レーニンも一国社会主義者?――懲りない一国社会主義者・不破哲三
共産党の経済誌『経済』で不破哲三による「レーニンと『資本論』」という長期連載が掲載されている。9月号は「転換点――1920年11月」と題して、戦時共産主義時期末期のレーニンの国際情勢への認識について述べられている。僕はたまにしかこの雑誌を読まないのだが、今号はたまたま僕の関心のあった戦時共産主義からネップへの移行期の間について述べられていたので手にとって読んでみた。ざっと読んだ第1印象は「懲りない一国社会主義者やなぁ」というもの。すでに、連載をまとめた同名の書籍も出版されているので、また暇な時にでも読んでみようかな・・・。
早速、感想と批判。不破は、レーニンが1918年には「一国だけでは社会主義革命の完全な勝利は不可能であり、そのためには、少なくとも、いくつかの先進国のもっとも積極的な協力が必要」と主張していたが、20年には「われわれは、われわれにとって唯一の確固たる勝利である国際的な勝利こそ獲得しなかったが、資本主義諸国と並存できるような条件をたたかいとったという状態にある。いまでは、これらの資本主義諸国は、われわれと通商関係を結ばざるをえなくなっている。この闘争の経過で、われわれは自立して存立する権利をたたかいとったのである」と情勢認識を転換し、結局レーニンは一国社会主義を提唱したと結論づける。
「一国で社会主義建設ができる」と「一国で社会主義建設をしなければならない」は違う
ロシア革命に続くヨーロッパ革命が敗北し、ボリシェビキの当初の望み――ヨーロッパの生産力とロシアの資源の結合――による社会主義建設の展望が転換を迫られるなかで、情勢に合致した新経済政策を展開していく。だが、それは「やむを得ない後退」としての新経済政策ではなく、過渡期経済の理論と実践のより一層のレベルアップとしての新経済政策として僕はとらえている。もちろん、ヨーロッパ革命の敗北という「やむを得ない」事情を受けてということではあるが。
当時ソ連邦以外に社会主義的政策を実施できる国がなく、かつ包囲され、軍事的な脅威にさらされている状況で、一国内における社会主義へ向けた政策を実施していくことは当たり前である。具体的実践の中で経験的に、かつそれらを理論化していく作業は、様々な経済活動を一国内のなかで全て消化してしまうような、それだけで社会主義建設が可能であるかのようなイデオロギーとはまったく無縁のものである。また「過渡期社会」という概念をまったく排除してしまい、社会主義革命即社会主義(これは二段階革命論と表裏一体と僕は考えている)という短絡的な考えとも無縁である。
「一国で社会主義建設ができる」と「一国で社会主義建設をしなければならない」ということはまったく違うことである。不破は前者と後者をごちゃ混ぜにして、レーニンが一国社会主義者であったと結論づける。
一国で完全に勝利した社会主義は存在しない
また、不破はレーニンの「唯一の確固たる勝利」「完全な勝利」という重要な一語を読み飛ばしている。レーニンの言う「唯一の確固たる勝利」「完全な勝利」とは「国際的な勝利」であり社会主義の建設を意味する。
「確固たる勝利である国際的な勝利」が最終的な目標であり、その目標を達成できなかったからといって直ちに敗北――帝国主義によるソ連邦の軍事的解体ではないし、そうならないだけの成果をソ連邦は勝ち取ったということを示しているだけなのであり、不破が言うような「同じ世界のなかで、社会主義をめざすソビエト政権が、資本主義、なかんずく帝国主義諸国と共存できる」ということではない。現在の日本共産党の「総路線」である「民主党との連合政権」と、この「帝国主義とも共存できる」という論理は合致している。事実、ソ連邦だけでなく、中国やキューバ、ユーゴスラビアなど、何十年にもわたり「帝国主義諸国と共存」してきたし、幾つかの国は現在も共存している。しかしそれは今後とも共存が可能ということではない。いくつかの過渡期体制は崩壊したし、のこる幾つかの過渡期体制も転換・崩壊の危機にある。「共存している」という事実と「共存できる」という理論も、まったく異なるものである。
残念ながら、「自称」を除いて、一国で社会主義を建設できた例を僕は知らない。もちろんこれら「自称」社会主義国家は、生産力の面だけを取っても、資本主義の生産力を凌駕したものではないし、独自の社会主義的生産様式を持ったものではない。人権をはじめとするさまざまな権利も、遠く帝国主義諸国に及ばないどころか、それについては開き直ってさえいるのである。このような社会体制は社会主義ではない。
すべてを官僚の利益に従属させる一国社会主義
この論文の最後の章は「後日談・スターリンとトロツキーの一国社会主義論争」というもので、不破によると「スターリンとトロツキーが、レーニン自身の理論的、政治的見地をふりかえるとき…“方法論”としては、共通の誤りを犯していることに気づきます。…それまで一国での社会主義建設に否定的態度をとってきたレーニンが、ソビエト権力が国際的存立をかちとった新しい情勢のもとで、ロシア一国での社会主義建設という新しい目標を提起する態度に転換し、電化を中心に共産主義建設のプログラムまでしめしはじめたことの意味を、スターリンも、トロツキーも、それぞれ反対の立場からではあるが、共通して見落としていた」という見解である。
不破は、トロツキーがスターリンを批判する際に、1920年11月以降のレーニンの世界情勢認識の転換をという点をまったく無視しており、さも1924年に突然スターリンによって一国社会主義が宣言されたと言っているから問題だ、とトロツキーを非難している。
しかし、トロツキーは「もしも帝国主義者が武力干渉によって、ソビエト政権を転覆さえしなかったら、社会主義の建設は、その他の人類の進化とは独立して、ソビエト連邦の境界内において完全に実現することができるということが、この時(1924年)はじめて宣言された」(『ロシア革命史』)といっているのである。トロツキーの強調点は「社会主義の建設は、その他の人類の進化とは独立して、ソビエト連邦の境界内において完全に実現することができる」という個所なのである。そして一国社会主義=ソビエト官僚の自己防衛のために、帝国主義による武力干渉を極力回避するために、ドイツ、中国、フランス、スペインその他の階級闘争を裏切りつづけてきたスターリニズムが問題になっているのである。トロツキーをはじめとする一国社会主義への批判は、一国で社会主義建設をすることにあるのではなく、階級闘争をはじめ全てをその為に従属させるというところにあるのだ。また、経済建設の観点からも、全く世界市場を無視した形での鎖国経済がもたらしてきた混乱と低開発は、民衆にとって全く魅力のないものでしかなかった。それはソ連・東欧崩壊の大きな一因にもなった。この事実から学ぼうという姿勢が、不破論文には見られない。付け加えて言えば、トロツキーも余剰農産物の強制挑発を廃止し、食料税に転換するという、レーニンによるネップ提案と同じ政策を1920年3月の第9回党大会の直前に提案していた。(「食料政策と土地政策の根本問題」、『トロツキー研究』№3に収録)この点について不破論文は全く触れられていない。次号はネップを論じるそうなので、トロツキーの提案とその後のスターリンの政策をどのように紹介するのか注目したい。
不破は1959年に執筆した「現代トロツキズム批判」で「トロツキーによって寸断され偽造されたレーニンを読むのでなく『レーニン全集』の完全な翻訳も出ている今日、直接、系統的にレーニンを読もうとする努力を惜しまなければ、一国における社会主義の勝利の展望についての理論が、革命の進展の中で、特に三ヶ年の国内戦をたたかいぬく過程に、レーニン自身の手で形成され完成していった姿が、容易に理解されるだろう」と述べている。
不破には「スターリンによって寸断され偽造されたトロツキーを読むのではなく『トロツキー著作集』や『トロツキー研究』も出ている今日、直接、系統的にトロツキーを読もうとする努力を惜しまなければ、一国社会主義の敗北の展望についての理論が、革命の進展のなかで、とくにネップ期からスターリニズムの一国社会主義との闘争をたたかいぬくその後の全生涯に、トロツキー自身の手で形成され完成していった姿が、容易に理解されるだろう」という言葉を贈ろう。
的外れなスターリン批判
「この論争そのものについて言えば、スターリンのだした結論――ロシア一国でも社会主義の建設は可能だという立場が道理をもっており、それは、レーニンが最後の時期に立っていた見地とも合致していたと考えます」と一国社会主義者として自らを位置づけている不破だが、スターリンに対する批判も忘れてはいない。しかし、一国社会主義を擁護する立場からのスターリン批判はまったく的外れなものにしかならない。批判内容を簡単に紹介してしまえば、①スターリンはレーニンが第一次大戦中から一貫して一国社会主義者だと主張している②スターリンは「戦争がなければ革命は起きない」と主張するが、レーニンはそんな事は言っていない。つまり、スターリンの誤りはレーニンの引用に関する技術的な問題に矮小化されているのだ。①について不破は、1917年3月にレーニンが執筆した「ヨーロッパ合衆国のスローガンについて」という論文では、少数や一国での社会主義の勝利について語ったてはいるが、それは社会主義への条件が成熟している先進資本主義国を指しており、ロシアについては1920年になってはじめて一国社会主義革命を勝利のうちにやり遂げることができると主張、スターリンは故意に自分に有利なようレーニンを引用している、しかしそれはトロツキーも同じである、というように巧妙にスターリンの歴史の偽造とトロツキーによる「歴史の偽造」を結び付けようとしている。②については、日本共産党がソフト路線を推し進めてきた延長線上にあるのではないかとも思える。「社会主義革命は戦争がなくても、社会の生産力の発展によって、歴史の必然でなされるもんです。まあ、それもはるかに遠いことですよ。とりあえずは資本主義の枠内における改革です。えっ?国外の階級闘争ですか。それは関係ないですね。中国の江沢民さんに二十一世紀の世界共産主義運動について聞かれてびっくりしてしまいました。そりゃそうですよ、二一世紀といったらあと百年間もあるんですよ、そんな短期間で革命が起きますか、といいたいですね。東南アジアを歴訪したときも内政には干渉しないということをはっきりさせてきましたし、アメリカとの関係も日本が自立して友好条約をむすべばいいんです。その際在日米軍にはお引き取り願って。有事の際には自衛隊が対応することはもちろん必要なことです」って声が聞こえてくるのは気のせいだろうか。
結局不破はこれまでの一国社会主義をまったく放棄していないし、その理論が歴史的にどのようにテストを受けてきたのかということを振り返ろうともしていない。「民主党との連合政権」の幻想に引きずられ、資本主義の枠内での改革をはじめとするさまざまな右傾化のなかで、この「帝国主義と共存できる」一国社会主義にますますしがみついていくだろう。日本共産党が一国社会主義を放棄するために社会主義そのものを放棄することのないように願っている。
「じゃあ、世界革命は成功したのかヨ」という批判は当然あるだろうが、ここでは容量などの都合ですべてを論じることはできない。現実の一国社会主義は失敗に終わったが、ネップ期における「世界革命」=永続革命と過渡期における市場経済と世界市場の利用は、その効果が現れる前にスターリニズムによって投げ捨てられた。いわば未完の実験なのだ。労働者が権力を奪取できていない今僕らに可能なことは、1920年代の現実と理論がどうであったのかを偏見なしに丁寧に見ていくことだと思う。また時と場所を改めて論じてみたい。
不破は次号でネップについて自らの理論を展開する。一国社会主義者がどのようにネップを取り上げるのか、楽しみである。