投稿する トップページ ヘルプ

「科学的社会主義」討論欄

前衛党って何?

1999/12/2 浩二、40代

 11月30日付吉野傍さんの「「個人的所有の再建」命題をめぐる論争(4)」の一部に対してレスいたします。

「また、浩二さんの議論の姿勢も少し気になります。もっぱら他人(共産党員)に何か完成された、100%納得しうる答えを求めているように思えます。それこそ、共産党という前衛党がすべての答えをすでに知っており、それをただ人民に教えて導くだけであるというスターリン主義的イメージにそったものではないでしょうか。」

 初めに確認したいのですが、共産党=前衛党であり、政党として認められるべき唯一の存在であるとしたのは、スターリンではなくレーニンであり、レーニンの前衛党の考えを党の基本的な考え方にしているのが日本共産党です。かの宮本顕治も前衛党は一つの国にただ一つであるべきだと明確に言っています。
 前衛党の役割は結局は「人民を教え導く」ことだろうと思います。日本共産党の綱領にも「大衆的前衛党」、「政治的指導力」という言葉が出てきます。
 前衛党である日本共産党は、綱領路線として明確に社会主義を展望しています。であるなら、その具体的な中身はいったい何なのか?、ということは、自らの責任において明らかにしなければならない道理だと思います。
 科学的社会主義を理論的柱としながら、では具体的に本来の社会主義とはいったい何なんだと聞かれたら、「もっぱら他人(共産党員)に何か完成された、100%納得しうる答えを求めている」といって、そんなこと聞く方が悪いかのように言われる。だったら科学的社会主義という看板は取り下げたらどうでしょう? 科学的社会主義は社会主義のいったい何を科学しているというのでしょうか? 将来の社会主義像を詳細に提示せよとまで言っているわけではないのです。社会主義は資本主義における所有関係を変えるわけです。過渡期にはトヨタ自動車とかソニーなど、でかい会社が全部国有化されるわけです。これをめざしているのか、あるいはそうではないのか。もしこうした大企業が国有化されるとすると、その形態は結局ソ連でとられた形態とほぼ同じということになります。そこでは労働者が主人公どころかノーメンクラツーラ支配がまかり通る。日本は今だって官僚天国ですが、しかしそんな今の日本とも比較にならないほどの官僚天国になるわけです。
 今はまだ社会主義を云々する段階でないというのはそのとおりです。けれど、日本共産党が21世紀の早い時期に展望しているという民主連合政府は、資本主義の枠内での改革を実行しつつ社会主義を展望する政府なはずです(ちがいますか?)。であるなら、本来の社会主義といわれるものの中身は今から論ずるべきはずのものです。そしてこれは、民主連合政府を展望している日本共産党が政策として提示すべきものではないでしょうか?
 日本共産党は将来、社会主義への道は「国民の声を聞きながら」進むと言っています。私の疑問はそうした「国民の声」のひとつのはずです。しかし、いざこういう疑問を出すと「そんなこと聞くんじゃねえ」。だったらいったい日本共産党は将来において、国民の声をどんなふうに聞くというのでしょう? 理解不能です。
 日本共産党は本来の社会主義を展望している。しかしそこに至る具体的な道筋はわからないというなら正直に「わからない」と言うべきでしょう。けれど「わからない」にもかかわらず「本来の」社会主義は展望しているというのもこれまた実におかしな話です。「誰もが幸せになる社会をめざす」などというような雲をつかむ展望ではない。生産手段の所有権の移動を伴う極めて具体的な展望です。だからこそ科学的社会主義=マルクス主義に日本共産党は依拠しているわけです。
 マルクス主義自体が敗れたのではないという議論は、私もある程度はそうだと思っています。大国主義や政治的自由を抑圧した誤りが本来の社会主義を歪めたというのもそのとおりでしょう。けれど生産手段の国有化という社会主義のもっとも核となる部分をソ連はやりました。
 であれば、複数政党制のもと、大国主義にも汚染されていない政治体制において、生産手段の国有化はどのようになされるのか? これが正面から問題になるのは必然であり、日本共産党が具体的にその展望を明らかにするのはごく自然なことです。これをやらない、またはできないということの方がおかしいと思います。
 崩壊した社会主義国が生産手段を国有化していた部分に対して日本共産党が批判を加えたという話は寡聞にして知りません。となると日本共産党は、政治体制などの条件をソ連のような歪んだものにしないかぎり生産手段を国有化することは当然である、と考えていることになります。だからここを聞いているのです。本来の社会主義をめざす上で、いったいどのように生産手段の所有権の移動をなしとげる構想なのか? それはそもそも可能なのかどうか?
 ここが提示されないまま「本来の社会主義」を何度叫ばれたところで、私には机上の空論にしか聞こえません。