浩二さんのレス(3)についてです。これもあまり見るべき論点がないので、簡単に済ませます。戦争と資本主義との本質的な結びつきを否定するために、浩二さんは戦争ほど不経済なものはない、という一言で済ませています。しかし、資本主義経済は、まさに戦争によって飛躍的に発展したというのが、歴史の事実です。アメリカ合衆国が、1929年以降の大恐慌による生産力の激減を、結局は、第2次世界大戦による軍需によってはじめて回復することができたことは、非常によく知られた事実です。また、戦前の日本も、太平洋戦争で破れるまでは、戦争のたびに生産力を飛躍的に伸ばしてきました。戦後の日本も、朝鮮戦争による特需によってはじめて、戦前の生産力水準を回復することができました。もっとも、あまりに長期な戦争になってしまい、資本主義の直接的な利益にさえ反する結果になることがしばしばあるとしても、それは戦争を起こした側の意図ではありません。
次にレス(4)についてです。農業集団化については、その目標としてはボリシェヴィキ指導者の誰も否定していません。いずれも最終的には農業集団化を目指していたから、本質的に同じというのは、まったくの暴論です。病気を治すために薬を投与することが必要であるとしても、あるヤブ医者が、その薬を投与すべき時を間違え、さらに投与すべき量の数倍の量を与え、さらにその患者をきわめて乱暴に扱い、こうして、患者の病気を治すどころか悪化させたからといって、本物の医者とヤブ医者との間に何の違いもないということにはなりません。
社会主義的な本源的蓄積は、計画原理の目的意識的利用とプロレタリアートの自覚的な労働と参加によって、植民地収奪や農民収奪を伴わずに遂行する点に、資本主義的な本源的蓄積との根本的な相違があります。しかしながら、このような理想論はもちろん、現実の巨大な困難さを前にしては、そう単純に遂行できるものではありません。とりわけ、当時のソ連の極めて制限された客観的諸条件を考えればなおさらです。とはいえ、スターリン的やり方だけがありえたということには絶対になりません。
次に浩二さんのレス(5)についてです。レーニンが、内戦終了後に一党独裁を実行した理由について、浩二さんは以下のように述べています。
「ネップはボリシェビキの本来の政策ではまったくありませんでした。メンシェビキなど他党の主張していた政策をネップとして実現したものです。小規模な商業が国内を安定に導き農民の反乱も起こらなくなりました。こうなるとボリシェビキ流の中央集権体制はゆらぎます。他党の活動を許し、自由選挙を実施すれば、政権離脱の危機が訪れないともかぎりません。それをレーニンは怖れたのだと思います」。
多くの誤った認識が見られます。「ネップがボリシェヴィキの本来の政策ではない」という判断がまず間違っています。むしろ、1918年に急速かつ全般的な国有化を進めたことこそ、ボリシェヴィキの本来の政策ではありませんでした。戦時共産主義の熱狂的雰囲気の中で、あたかもその政策が本来の共産主義の政策であるかのような幻想が振りまかれましたが、それは結局挫折し、本来の政策に立ち戻ったのです。
また、小規模な商業が国内を安定に導いたからボリシェヴィキの中央集権体制が揺らぐというのは、まったく意味不明です。逆でしょう、普通。国内が安定化したら政権の基盤はむしろ強化されます。
レーニンが、ネップ導入後に一党独裁にしたのは、3年にわたる世界大戦と3年半にわたる内戦によって、国土と人心と経済が徹底的に荒廃したからです。また、いつ内戦や干渉戦が起こるかもしれないという緊迫した状況も、依然として続いていました。経済封鎖も続いていました。そして、クロンシュタットの反乱をエスエルとメンシェヴィキが狂喜乱舞して支持したのを見て、同じような反乱が起こって再び流血の惨事になるのを回避したいという思いもあったでしょう。さらに、ネップによって国内が安定することを恐れたのではなく、市場経済の中で新興ブルジョアジーが台頭し、それが外国帝国主義と結びつき、さらには国内の反体制勢力と政治的に結びつくのを恐れたのでしょう。
しかし、結果的に見れば、ソヴィエト複数政党制の禁止措置はソヴィエト民主主義を破壊し、萎縮させる、重大な誤りでした。とくに、この措置と並んで、党内分派が禁止されたことは、最後の砦であった党内民主主義をも掘り崩しました。こうした一連の誤りが、スターリン独裁につながる重要な布石になったことは、事実です。だからこそ、それは重大な誤りだったのです。
しかし、だからといって、スターリンの独裁が必然だったとか、レーニンからスターリンへと歴史は一直線につながっているとみなすのは、没歴史的であり、誤った運命論です。1921年からスターリンの独裁と粛清政治に至るまで、多くの分岐点と多くの選択肢がありました。あたかも歴史の多様性が1921年で突如として終焉し、その後は、あたかも脚本通りの演劇であるかのように事件が進んだとみなすのは、まったくナンセンスです。もしそうなら、一党独裁にしたすべての国で、スターリン型の大粛清が起きていなければなりません。
一党独裁と秘密警察以上の悪があるのか、と浩二さんは問うていますが、私はすでに以前の投稿で、資本主義のもとで引き起こされた巨大な悪を例に出し、これらの悪よりもソ連型社会主義の方が悪いということを証明してほしいと書きましたが、それに対する回答はなく、ただそれは「絶対悪だ」という断言があるのみでした。今回も、「一党独裁と秘密警察」がなぜ悪かの説明はありますが(私も同意します)、なぜそれが「絶対悪」(つまり、それ以上の悪がないほどの悪)なのかの説明はありません。7500万の住民を300万人に減らし、2回の世界大戦を引き起こし、ファシズムを生みだしてユダヤ人数百万人を殺戮し、毎年1200万人もの子供たちを死に追いやっているシステムよりも、キューバ政権やベトナム政権の方が悪いということを、ぜひ証明してください。
「ブルジョアジーの打倒」というスローガンは誤解を招く、というのも笑止ですね。現在、民主党は「自自公政権の打倒」と言っています。このスローガンを見て、民主党は、自民党と自由党と公明党に属する人間をすべて抹殺しようとしているとか、政権を暴力的に打倒しようとしているとか言って大騒ぎする人がいるでしょか? 誤解を招くからやめろと言う人がいるでしょうか? それにそもそも、「ブルジョアジーの打倒」なるスローガンが、いったいマルクスやレーニンの文献で、どれほど中心的だったというのでしょう? ブルジョア支配の打倒とか、ブルジョア権力の打倒とか、ブルジョア的生産関係の転覆とかいうのならわかりますが。マルクスやレーニンの文献で「ブルジョアジーの打倒」というスローガンが中心的に使われていたということを、証明していただけませんか?
最後に、浩二さんは、計画経済を否定するために、「餅は餅屋にまかせるべきです」という名セリフを語っています。語るに落ちたとはこのことですね。これこそ、あらゆるレベルでの草の根民主主義を否定するウルトラ権威主義の理論です。経済は企業に任せるべきだというなら、企業内部の運営は資本家に、政治は職業的政治家(政治屋)に、行政は官僚に、共産党の運営は党指導部に任せるべきだということになるでしょう。愚かな民衆が投票したり批判したりして、「餅屋」の仕事に口を出すのはナンセンスだと言うことにさえなるでしょう。反官僚主義のチャンピオンたる浩二さんは、最後には「餅は餅屋」という論理を出すことで、自らが最悪の官僚主義者であることを暴露しました。傲慢な官僚たちは、一般民衆に対し、お前ら素人に何がわかる、餅は餅屋に任せて、われわれの言うことに従っていたら一番幸せなのだ、と言います。傲慢なスターリニスト官僚も大同小異です。そして、浩二さんもまた、結局は同じ論理を表明する。まさに「語るに落ちる」です。