターリンの行為をも弁護する議論になります。そうでなければ理屈が合いません」。
スターリンは、十月革命の原理を埋葬し、革命的な政権を反革命的な政権に変えました。レーニンの政権の弾圧は、革命的な弾圧であり、レーニン政権の死刑は革命的死刑でした。スターリンは、レーニンとは逆の目的の政治家で、レーニンとは逆目的に、弾圧機構を使用したのです。中国の革命でも、毛沢東一派は、マルクス主義者でなく、スターリン主義者で、工人階級に基盤を置いていないので、反革命弾圧や、狂気の文化大革命がありました。中国やCubaの革命は、プロレタリア革命ではなく、プロレタリア・ボナパルティズムの革命でした。
「あなたは食料調達に応じなかった農民をチェーカーが虐殺したことには一切触れようともしない。どうしてですか?」。
私は支持します。当時は、強制徴発しなければ都市のプロレタリアや赤軍兵士が餓死する状況だったのです。自分の畑のことしか考えず、偉大な革命の事など理解できない、視野の狭い、プチブルの、農民の、小土地所有の身勝手なエゴイズムによって、革命が滅びてもいいのですか。ですから、身勝手農民を処刑して良かったとおもいます。
「ロシア革命後に実施された憲法制定議会選挙において、ボリシェビキは第二党に甘んじました。それゆえレーニンは、暴力によって憲法制定議会を解散させました。憲法制定議会にかわる議会も、レーニンは作ろうとはしませんでした。一党独裁はレーニンが、その基礎を固めました。これについてはどうお考えでしょうか?」。
私は、憲法制定議会解散を支持します。プロレタリア独裁(ソヴィエトい権力)が、できた以上は、ブルジョア議会は不要でした。そもそも、議会制度はブルジョア民主主義なのです。それは政治と経済のブルジョア的分離、そして、階級内容の無い、個々の有権者に過ぎない分離した分子としての、有権者に基盤をおいているので、階級としてのプロレタリアの集団意思を、反映しないのです。憲法制定議会の解散は、革命のためにどうしても必要で、もし解散しなかったら、議会が遅れた農民やブルジョア勢力の基盤になるかも知れませんでした。
「レーニンの打ち立てた権力が労働者階級のものであるなら、数年に一度、自由選挙によって信任を得る必要があります。しかしレーニンは、本来の意味での自由選挙など、やろうとはしませんでした。
レーニンの革命が『プロレタリア権力を確立した』ことを、ぜひとも論証していただきたい。できるんですか? 」。
レーニン同志は、ロシアでのプロレタリア独裁の、社会基盤が縮小した事に知っていたので、自由選挙などというバカなことは考えませんでした。もし選挙をやるとすると、赤軍兵士は100票、工場労働者は50票、農民は1票、旧支配階級は0票などとする必要があったかも知れません。いずれにせよ議会は不要でした。すべてのマルクス主義者は、ロシア革命の重大な歴史意義を理解できると思います。のちにコミンテルンと別れた人々(例えばオランダのマルクス主義者)も、ロシア革命の意義を理解しています。
「本来の社会主義を言うなら、失敗した社会主義を徹底的に批判することが必要です。そうでなければ何一つ教訓を汲み出すことはできません。マルクスがこう言った、レーニンがああ言った、などというのを、いつまでも後生大事に祭り上げていてはどうしようもありません」。
"1937 Stalin's year of terror"という本を、見ましたか。ロシア一の歴史家が、スターリン主義を解明しています。台北の出版社と交渉していますので、中文で出るかもしれません。
引用部分があまりにも長かったので、若干短縮させていただきました。(編集部)