この欄の以前の投稿を拝見していましたが、コミュニケーションギャップがあるのが困るなあ、という感想です。
吉野傍氏の一連の個人的所有についてのご投稿や、川上氏の現存社会主義の分析序論はかなりの共有する基礎知識の上で、興味深い材料になるものだと、私自身は感心して読ませていただきました。
他方、ここには政治課題についてそれとの関係で物事を読もうとする方もおられる(それ自体はこのホームページの性格上仕方がない)ので、今大局的にそういうことをいってどういう積極的意義があるのか、という意見に基づく反論も当然あり得るので難しいですね。
それで、途中からあまり生産的ではなくなったように思います。
まず最小限の誤解を解くところから始めた方がよいと思います。特に党員専用ページではないので、あまり強心臓でない方も参加したいと思う可能性がありますから。
どれだけ参考になるかわかりませんかいくつかコメントします。
東欧やモンゴルで小スターリンと呼ばれる人々がおり、政治警察により反対党だけでなく、自党内の「敵」も粛正したことは多くの文献で確認できます。雪解け後の指導者はその弾圧をくぐり抜けてきたことが一つの大衆的人気だったのではないかと思います。(おそらくすでにご存じだと思いますが、念のため)
現存社会主義とこの粛正システムが不可分のものだったかどうかは大いに議論のあるところだと思います。(しかもこちらは実証的問題でなく論理的問題なので難しい)。
計画がそもそも市場と一体のものというのは一つの立場です。一般には、計画経済=社会主義が市場を排除するものではない、しかし依然として計画と市場それ自身は「水と油」の関係にあるので、どう結合させるかは難しいものがあります。ここでの計画経済は資本制下の経済計画とは区別される独自のものと理解してください。市場それ自体も、資本制と同一でないことはすでに述べられていますが、資本制はやはり市場の全面開花であり、市場経済は資本制において典型的な形態なので、難しさがあります。
話は少し脱線しますが、日本においては現に存在していた社会主義の経験的研究がきわめて貧困でした。まるで戦時中の英語は敵性語で軍の通信部だけが知っておればよいに近い状態におかれましたから、まず限られた情報のもとで訓古学的研究になり、その後地道に実証研究していた人も国内の人的供給源そのものを立たれて、今現役でいる人の多くは外国で教育を受けた人です。また書籍そのものがすぐに絶版になるので、せっかく、30年前に書かれた当時のソ連経済についての本ではあるが、今でも有効な本があっても図書館でないと見ることができません。社会主義経済そのものが持つ理念への理解の困難さとあわせて、その「科学的」に考えることの困難との戦いになります。
どうか感情に流されずご考察を進めていっていただきたいものと思います。
ここでやめようと思ったのですが、なぜ今更科学的社会主義か、私の立場からの感想を述べたいと思います。あくまで、どういう意図で参加してきたのかを説明するための感想です。
すでに他のところで投稿した記事から伺えるように、私はゴルバチョフが登場して改革を進め始めたとき、我々の言っていた通りになったと無邪気に喜んだ一人であります。しかしその後の展開は違いました。事実として単純な民主化でなかったことは東欧崩壊後に一国として「少数意見者」または「反体制派」が選挙で勝った国はなく、旧翼賛政党が外国資本の援助を得て(おそらくその導入のため?)勝ったか、旧共産党が様々な形で(旧官僚組織に基盤をおくか、または新興資本の代弁者として)政権を担うかでした。あの瞬間何がこたえたと言って、これが一番こたえた。崩壊そのものなんか全然こたえなかった。
さらに、少なくとも現象面では、ことは単純に現存社会主義の崩壊だけでなく、世界的規模での共産主義と呼ばれたものの後退だけでなく、社会民主主義の後退にもとどまらず、凡そこの世の中で友愛とか理想とかを語ることが罪悪であるかのような風潮、これがだんだんと迫ってくる深刻な問題でした。
そこで、いったいどこが問題であったのか、深刻に考え直してみる必要があるのではないか。どこまでを批判し克服すれば、我々はこの世の中には悲惨な境遇におかれる人が必然的にでる仕組みがあるが、「それを直すことができる」と自信を持って言い得るのか、ゆっくりと考えてみたいのです。
私自身も心臓は弱いので、お手柔らかに願います。