12月22日付、吉野傍さんの「個人的所有の再建」命題について(7)に関する追加レスです。大ブレーキとなってしまいますがごめんなさい。
耐久財、失業という語が入ったどんぴしゃの文章を、森嶋通夫著『思想としての近代経済学』(岩波新書)に見つけました。ちょっと長いですが引用します。
・…ワルラスがセイ法則(注:供給は投資需要を喚起するという経済法則)を救いの神にしたのは完全な誤りであって、セイ法則抜きで、失業の経済学を展開すべきであった。そうしたなら、ワルラスはケインズに直結したのであり、一層はっきり言えば、ケインズを不要にすることができたのである。
このような困難は、耐久財のもつ比重が、近代社会で大きくなたことと、生産力が増大したために耐久財について容易に生産過剰が起こり得るようになったから、生じたのである。したがってこのような失業-ケインズ型の失業といわれる-は、資本主義に特有のものではなく、社会主義の経済でも、生産力が増大して耐久財について生産過剰が容易に生じるような技術段階では、生じるはずであった。しかしそれが社会主義経済において生じず、社会主義経済が完全雇用を謳歌しつづけたのは、社会主義経済では以下にみるように、「セイ法則」が妥当したからである。
社会主義経済では、ある限りの貯蓄を投資に使用した。それは投資の効率を無視したものであり、不必要に巨大なダムがつくられ、不必要に重いトラックがつくられた。効率を無視するのだから、生産すべきものは無限にあり、ケインズ型の失業の憂いはなかった。しかしこのような放漫な投資は、果実をほとんどもたらさなかった。一年や二年の短期では、投資の非効率の弊害は眼につかないが、十年もすれば、過去の投資が役に立たないことが、どんな障害をもたらしたかは歴然としてくる。「社会主義に失業はない」とマルクス主義者がうそぶいていた時に、彼らは自分たちの墓穴をせっせと掘られつつあることを認識しなかったのである。
・…自由主義経済ではセイ法則は成立せず、失業が生じるが、社会主義経済はセイ法則が成立し、完全雇用が実現する代りに、長期的な経済の効率は悪い。残された道としては、自由主義経済には次のような修正を加えることが考えられる。それは私企業が関心を持たない分野で、しかも社会的に重要な分野(教育、環境整備等)で、政府が積極的に業を起こして雇用を創造し、私企業の雇用の欠を補うというケインズが提唱した道である。しかしこの道ですら、雇用を充分拡大するには、政府事業の経済的効率の悪はよくないという批判に甘んじなければならない。すべては過大な生産力がもたらしたディレンマである。
森嶋通夫は他にも、「マルクスは無意識にセイ法則を使っている」と書いています。これは耐久財生産にはまったく適用できないとのこと。この誤りをマルクスもおかしている、ということです。
耐久財はマルクスの時代、資本主義世界に普及していなかったという吉野傍さんの議論は不毛であることが、ここでも確認できたように思います。また、「失業をなくすために計画経済を展望する」というのも、ソ連などの経験を踏まえるなら無謀であり、とるべき道ではないと思います。
政府による事業ということでは、日本共産党は最近、具体的な提案を行なっているようですが、それは決して、「科学的社会主義を理論的支柱にしているからこそ導き出された政策」なのではなく、ケインズ政策であることを、率直に認めるべきでしょう。