私によるあなたへの批判が、そっくり私にも「跳ね返ってくる」とか言う、省エネ「反論」について。こうした指摘が平然と出来るところに、あなたの民主主義理解のお粗末さを読み取ることが出来ましょう。私によるあなたへの批判は、決して私自身には跳ね返ってこない性質のものです。あなたの言うところの「漸進主義・改良主義」は、本来的に「教条」とは無縁なのです。それは、その理念・構造の内に、自己相対化・改良の契機が含まれるから、です。それは常に自己を相対化し、自己批判の契機をもその構造のうちに含むのです。もっとも、私は初めから「漸進主義」とか「改良主義」とか名乗って、「この旗の下に」意見を語っている訳ではありません。私の訴えをこのように名づけて安心しているのはあなたであって、私ではありません。
私が書いたのは、
党が目指している(らしき?)漸進主義・改良主義という路線は、それが正しく実態を伴いさえすれば、党の大きな改革・改善にもなり、果ては日本社会の改革に貢献することになると信じられます
ということでした。
つまり、ここでも(あえて名づければ)漸進主義・改良主義と言える路線が、まだ党の方針として確定されている訳ではないとの認識を明確にしています。あなたは、私が「信じられます」と付記したことにクレームをつけてますが、綱領的世界観を「信じている」ご自身は「信じて」もかまわないが、カワセンは「信じて」はダメという理屈は通りますまい。「信じられます」というのはある種の信条告白であることは確かです。そこにはもちろん、多少の疑いの契機も含まれます。しかし、私としては人類の歴史がここまで継続してきたこと自体に、「漸進主義・改良主義」の成果を見て取る、との立場を取りたい訳です。
あなたに、「教条」とか「自己目的」とかの言葉遊びの余裕を与えないために、もっと本質的な点を述べましょう。民主主義には、「絶対に正しい世界観」や、それを体現している政党、「唯一の前衛党」は不要なのです。それぞれに「正しい」各政党が、選挙という市場競争を経て、相対的多数を得た政党(やその連立)による政治、それが現代の民主主義政治です。こうした民主主義のシステムが理解できているなら、党内民主主義の結果、教条的な支配を容認する、などというばかげた構図の可能性が指摘できる訳がありません。ソ連や東欧で、民主主義の拡大によって独裁政権が倒れました。韓国や台湾、インドネシアでも、同様に民主主義の拡大が現在のような開かれた社会の実現につながっています。民主主義の拡大の結果、独裁を支持した歴史の例を出してみてください。そんな馬鹿なことは、人類の歴史に一度もあったためしはないのです。
党内民主主義にやけにこだわる人が、民主主義とは正反対のすでに歴史的に破綻した古臭い世界観を抱き続けている不可思議。現在の党指導部によって、その場しのぎ的に強行されている党の改革。しかし、これは党員の質にも規定されて本質的な改革とはなっていない。現在の党中央の路線問題の本質は、あなたやここの編集部の言われる、党内(形式的・手続き的な)「民主主義」のあれこれに反するとか、そういう次元の問題ではないのです。綱領を変え、党名を変えて、民主主義的な改革政党へと生まれ変わるところまで行かないといけない。そうした党の改革を党員に期待しているのに、むしろここでの意見に見られるごとく、そんな流れに逆行するものしか出ていないような感じがある。党中央の理念なき、その場しのぎ的「改革」に対して、綱領への教条的信奉という後向きの立場からしか反対の声が挙がらない。そこを問題にしているのです。