12月27日付川上慎一さんの「ソ連社会主義を考える(2)…「ソ連=国家資本主義」論」に関してです。
この意味で、私は『ソ連の社会主義とは何だったか』のサブタイトル「ソ連の社会システムは、『国家資本主義』と呼ばれるにふさわしい資本主義のそれであった」に同意することはできません。
まったくそのとおりだと思います。この本では『国家資本主義』について、何かきちんとした定義をしているのでしょうか? 資本家が存在せず、生産手段が「私有」されていなければ、それは社会主義ではないでしょうか? ソ連に市場経済は存在したとでもいうのでしょうか?
『国家資本主義』規定は、生産手段を国有化すればどういうことになるか、それを現実に「試した」歴史に対する冒涜であり、現存した社会主義を直視することを避け、「本来の社会主義」を遠い未来の中に無傷で祭り上げようとする策動以外の何ものでもないと思います。知的怠慢のさいたるものです。
発達した資本主義国が生産手段を国有化すれば「本来の社会主義」になるのでしょうか? 「現存した社会主義国」を否定し「本来の社会主義」を展望する議論は、だったら、どうすれば「本来の社会主義」になるのかを示さなければなりません。しかし、そのような議論は悲しいかな、まったく聞こえてこないというのが実感です。
ソ連・東欧の崩壊からすでに10年経っています。日本共産党に関して言えば、「日本共産党こそ本来の社会主義を展望してきた」はずです。10年ではありません。創立以来80年近く、「本来の社会主義」を展望していたはずです。そのような政党が、「社会主義への道は国民の合意にゆだねる」以外、「本来の社会主義」について何ひとつ明らかにできないというテイタラクはどう理解したらいいのでしょう? なぜ1980年の上田耕一郎のように、「国有化を言わない勢力は社会主義勢力とは認められない」と、堂々と言えないのでしょうか?
はっきり言って日本共産党は、その理論的支柱とする科学的社会主義からは、こと社会主義に関する限り、今や、何も引き出すことができない地点に立っているのではないかと思います。平成不況打開のための政策も中身はケインズ政策だと思います。科学的社会主義から導き出した政策ではさらさらないと思います。
日本共産党は、科学的社会主義の存在意義を、現在、どのように弁護するつもりでしょうか。日本共産党は科学的社会主義の旗を取り下げる時期に来ているのではないでしょうか?
「最後のアダ花」として日本共産党は民主党との連立政権を展望している。これが80年間にわたって「本来の社会主義」をめざしていた政党のやることでしょうか?正面から自己批判する勇気のない政党の、あわれな姿でしかありません。