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「科学的社会主義」討論欄

ソ連社会主義を考える(1)…ロシア革命とは何だったのか

1999/12/2 川上慎一、50代

 まず用語の問題ですが、私はこの投稿においては特別に断らないかぎり、社会主義と共産主義とをほぼ同義語と考えて使用することとにします。エンゲルスが『共産党宣言』がなぜ「社会主義宣言」と名づけられなかったかについて述べているところ(『共産党宣言』「1888年英語版序文」(全集第4巻597頁)を読めば、この用語の問題はそれほど本質的なものとしては扱われていないことがわかるし、『共産党宣言』を「社会主義文献」の1つとして扱っていることからも、この投稿で論じようとする範囲においては、2つの用語をほぼ同義語として扱ってさしつかえない、と思われるからです。
 かつてのソ連は社会主義ではなかったとする見解があるのでこのことについて私の考えを整理しておきます。社会主義とか資本主義とかいうものはまずは経済的なカテゴリーとして理解されるべきです。(所有諸関係の変遷について述べた文脈の中で)、「この意味で共産主義者は、自分の理論を、私的所有の廃止、という一語にまとめることができる」(『共産党宣言』全集4巻488頁)ので、これが1917年の10月のロシア革命においてどのように実現されたかを理解するために、1918年に制定された「ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国憲法の総綱」(1918年7月)(注1)を見てみます。

(1)土地の社会化の実現によって、土地の私有を廃止し、すべての土地フォンドを全人民の財産とし、これを平等な土地利用の原理にもとづいて無償で勤労者に与える。
 すべての森林、地下資源および全国家的な重要性をもつ水域、ならびにすべての家畜と農具、模範的な農園と農業企業を国有財産とする。
(2)製造所と工場、鉱山、鉄道および他の生産手段と輸送手段を、ソヴェト労農共和国の所有に完全にうつす第一歩として、労働者監督と最高国民経済会議に関するソヴェト法を、搾取者に対する勤労者の権力を保障する目的で確認する。
(3)資本の桎梏から勤労大衆を解放する条件の一つとして、すべての銀行を労農国家の所有にうつすことを確認する。(『人権宣言集』276頁・岩波文庫)
(注1) この憲法の第1編には、1918年1月に採択された「勤労し搾取されている人民の権利の宣言」が若干の手を加えられておさめられています。ただし、その経過については割愛します。引用は「勤労し搾取されている人民の権利の宣言」からです。

 ロシア革命によって、資本主義的私的所有が否定され、この状態はソ連崩壊まで基本的には継続していたわけですが、「資本主義的私的所有の否定=社会主義的所有関係の成立」と簡単にいってよいかどうかが、この欄の「個人的所有の再建命題」で論じられているところだと思います。私は、たいへん荒っぽいやり方ですが、ここではとりあえず、すくなくとも原理的には資本主義的所有形態は存在しなくなった、あるいは存在しなくなる方向が明確にされたことから、基本的には社会主義的所有関係が成立したとして、先へ進みます。

 ソ連社会主義が社会主義であったかなかったかを論じる前に、「社会主義とは何か」が問われなければならないのですが、これには大別して2つの立場があるようです。1つは、マルクスの思想に見られる「共産主義」を基準として「現存社会主義」を評価するという立場であり、他方は「現存社会主義」を分析することによって「社会主義」の概念を抽象すべきだとする立場です。(『ソ連の社会主義とは何だったか』大月書店刊・3頁参照) 専門的研究者の論争に立ち入ることは、私には力量的に困難ですが、あえて言えば、私は後者の立場に立ちます。

 それは、第1に、「共産主義者の理論的諸命題は、けっして、あれこれの世界改良家が発明又は発見した理念や原理をもとにしてはいない。それは、現におこなわれている階級闘争の、われわれの目前におこっている歴史的運動の、現実の諸関係を一般的に表現したものにすぎない。」(『共産党宣言』全集4巻488頁)のであり、19世紀半ばにヨーロッパで展開された激しい階級闘争を背景としてマルクス自身がその思想を形成していった歴史を尊重するからです。
 第2に、マルクス主義の創始者たちの著作の中には、資本主義の分析や権力の獲得に関するものなどに比べて、社会主義社会に関するものは質、量ともにそれほどは多くはないと思われるからです。そして、これらは非常に抽象的なものが多く、概して未来社会へのヒントに類するようなものです。もちろん、マルクスの思想の中に「共産主義社会とは何か」という核心を見いだすことはできるでしょうが、「現存社会主義」を評価する物差しとしてこれを機械的に適用するとすれば、「理論と実践の関係」を取り違えることにならないかという危惧があります。
 理論とはもともと実践の総括です。資本論は資本主義の分析からもたらされたものであり、プロレタリアート独裁の理論もパリコミューンの歴史によってさらに豊かにされたわけであり、当時の階級闘争の理論的な総括であったといえるでしょう。この意味で、「まだ存在していなかった共産主義社会」に関するマルクスの思想は演繹的に引き出されたものであるということを忘れてはならないでしょう。ただし、マルクスの思想を研究して「社会主義」にかんする基本命題を明らかにして、ソ連社会主義を検証することは大切な理論的作業ですから、これを否定するつもりはありません。

 私がソ連を社会主義であったと判断する根拠は先に述べた「所有関係」のほかに、この社会が「勤労し搾取されている人民」にとってどのようなものとして出発したか、ということがあります。「ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国憲法の総綱」から引用します。

第14条 自分の意見を表現する現実の自由を、勤労者に保障するために、ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国は、印刷が資本に依存する状態をなくし、新聞、パンフレツト、書物その他のあらゆる印刷物を出すに必要なすべての技術的・物質的手段を、労働者階級と貧農の手にゆだね、また、これらを全国に自由にくばることを保障する。
第15条 集会の現実の自由を勤労者に保障するために、ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国は、集会、大衆集会、行進などを自由に行うことを、ソヴェト共和国市民の権利としてみとめ、人民集会を行うに便利なすべての部屋を、設備、照明、暖房とともに、労働者階級と貧農の自由な処分にゆだねる。
第16条 団結の現実の自由を勤労者に保障するために、ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国は、有産階級の経済的および政治的権力をうちこわし、このことにより、今までブルジョア社会で、労働者と農民が組織と行動の自由を行使することをさまたげていた障害をとりのぞいて、労働者や極貧農が団結し組織をつくるに必要な物質的その他あらゆる協力を、かれらに対し行う。(『人権宣言集』282頁・岩波文庫)

 ここには形式的な民主主義ではなく、実質的に社会の最下層の勤労大衆に表現の自由、集会の自由、団結の自由を保障しようとする姿勢があります。現代日本で、政治活動の自由が保障されているというでしょうが、たとえば、おそろしく高額の供託金を考えると社会の最下層の勤労大衆にとって「被選挙権」があるといえるでしょうか。日本共産党でも地方機関が供託金を工面するのに汲々とした時代はそれほど昔のことではありません。  ロシア革命の直後には、このように勤労人民が歴史の主人公として登場したという生き生きとした状況が存在したのです。この点も私が、ロシア革命は社会主義革命であったとする根拠となるものです。

 ひとくちにソ連社会主義といっても70年をこえる歴史があります。この社会を分析するには、年代的に区切ることが可能かどうかは別として、ソ連社会が質的にどのように変化してきたかを明らかにしなければなりませんが、その前に資本主義的社会から社会主義社会への移行にはいくつかの過渡期が存在するということは自明のことであって、これについて私が感じているところを述べます。

 近代社会における諸階級の存在を発見したのも、諸階級相互間の闘争を発見したのも、別に僕の功績ではない。ブルジョア歴史家たちが僕よりずっと前に、この階級闘争の歴史的発展を叙述したし、ブルジョア経済学者たちは諸階級の経済的解剖学を叙述していた。僕が新たにおこなったことは、(1)諸階級の存在は生産の特定の歴史的発展諸段階とのみ結び付いているということ、(2)階級闘争は必然的にプロレタリアート独裁に導くということ、(3)この独裁そのものは、一切の階級の廃絶への、階級のない社会への過渡期をなすに過ぎない、ということを証明したことだ。(「マルクスからヨーゼフ・ヴァイデマイアーへの手紙」1852年・全集第28巻407頁)

 私は(3)の部分に注目して、2つの用語を区別して、社会主義が共産主義の第1段階であるとする通俗的な理解に立てば、ここでマルクスが言うところの「過渡期」を社会主義と理解することが可能だろうと思います。そこで、私は共産主義への過渡期=プロレタリアートの独裁が存続する時期・社会を「社会主義」としておくことにします。つけ加えれば、どんな社会でも旧社会の母斑をたっぷりとつけて誕生するわけですから、過渡期の初期であればあるほどその母斑は濃厚であるということになります。
 この意味での社会主義の時代は相当長期にわたって存続するというように私は理解しています。少なくとも数十年というような単位ではなく、ことによると人類史的な視野が必要になるかもしれないほどの「長期」であるかもしれません。それは、政治革命、経済革命のほかに、なお人々の物質的精神的生活の全分野におよぶ根本的な変革をともなうものだからです。
 かつて存在したソ連社会主義は、ここに述べたような意味での「共産主義」でなかったことは明らかであり、かつてソ連の指導者たちが行った「今やソ連は共産主義の時代に入った」などというプロパガンダは空文句にすぎません。
 マルクス、エンゲルスの革命論が基本的には「同時革命」論であって、ロシア革命は彼らの想定するところではなかったと思います。「ロシア革命が社会主義革命であったとする」立場に立つならば、このことについてはあらためて考察しなければならないことを認めた上で、これを今後の課題としておきます。
 歴史はつねに具体的であり、ある種のモデルがあって、それに基づいて発展していくものではありません。資本主義がわずかにしか発達していなかったという物質的諸条件、多数とはいえない労働者階級が貧農と同盟してプロレタリアートの独裁を打ち立てたという革命権力の問題、1国革命として出発せざるをえなかったために世界帝国主義による(ソ連崩壊まで続いた)抑圧と干渉など、これらはいずれもソ連社会主義を考える上でもっとも重要な契機であるけれども、これを解くカギは必ずしもマルクス、エンゲルスの思想の中にもとめられるべきものではなく、社会主義を志向する現代の人々に課せられいるといわねばならないでしょう。

 ロシア革命において資本主義的私的所有が廃止され、土地を初めとする生産手段の社会的所有の主要な形態が「国有化」であったとすれば、これらをどのように行使するかが決定的な問題となります。(共産主義の初期の段階すなわちプロレタリアートの独裁が存続している過渡期=社会主義の段階では「国有化」が主要な形態となる以外にはないと私は思うのですが。)
 プロレタリアートの独裁とは、かつての支配階級を抑圧し、有産階級を収奪していくためのシステムですが、それは同時に勤労人民に実質的で広範な民主主義を保障することを通じて、圧倒的な勤労人民の参加を前提としているものです。このことなくしてプロレタリアートの独裁はその名に値しない形骸化したものになってしまいます。ソ連の共産党や国家、企業の高級官僚=ノーメンクラツーラが君臨した時代(少なくともソ連末期)には、プロレタリアートの独裁は瀕死の状態であったと思います。かつてレーニンが「ブルジョア民主主義に比べて百倍も民主主義がある」としたソヴェトが、革命直後の生き生きとした状態からは想像できないほどに後退していたのでしょう。したがって、革命後に、ソ連が変質していったことは、ソ連の政治システムがどのように変わっていったかということ、そして、支配政党であった共産党の変質が、組織原則にまで深めて、問われなければならないことになります。これも今後の課題としておきます。これらがロシア革命のおかれた物質的な諸条件から避けがたいもの、必然的なものであったとすれば、あるいは、ロシア革命を評価し直さなければならないことになるかもしれません。

 今回はとりあえずここまでとします。この次は、「ソ連は国家資本主義であった」とする見解について考えてみる予定です。