わたしは、JDさんのようなマルクス主義者ではありません。あなたが、私をデューリング病であるとおっしゃるのなら、それはそう言う論法もあることはわかります。しかしあなたの論法を認めるならすべての非マルクス主義者からの批判に「デューリング病患者である」と言い、また「私以上にマルクスを読み、正しいマルクス認識を深めよ」と言う事で答えることができる。そう言う風に言えばすべての批判から逃れることができる。大変気楽な人生ですね。それで良いのでしょうか?
あなたが、自身の国家論、もしくは正しいマルクス国家論の解釈をお持ちであると言うのなら、公表していただきたい。あなたも、現在、マルクス派が少数意見であることは認めるだろう。 ほとんどの日本国民、労働者は、国家がなくなるだろう、とか国家がなくなれば良いとは、考えていない。(私も含めて)デューリング病患者は、大多数である。マルクスは正しいというあなたとマルクスは間違っているという私の認識ギャップを埋めるために互いの国家論を戦わせようではありませんか?
政治権力を握った労働者階級が資本家階級を打倒した後の状態を「階級がなくなる」というのが正しくて「階級が一つになる」というのは正しくないと言われるなら、私にとって本質的な事柄でないので訂正します。
1.警察、裁判所
旧ソ連において、マルクスおよびマルクス以前の社会主義者が、語っていたらしい新しい土台から生み出さる「共産主義的人間」とか「新人」が結果的に、我々と変わらない人間であったことは明らかです。そうであるなら原始社会の様な、小人数でお互い良く知った者同士の社会、単純な社会で可能であった、「非専門家による労働時間時間外の刑法犯確定、逮捕、処分制度」よりも複雑な社会では、社会の構成員が、一定のルールにしたがって、税を納め、その税からプロフェショナルな専門家の集団(警察官、裁判官、弁護士等)を作り、上にあげた事柄を解決した方が、社会を維持するために、低いコストで、効果も大きい。国家なしの制度で社会が維持できるか?ほとんどの人が、無政府主義者でないし、将来資本家階級がいなくなっても、複雑な社会には変わりないので無理だ。(消防署、学校、軍隊、各役所の存在意義については必要があれば次回以降書くが、今回は省略)
私は、前回にも文章は、少ないが同様のことを書いている。
私は、社会学についてほとんど知らないが、単純な社会から複雑な社会への過程で国家が必要になったのであり、マルクスのいう国家が消滅するといった見解は問題にもならないらしいので、私の理解、納得できた範囲で書かせてもらった。JDさんがマルクスが正しいと考えているのはご自由だが、その根拠は何か? わたしには、レーニンの呪縛がほとんどの左派にいまだに残っていることに問題を感じます。マルクスが、19世紀の大社会主義者であったことは、認めますが、それ以前の社会主義者と同じ誤りを犯していることも明らかになってきています。若いJD氏が、広くオープンにさまざまな社会科学の諸成果を勉強し、その上でマルクス批判も含めたご自身の思想を形成されることを、若い時に偏った本を読みすぎたと感じている一労働者として希望致します。