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「科学的社会主義」討論欄

「個人的所有の再建」命題をめぐる論争(5)

1999/12/2 吉野傍、30代、アルバイター

 本題に戻りまして、『資本論』にある「個人的所有の再建」の対象はやはり消費手段のことを指している、という立場に立つ最新の論文について紹介します。それは、『経済』1998年6月号に掲載された林直道氏の「『個人的所有の再建』とは何か」です。論文の順序をあまり気にせず、基本的に、「個人的所有の再建の対象は生産手段である」という立場の論者が概ね出している論点に対する、林氏の反論を中心に紹介します。
 まず第1に、あの『資本論』のくだりで問題になっているのが一貫して生産手段の所有のことであるのに、「否定の否定」の段になって、突然、対象が「消費手段」になるのはおかしい、という論点に対し、林氏はこう反論します。

「さて問題の三段階……がすべて生産手段の所有だけにかかわるものであって、ここでは消費資料の所有などは関係がないというのはひじょうな誤りである。この三段階は、『資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式』(現行版)、『資本主義的生産=取得様式』(初・二版)、『資本主義的生産様式に照応する資本主義的取得』(フランス語版)という一貫した表現からもわかるとおり、せまい意味の生産様式(生産手段の所有形態を基軸とする)だけでなく、それに照応する『取得様式』をも論じたものである。では、『取得』(Aneignung, apprpriation)とは何か。それは、労働の生産物をわが物とすることを意味する。だから問題の三段階は、生産手段の所有形態だけでなく、それに照応する生産物の取得・所有形態をも含んでいる。かつて私は、平田清明氏のエンゲルス反対論との論争のなかで次のように書いた。『自己労働に基づく個人的私有→資本主義的私有→社会的所有、という生産手段所有制度の形態転化の裏側において、所有→無所有→所有という労働者による労働生産物の所有(=個人的所有)の流れが、相対応している』」(76頁)。

 つまり、『資本論』のあの文章においては、生産手段の所有だけでなく、生産物の所有(取得様式)のことも問題にされているのであり、したがって、再建される個人的所有の対象を「消費手段」を見ることは、誤りではない、ということです。
 次に第2に、この論点と深く結びついていますが、消費手段の個人的所有ならすでに資本主義の段階で実現されているのだから、第3段階で「再建」ということはできないではないか、という論点について、林氏はこう反論します。

「資本主義のもとでの賃労働者は、たんに生産手段について無所有であるばかりでなく、消費手段についても所有を確立していないのである」(79頁)。

 具体的に言うとこういうことです。まず第1に、労働者が資本主義において賃金の引き換えに獲得する「生活資料」は、資本主義的蓄積運動の流れに即して見れば、単なる「可変資本」の転化形態に他ならない。したがって、その「可変資本」が一時的に労働者の手もとに置かれるだけで、その本来の所有権は資本家の手に握られている。
 第2に、一時的に労働者に取得される「生活資料」=「消費手段」はきわめて不安定で制限された性質を持っており、とうてい「個人的所有を確立している」とは言えない。たとえば、労働力が資本家によって購買されないかぎり消費手段を手に入れることはできないし、高度成長期のような特別の好況期を除けば、その量も労働者の人間的要求を満たすのに十分ではないし、せっかく手に入れた消費手段も、自分の労働力を再生産するのに使ってしまえばなくなり、再び資本家のくびきの元に戻ってこなくてはならなくなる。
 第3に、消費手段の個人的所有を再建することがどうして、社会主義の大目標になりうるのか、という論点に対して、林氏は次のように反論しています。

「いったい消費手段の所有とは、そのような次元の低い、つまらない問題なのだろうか? 消費手段を所有すること――それは人間生活の前提であり、個性発展の基礎である」(78頁)。
「全世界の労働者が、無所有から脱却・個人的所有の確立を熱望して資本主義制度とたたかい、終極的にはこの制度を廃棄して社会主義制度を樹立するにいたるのはまさに一個の歴史的必然といわなければならない。その意味で、『協業と、土地および労働そのものによって生産された生産手段の共同占有を基礎とする個人的所有の再建』の命題こそは、まさに資本蓄積論の結論とよぶことができるのである」(81頁)。

 つまり、資本主義のもとでは、労働者は基本的に無所有であり(個人的消費手段は一時的に所有されるだけであり、それは労働力価値を再生産するために消費されればなくなり、再び無所有者として資本家のくびきの元に帰ることになる)、この無所有状態を、生産手段の共同占有を通じて廃棄し、一時的ではない本来の「消費手段の個人的所有」を確立することこそ、まさに社会主義の使命である、ということです。
 林氏は、以上のように、「生産手段」説の論者の出している論点に反駁した上で、より積極的に、マルクスの思想において「消費手段の個人的所有の再建」が重要なのかを、マルクスの他の文献からの引用によって立証しようとしています。この点については、その引用文の資料も含めて、次の投稿で紹介します。