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「科学的社会主義」討論欄

プライバシー暴露恫喝を含めた、珍妙な「回答」>吉野傍さんへ

2000/6/13 カワセン、50代、自由業

 「配慮が足りなかったことを、カワセンさんと編集部に謝罪します」とは書かれていますが、あまり謝っているようには感じられません。疑問はいくつも残ります。
 まず、私は「有名人」だそうですが、「ハンドルネームからただちに察しがつ」いたというのはおかしな話で、ハンドルネームは偶然に一致した可能性もあり、私がその「有名人」カワセンと同一人物である保証はどこにもないはずです。そもそも私がそんな「有名人」で、そのことを自分でも認識していたとするなら、なるべく自分の存在を隠す必要にかられるはずであり、そういう場合にはいくらでも別のハンドルネームを使うことが出来たはずです。また、ホームページは私の実名が分かってないと探れないはずで、「ハンドルネームからただちに察しがつ」いたというだけではどうして実名が分かったかの説明にはなっておりません。
 結局、今回の「弁明」では述べられていない行為を吉野氏が行なったことは確実だということで、その行為は個人情報の流出という、昨今の社会で重要な問題の1つとされていることを、社会を改革(いや革命?)しようとする「革新」派の人物が行ない、十分な反省をしていない、という点に大きな問題が残るように思われます。
 この「謝罪」は結局十分には語っておらず、ただ居直っているだけの中身なのであり、私としては容認し難いのですが、ここから次の2つのことを教訓としたいと考えます。
 1つは、電脳空間での意見発信に伴う危険性です。自分と異なる意見の持ち主に対して寛容の精神をもたず、プライバシー暴露に近い脅迫でもってその意見を封殺しようとする向きがネットには確実に居るということです。そうした輩に対して、安心立命を望むなら、一番いいのは意見を言わないことです。しかし、へこたれてはいられません。問題なのは、この日本社会をどうするか、より良きものに改善するために市民の立場でどうするか、問われているのはこの点なのであり、嫌がらせに屈してはいられません。大げさに言えば、「市民の義務」として、そうした輩の圧力に屈することなく、これからも意見の発信を続けたいと考えています。
 もう1つは、相手の意見の中身より、その意見を発信する「人間」に興味をもつタイプの人が居るという事実です。ネットでは現実社会と異なり言葉のみ、文章のみで相手の意見をくみ取らねばなりません。現実社会では、相手の身振りとか、あるいは別の場面で知り得る人間性への理解なども判断の際に合わせて考慮することが出来るのに対して、ネットではピュアな判断が出来る反面、また誤解も生みやすいものになっています。
 このピュアな判断というのは、しかし論理的な思考や客観的な事実判断が出来ない人にとっては困難なものです。吉野氏のように、前世紀以来の「革命」妄想を後生大事に掲げ、そこから外れる主張を「改良主義」「右翼」「日和見」と罵倒すればものごとは済むと考えている、本質的な意味での保守主義者にとっては、これは、ああ、あの「狭い左翼の電脳世界での有名な確信的改良主義者カワセン」の意見、ということで片付けておれば精神的に安心なのでしょう。その際、中身の議論への判断は一切抜きか、批判には具体的に応えることなく、こちらの主張をそのまま裏返しで私のほうにかろうじて投げ返しているだけな訳です。
 重要なのは書いた人間のあれこれでなく、その人間の根幹の主張であることをどうして理解しようとしないのでしょう。吉野氏の姿勢について、このぐらいにしておいて、その「中身」(と言ってもあまりありませんが)については、また次回に。