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「科学的社会主義」討論欄

自分の影法師と闘う浩二氏<

2000/2/7 吉野傍、30代

 2月5日の浩二さんの投稿に反論します。えんえんと続けたいようなので、お相手いたします(ただし、最近身辺が忙しいので、それほど頻繁に反論できないかもしれませんが)。
 まず浩二さんは、チェカ創設と憲法制定議会解散はあくまでも計画経済を実施する必要性から生じているという従来の議論を繰り返しています。そうした議論にはすでに反論ずみですが、今回の投稿では、レーニンが10月革命において社会主義(あるいは計画経済)を目指していたのだから、チェカも憲法制定議会も計画経済を実施する必要性から生じているのだ、という「新しい」論拠を提示されています。。この議論のおかしさに本人がまったく気づいていないようですから、小学生にでもわかるように説明いたしましょう。
 チェカ創設も憲法制定議会解散も、おっしゃるように、10月革命を防衛するために行なわれた措置です。そして、10月革命の目標の中に、長期の究極的目標としては、計画原理が経済全体を調和的に発展させる社会状態(=社会主義社会)を実現することがあったのはその通りです。
 しかし、第1に、レーニンらボリシェヴィキは、そのような社会主義の実現は、ヨーロッパ革命の勝利なしには、ヨーロッパの先進的技術とヨーロッパ・プロレタリアートの国家的支援なしには、ロシアのような極度に遅れた社会においては不可能であると考えていました(この考えを覆したのが、スターリンの一国社会主義論です)。欧米帝国主義国に包囲された後進国ロシアにできるのは、社会主義実現のためのごく初歩的な諸措置だけであると考えられていました(銀行の国有化や、基幹産業の国有化など)。
 第2に、ロシア10月革命は、社会主義に向けた最初の一歩を踏み出すことのみならず、さまざまな目標を掲げていました。その中でも決定的なのは、平和の実現であり、飢えと貧困の克服であり、農民に土地を分配することであり、民族自決の実現です。ロシア革命のスローガンが「平和・土地・パン」であったことぐらい知っているでしょう。したがって、10月革命の諸目標の中に社会主義に向けた最初の一歩を踏み出すという内容が含まれているからという理由で、計画経済の必要性がチェカ創設と憲法制定議会の解散を必然的にもたらしたのだ、という論理が成り立つとすれば、まったく同じだけの資格を持って、平和を実現し土地を農民に分配し飢えと貧困を克服し被抑圧民族の自決権を実現する必要性から必然的に、チェカ創設と憲法制定議会解散が出てきたのだ、とも言えるでしょうね。そういう意味でなら、もちろん、その通りです。
 以上の説明で少しはわかっていただけたでしょうか? 以上の点をよりわかりやすくするために、さらに追加的なことを説明しておきます(実はこれまでの投稿ですでに説明したことなのですが、わかっていただけなかったようです)。
 ボリシェヴィキ政権を打倒しようとした反革命勢力は、何も計画経済だけが打倒目標だったのではありません。むしろそんなことよりも、反革命派は、ボリシェヴィキ権力が帝国主義戦争から離脱しようとしたこと(最悪の売国的裏切り!)、地主の土地を農民に分配したこと(土地こそ彼らの富と権力の源泉だった)、不可分一体の聖なるロシア帝国を解体して諸民族に自決権を与えようとしたこと(万死に値する冒涜!)をこそ、心から憎悪し、それを亡きものにしようとしたのです。さらに言えば、そもそも、2月革命の成果さえもが打倒の対象でした。反革命派は、帝政を打倒した2月革命自体が呪いと清算の対象でした。ボリシェヴィキが守ろうとしたもの、それは、反革命派が憎悪したこれらいっさいです。あたかも、ボリシェヴィキが、民主主義革命の範囲内に革命をとどめ、社会主義に足を踏み出しさえしなければ、反革命の武力反乱が避けえたかような幻想にふけるのは、そろそろお止めになったらどうでしょうか? 自分の信奉する図式に歴史を無理やりあてはめるのは、見苦しいだけです。
 次に、浩二さんの投稿には理解しがたい文言があります。

「二月革命当時、レーニンは社会主義革命さえ展望していませんでした。『今のロシアの状態で社会主義革命を展望するやつは馬鹿だ』とさえ言っていた」。

 「2月革命当時」というのは、2月革命直後、という意味ですか、それともその前ということですか? 直後なら、「社会主義革命を展望するやつは馬鹿だ」といったいどこでレーニンは発言したのでしょう? ただちに社会主義を導入するのは誤りであるとは言いましたが、「社会主義革命を展望するやつは馬鹿だ」とはいったいどこで言ったのでしょう? 例によってメドヴェージェフの本の中ですか?

「国内の銀行資本を十月革命後わずか1ヶ月でほとんど国有化する政策の、どこがいったい『漸進的な形での社会主義化』でしょうか」。

 銀行資本の国有化はごく初歩的な措置です。日本共産党の旧綱領では、民主主義革命の課題ですらありました。
 さらに浩二さんは、ブルジョアジーが生産をボイコットしたことについて、次のような驚くべき発言をしています。

「そうなった原因を解消すればいい話ではないですか? 最初からネップ的な政策をとり、徐々に社会主義の方向に向かう。十月革命後たった1ヶ月で国有化された一般銀行も国有化を解除する」。

 ネップにおいても、銀行は国有化されていたということはすでに書いたと思いますがね。銀行をそのままにするのは、愚の骨頂です。その銀行は反革命派に資金提供し、労働者を皆殺しにする武器と傭兵を養うことでしょう。銀行の財産は人民のものです。そこに眠っている現金は、ブルジョアジーが人民から奪い取ったものです。それを、おめおめと白軍派将軍ないし外国帝国主義に譲り渡すのを許せというのでしょうか? ボリシェヴィキが最初からネップの政策をとっていたとしても、ブルジョアジーはやはり生産をボイコットしたし、反革命派に資金提供したということが、どうして想像できないのでしょうか?
 たとえば、パリ・コミューンの例を見てみなさい。お人好しのコミューン戦士は、銀行を奪取しませんでしたが、ブルジョアジーはさっさと逃亡し、反革命派は武力でパリに押し入り、コミューン戦士を皆殺しにしました(だからマルクスは『フランスにおける内乱』で、銀行を奪取するべきであったと教訓を書いたのです。ボリシェヴィキはこのアドバイスに従いました)。また、スペイン革命でも、愚かなスターリニストとアナーキストのせいで、銀行は国有化されず、ほとんどまったく社会主義的な措置は取られませんでしたが、フランコ将軍は、ヒットラーの全面的な支援を受けて武装蜂起し、ブルジョアジーはいっせいにフランコを支持し、スペイン革命を血の海に沈めました。
 こちらが善意を証明すれば、相手がそれを考慮してくれると、あなたは本気で思っているのでしょうか? 冗談も休み休みに言ってください。

「ネップ導入で外国に逃げた人材を呼び戻し、外国資本にさえ応援を頼むくらいなら、なぜ最初からそうしなかったのでしょうか?」。

 ネップを導入することができたのは、反革命派をまず実力で粉砕したからです。外国資本がソ連に投資する気になったのは(ごく部分的ですが)、武力干渉や経済封鎖によってもボリシェヴィキ政権を打倒できないことを理解したからです。外国に逃げた人材がソ連に戻ったのは、ボリシェヴィキ政権が長期にわたって存続することを理解したからです。ネップの導入は、主要な反革命軍事勢力が一掃された時点で初めて可能になりました。したがって、それは早くても、1919年の末か1920年初頭までは無理でした(可能だった時期よりも1年遅れたことは、レーニンの誤りです)。戦時共産主義の政策は、偶然の産物ではなく、外的に強制されたものです(ただし、その場合でも多くの誤りや行きすぎがあったのは事実です)。

「あなた自身の投稿を、あなた自身でもう一度たしかめてください。『社会主義革命』という言葉は2個所にしか出てきませんが、『ブルジョア民主主義革命』という言葉は10個所に出てきます。レーニンのやった革命があたかもブルジョア民主主義革命だったかのような印象を持たせる書き方です」。

 言葉の出てくる回数で判断するとは、おもしろい方ですね。ブルジョア民主主義革命という言葉が多くなったのは、単に、ロシア革命における「残酷さ」「苛烈さ」の側面を説明する必要性があったからです。それだけのことです。あなたのような印象を持つのは、2月革命=ブルジョア民主主義革命、10月革命=社会主義革命、というスターリニスト的図式を信奉している人だけです。
 浩二さんは、ケレンスキーの武力反革命蜂起さえ、「武力でやられたものを武力でやり返そうとする。ケレンスキーにとっての『敵の出方論』です。何を非難することがありますか」と述べて正当化しています。ボリシェヴィキのやったことはすべてボリシェヴィキ自身の責任による犯罪であり、ケレンスキーをはじめとする反革命派のやったことはすべて、ボリシェヴィキのせい、というわけです。旧権力の最も恥知らずな弁護論ですね。あきれて開いた口がふさがりません。

「憲法制定議会を正式な権力とし、エスエルやメンシェビキが政府を作った場合でも、彼らはきっとボリシェビキに泣きを入れたことでしょう。それがボリシェビキのマイナスになったとでも言うのでしょうか」。

 情勢はコルニーロフの反乱の時と根本的に変わっていたのです。エスエルとメンシェヴィキはそもそも、ボリシェヴィキに泣きつくのではなく、白軍派将軍に泣きついたでしょう。すでにケレンスキーがやったように。あるいは、ドイツ軍に泣きついたかもしれません(一部の反革命派は、ドイツ軍がボリシェヴィキを一掃してくれることを望んでさえいた)。そんなこともわからないのでしょうか?

「これが、議会を武力で解散させる理由になるんですか」。

 なります。それとも、数万、数十万の人命よりも、議会の方が大切ですか?

「原因と結果を逆にした議論が横溢していると思います。あまりに単純に原因と結果とを転倒されているのではないでしょうか」。

 原因と結果を転倒させているのはどちらでしょう? 憲法制定議会を解散する前にすでに、ケレンスキーは武装反革命に走っていました。ボリシェヴィキが10月革命を成功させる前にすでに、コルニーロフは武装反乱を起こしていました。ケレンスキー政府は、からきしも社会主義を目指していなかったのにね。さらに、それ以前に、ケレンスキー政府はボリシェヴィキを武力弾圧していました。ボリシェヴィキがソヴィエトの中で平和的に権力獲得を目指していたというのにね。
 ボリシェヴィキが武装決起さえしなければ、ボリシェヴィキが憲法制定議会さえ解散しなければ、ボリシェヴィキが銀行や企業を国有化さえしていなければ…、あのような内戦は起こらなかっただろう、というのは、破廉恥な幻想です。もし、あなたの大好きなメドヴェージェフがそのような馬鹿げたことを書いているのなら、メドヴェージェフは歴史家ではなく、スターリニストと同じく歴史の偽造家です。
 もう一度例を挙げますが、スペイン革命では、人民戦線政府は選挙で選ばれたし、議会も解散しなかったし、一般銀行や企業の国有化もしませんでした。しかし、フランコ将軍をはじめとするほとんどすべての将軍が武装決起し、スペインを血の内乱に引きずり込み、スペイン革命を滅ぼして、スペインの地に、数十年に渡る軍事独裁を成立させました。そして、このスペインにおけるフランコの勝利こそが、ヒットラーに対する最大の援助となり、あの血塗られた第2次世界大戦へとつながっていくのです。
 スペインの事例こそ、ロシア革命において、もし浩二さんが主張する道をボリシェヴィキがとっていたらどうなっていたかの、見事な見本です。スペイン革命当時、スターリンと、その代理人であるスペインのスターリニストはまさに、今現在、浩二さんが言っている考えを信奉し、その政策をスペイン革命にあてはめました(右からの批判者の主張がスターリニストの最悪の政策と合致するのは、よく見られる現象です)。その結果が、あの敗北です。もし、スペインにボリシェヴィキ政党が存在し、レーニンとトロツキーの路線を取っていたなら、スペイン革命は勝利したでしょう(100%確実とは言えないとしても、その可能性は格段に増大したでしょう)。そして、ヒットラーとムッソリーニに最大の打撃が加えられ、あの悲劇の第2次大戦やホロコーストを経験することなく、ファシズムの敗北をもたらすことさえできたかもしれません。

「ご自分が何を書かれたかお忘れのようです。そして、この一文にどんなニュアンスが含まれているか、まったく気づかれていないようです」。

 いえ忘れていませんし、気づいてもいます。私の主張は簡単です。当時のソ連は、そのあらゆる欠陥と残酷さにもかかわらず、「道徳的影響力」を西側諸国に対して持ったということです。そのことを前回の投稿できちんと書いたはずですが。

「アメリカは第二次大戦前、ソ連をおおいに経済支援していますよ」。

 「大いに」とは、いかなる意味でですか? ナチスの脅威が明らかになったことで、アメリカ帝国主義でさえソ連を援助する必要性を理解したということでしょう。しかし、結局ソ連は、ナチスによる侵略の最大の被害国となり、2000万人以上の人々が殺されました。このナチスによる侵略も、ソ連に対して加えられた外国帝国主義からの攻撃であることを、どうして理解しないのでしょう?

「ソ連は第二次大戦後、46年経った時点で崩壊しました。ですからね、ソ連・東欧の崩壊が、資本主義列強による経済封鎖とか経済制裁とか、そういうものが原因で起こったという議論があるなら、どうぞ提示してください」。

 あいかわらず、人の文章をきちんと読まずに反論されているようですね。私は、外部からの圧力や攻撃と内部の変質とが両者あいまって、ソ連の崩壊を生んだのだと説明しているのです。そして、革命の内部変質の主要な部分は、その最初の段階で加えられた攻撃によって形作られたのです。人間でたとえると、子供のころに加えられたひどい虐待が、その人の人格形成に決定的な役割を果たし、大人になってもその影響力を免れないということです。そして、戦後ももちろん、ソ連に対しては繰り返しアメリカ帝国主義からの圧力、攻撃、陰謀、脅迫(とりわけ核脅迫)、スパイ挑発、等々がありました。経済的にも共産主義圏向けの輸出規制措置があったことぐらい、中学校の社会科で習ったと思いますけど。

「『中央機関による計画』という構造を持つ計画経済がノーメンクラツーラにならない理由をこそ、どうぞ提示してください」。

 すでに十分提示したはずなんですが。1月13日の投稿をはじめとして、私の一連の投稿を読み返してください。あなたこそ、「『中央機関による計画』という構造を持つ計画経済がノーメンクラツーラ」支配に必然的になる理由を提示してはどうですか? 興奮せずに冷静に、説明してくださいよ。

「今回は(爆笑)マークを入れたい部分がたくさんありました」。

 あなたの品性がよく分かる一文です。私としては、今回のあなたの投稿は、「ため息」マーク(そういうマークがあるのかどうか知りませんが)を入れたい部分がたくさんありました。この人には何を言っても無駄なのだろうな、という感慨を持ちました。